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	<title>南極ブログ通信</title>
	<link>http://www.akt.co.jp/akt-blog/adiary.cgi/nankyoku/</link>
	<language>ja</language>
	<description>５１次隊には、越冬隊長を務める三種町出身の工藤栄博士をはじめ、秋田大学の二部恒美氏、大館市のトービス工業から石田昌氏の３人の秋田県出身者が参加。２０１１年３月までの長期にわたり 観測・研究活動に従事することになっています。南極ブログ通信は、この３人の秋田県出身者による&quot;生&quot;の情報を皆様にいち早くお届けいたします。工藤栄 氏（越冬隊長）二部恒美 氏（設営庶務担当）秋田大学医学部石田昌 氏（設営機械担当）トービス工業</description>
	<copyright>Copyright 2011</copyright>
	<pubDate>Wed, 10 Aug 2011 07:35:38 GMT</pubDate>
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		<title>南極の湖の物語　エピローグ１</title>
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		<category>日記</category>
		<pubDate>Wed, 10 Aug 2011 04:12:51 GMT</pubDate>
		<author>工藤栄</author>
		<description><![CDATA[<div class="section">
<p class="ni">　みなさま、ご無沙汰しておりました。私たち第51次日本南極地域観測越冬隊員たちは、東日本大震災のニュースをはるか南極海の真っただ中で知り、南極以外で生じた自然がもたらした「想定を超えた」災害の過酷さに驚き、また、人間が自らの利便性を追求し英知を結集して作り上げた原子力発電所の事故発生に心底「大丈夫なのだろうか？」と心配したのでした。<br>
　直接・間接的に被災された方々、復旧に日々努力している方々、また、放射性物質漏えいという「悩ましい」問題を抱えてしまった事故現場周辺並びに我々日本国民は、この先、「いかに生き続けるのか？」その方策と方向を巡って、問題解決にともに歩まなきゃ、いけないと思いながら、私は日本での仕事・生活を始めています。</p>
<p class="ni">いやあ、それにしても「暑い！」</p>
<p class="ni">さすがに南極越冬帰りだと、この夏の暑さは身にこたえます。南極で仲間とともに湖の調査に山野を歩き回り、-20度前後の中でのどの渇きを潤すべく、厚く張りつめた湖氷の上に積もった雪にカルピスやシロップをかけてむさぼった事が、とても懐かしく思えます。</p>
<p class="ni"><a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201108/kakiｇouri2.jpg" class="search image"><img alt="kakiｇouri2.jpg" title="kakiｇouri2.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201108/kakiｇouri2.jpg"></a></p>
<p class="ni">　ところで、雪にシロップをかけて食べる、という、ちょっとワイルド？なことは、ここ、日本の雪国でもごく普通にできることではあります。ただし、南極でやるそれと、日本でやるそれとは「味わい」の点で多少異なるものです。<br>
　第一に、日本の雪でやると、どうしても「ほこりっぽさ」を感じてしまうことが多いことです。雪の結晶が純粋に水でできたものなら、そうした違いはないのでしょうけれど、残念ながら日本では、雪の結晶ができるときに空気中の塵やほこりが取り込まれたようなもの（ひどい時には黄砂みたいなものが含まれたものもありますねえ）になってしまいます。南極の周りには文明圏を持った大陸もなく、また、南極大陸自身もほとんどが雪と氷で覆われていますから、大気中の塵やほこりが極度に少なく、そうした清澄な空気の下で出来上がった雪ですから、雪自身にほこりっぽさを感じさせるものを含まないのです。<br>
　第二に雪の固さというか、雪の粒の詰まり方が絶妙だということ。南極は、別名、「風の大陸」でもあります。雪が穏やかに降り積もることもごくまれにありますが、ほとんどが台風並みの強さの風と共にブリザード状態で吹き付けます。この強い風が叩きつけるように雪を吹き固めますから、雪に足が埋まって歩きにくいような状態は、実はあんまりないのです。固くしまった雪が風で削られて湖の氷や大陸氷床上で「サスツルギ」という雪の造形をつくりだしたりもします。こうして吹き固められた雪は適度な粒子の粗さと空気の混合具合を示し、シロップをかけると絶妙のシャーベット状態をつくります。</p>
<p class="ni">　いかがです？南極で「天然雪シャーベット」<br>
　味わってみませんか？</p>

</div>

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</div>
]]></description>
	</item>
	<item>
		<title>南極の湖の物語　その５０</title>
		<link>http://www.akt.co.jp/akt-blog/adiary.cgi/nankyoku/083#tm1296504273</link>
		<guid>http://www.akt.co.jp/akt-blog/adiary.cgi/nankyoku/083</guid>
		<category>日記</category>
		<pubDate>Mon, 31 Jan 2011 19:53:37 GMT</pubDate>
		<author>工藤栄</author>
		<description><![CDATA[<div class="section">
<p class="ni">｢越冬の終わりに」</p>
<p class="ni">　本当にこのブログ、これで「いったん終了」なのです。あと数時間で昭和基地から砕氷船しらせへとうつり、いよいよ帰りに就くことのなってしまいました。一年と少しの間、もしかして目を通していただいた方、あるいはどこか途中で目に触れてしまい、「なんだよ、これ？」と違和感を感じてくれた方、もしくは当然のことながら目に触れることすらなく、ただ時間の流れの中で一緒の時を過ごしてしまった（過ごしたい過ごしたくないを問わず）人など、いろいろだとは思うのですけど、2009年12月から2011年1月末まで、地球の上に存在し、時を共有していたわけです。<br>
　ところで、時を共有するってどういうことなのでしょう。一緒の時を過ごすとか、たまたま同じ時間に存在しているとか。生きている限り、偶然ではありますが、それは自分の時代以前に祖先がつなげてくれた結果に相違ありませんから、そこには否定できない偶然でかたずけられない必然の事柄もあるのです。<br>
<a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201101/skallakes.jpg" class="search image"><img alt="skallakes.jpg" title="skallakes.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201101/skallakes.jpg"></a></p>
<p class="ni">ま、そんないかにも難しげなことは、ほおっておいてもいいのかもしれません。</p>
<p class="ni">　人には、惹かれた、魅惑された、あるいは虜になってしまった、という感覚があります。それはきっと理屈では説明できないようなことの方が多いような気もしますけれど、とにかく、どうしようもない状態に陥っちゃうことが多々あるのは、かなりあることで、もしかして普通にいつでも起こることかもしれません。そのひとつの典型が、いわゆる恋愛で、恋をし、結婚する事態に進むというのが、ごく当たり前に皆さんが経験してしまうことかもしれません。それもさることながら、面白いことに取りつかれ、わき目を降る余裕（それが絶世の美女・美男であっても）すらなくなり（あるいはそのような面白さゆえの情動を正当化してまでも突き進んでしまうようになっちまって）、人は冒険や探検という、未知の、まだ知らぬ世界へと足を踏み入れちまうことも、在りなのかなと思うのです。人という特殊化した生き物のみならず、単細胞の生き物だって（だからこそ？）、いままで生きた実績のない世界へと可能性を追求するかのごとく、命がけで進出しようとする姿は、少なくとも南極の生き物をみている限り、ごく普通に見られることですから、「必然の努力」のように見えるのです。それが生き物の「本質」かと。</p>
<p class="ni">　ともあれ、私はこの情報空間を通じ、私たち51次越冬隊が過ごした南極昭和基地周辺の模様を伝えてきました。なかには自分が実際に出会ったことも経験もしていないようなETとかウシの暴動を例に、おバカな話を展開させちまったこともあるかもしれませんが、そのへんは読者の責任において評価してくださいね。</p>
<p class="ni">　私としては、南極に湖があるの？それはどんな世界なの？そんな純真な問いに答えることができるように書き連ねてきたことだけは、責任を持って言い切りたいことです。もちろん、不十分なことは承知。だって、まだ全てがわかったことではないのですから。<br>
　だから、この物語は、実はこの先も続くのです。語り部である私の自己満足と、もしかしてひとりでも聞きたい人が存在する限りにおいて。では、その時まで、さようなら！</p>

</div>

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</div>
]]></description>
	</item>
	<item>
		<title>南極の湖の物語　その４９</title>
		<link>http://www.akt.co.jp/akt-blog/adiary.cgi/nankyoku/082#tm1296210311</link>
		<guid>http://www.akt.co.jp/akt-blog/adiary.cgi/nankyoku/082</guid>
		<category>日記</category>
		<pubDate>Tue, 18 Jan 2011 18:09:41 GMT</pubDate>
		<author>工藤栄</author>
		<description><![CDATA[<div class="section">
<p class="ni">「記録すること」</p>
<p class="ni"><a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201101/shirase.jpg" class="search image"><img alt="shirase.jpg" title="shirase.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201101/shirase.jpg"></a><br>
　我が南極越冬も残すところ10日あまり。1月末までの昭和基地の維持管理任務を新しい越冬隊に引き継げば、基地を離れることになる。この任務が完了した後、2週間ほどは観測船しらせは昭和基地周辺での夏作業と観測のために、いましばらく昭和基地沖にいるのが常。この時間を利用して、私は露岩域にある湖沼へ出かけてこの夏にやるべき｢最後の一仕事｣に取り掛かる予定なのだ。その意味では私の南極での越冬隊長としての任務が１月に完了しても、まだしばらく観測者としての仕事は継続する。その辺の様子もこのブログを通じてお届けできればいいのだけれど、昭和基地を離れてしまうとインターネット環境が利用できなくなる。したがって、この後１度の更新で、一年以上にわたって掲載してきたこのコーナーを中断せざるを得ないのだ。このブログを通じて掲載してきたことは、何かの形で（少なくとも自分の記録として）残して公開しておきたいと思うのだけれど、何かいいアイディアをお持ちの方は、日本へ帰った折にご教示願えれば幸いだ。</p>
<p class="ni"><a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201101/rt.jpg" class="search image"><img alt="rt.jpg" title="rt.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201101/rt.jpg"></a><br>
（写真：かつて超高層観測でロケットを使用した時の施設、昭和基地ではその使用目的を終えた設備を整理する努力を行っているが、限られた夏の期間にできる作業に限界があり、まだ着手できていない建物もある。静寂な建物、だが、なんとなく当時の研究者と南極観測隊の情熱を感じさせる）</p>
<p class="ni">　私のブログは時として作者の性格上、ゆがんだ色眼鏡的事柄満載だった気もする。けれど、そんな瑣末で取るに足らない事でも「自分の捉えた事実を記録する」ことは、ことのほか大事なことだ、と思えるシーンに直面することがこのところしばしばあった。<br>
　昭和基地には整理が行き届いたとは言えないながら、小規模な図書書架がある。そこにはわずかの一般書や教科書に加え、南極に関する本や資料（四半世紀以上前のものが大多数である）が並べられてある。悪天候で基地内に閉じ込められた折に、南極の自然に苦労しながら｢何かを捉え記録しよう｣とした先人達がしたため残した本やレポート、論文集を悪天候の合間に読みふける、そんな｢贅沢｣ができるのは越冬隊員の特権だ（もちろん近年のものは自分の興味あるものなら抱えて持ち込んだり、最新の論文などはインターネットのご時世であるから日本でいる時と同様にタイムラグなく入手もできたりするのだ、やろうと思えば）。おそらく日本に戻って社会生活を始めてしまうとそんな悠長とも受け取られてしまいそうな時の過ごし方は必死になって創り出さなきゃできないだろう。それらの、今はもう退官なされた偉大な先達が残してくれた記録などを読みすすめているうちに、｢宝のありかを示す地図｣のようなものを見つけた時のような、目が離せなくなってしまうものにしばしば遭遇するのだ。</p>
<p class="ni"><a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201101/brium.jpg" class="search image"><img alt="brium.jpg" title="brium.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201101/brium.jpg"></a><br>
（写真：昭和基地のあるオングル島の地上には大陸の露岩で見つけられるような規模のコケや藻の群生地がほとんどない。RT（レーダー・テレメトリー）棟のわき斜面はそんな限られたコケの群生地のひとつだ）</p>
<p class="ni">　文明や科学の進歩、パソコンとインターネット社会の普及で飛び交う情報は、おそらくここ半世紀の間に桁違いの量になっている。情報というものが｢すべて有用で必要なもの｣と疑いを持たずに田舎で育った少年の私が、大学生時代に「パソコン普及」や｢バブルの時代｣はたまた｢不確実の時代｣に突如氾濫した情報過多の渦に直面して当惑、茫然自失となってしまったことを引き合いに出すまでもないだろう。本当に実のある情報は何なのか？その取捨選択能力が｢うまい世渡り｣の方策であると気づかされたのは、ごく最近のことのような気もする（まだ本当に分かっているわけじゃないと思うし、たぶんそうやろうと「真剣に」思わないだろうし、できるとも思えないのだなあ…）。情報選択努力をするのとは真逆に、「必要な情報であればそちらの方から近づいてくるでしょ、きっと」などと横柄な生き方をしてきた故、こんな「南極出稼ぎ人」となってしまったのだと思う。<br>
　情報過多の時代の前に記述された四半世紀以前の著書には、当時、情報そのものが少ないこともあるのだろうけれど、かけがえのない真実の記録が数多く残されている。すべて未知だった南極の自然を四半世紀、中には半世紀前に人々がどのように捉え、その時の南極の実情がどんなものであったのか、作者の息遣いとともに克明に描かれている、と思えるものに出会えるのだ。</p>
<p class="ni">　そんな過去の記録と現在の昭和基地周辺で自分が目の当たりにしていることを比較してみて、「大いにちがうこと」あるいは「同じようなこと」から、自然の変化や規則性、その根底にある自然の摂理のような事柄に思いを巡らせることができる。たとえば、現代社会では「地球温暖化」現象に危機感を持って、北極海の氷が消失しつつあってシロクマが四苦八苦している報道が伝えられたり、氷河が縮小し、氷河湖が決壊したりしている事実が伝えられていたりする。この南極でもそういった地球温暖化の進行を（危機感をあおるような形で）感じることはあるのか？とマスコミ関係からこの南極にいる我々に取材質問されるのが、このところ頻繁にある。そのたびに南極観測を始めて半世紀が過ぎた現状で、成層圏中のオゾン量が春に激減しオゾンホールができるようになってしまったこと、二酸化炭素量など大気中の「温室効果ガス」は年々上昇していることなど、地道な観測で環境の変化を着実に記録、捉えてはいるのだが、「人が（ここで観測生活をして）温暖化を実感できるような現象は（残念ながら）ありません」などと答えると、非常に期待はずれであるかのような感想を持たれてしまうのだ。なんだか台風情報を波止場で実況するキャスターとTVの前のお茶の間の人との「温度差」のある受け取られ方に似ている。</p>
<p class="ni"><a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201101/container.jpg" class="search image"><img alt="container.jpg" title="container.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201101/container.jpg"></a><br>
（写真：昭和基地への輸送も様変わりしてきた。コンテナを使っての輸送もその一つ。こんな大型物資の輸送は海氷が安定する夜間に船から橇に積み替えられ基地へと運び込むのだ。そんな深夜、夕闇が訪れるようになった。間もなく夏も終わろうとしている）</p>
<p class="ni">　湖の研究に携わって１２年、その間、何か湖に変化を感じるところがあるのか？と考えてみる。例えばこの夏、氷床末端に融け水がたまって湖と化していたとか、５年ほど前にはとある氷河湖の氷の堤防が決壊した、などという、その側面だけみると「スワ、地球温暖化の影響か！」と捉えられかねない事実があったこともある。昭和基地のあるオングル島にも名称が定められた湖が数個あるのだけれど、５年前にはどれもすべて「干上がって」陸地化したこともある。これらなどは、近年の急速な地球温暖化の影響を示す例なのか？と言えば、NO。なぜなら過去の記録をひも解いてみると、そんな現象はこれまで幾度か生じたことがあるという記録を見つけることができるのだ。そんな温暖化が顕在化したような現象が生じた後に、また元のような状態へと戻っているのだろうから、変動していると言えるけれど、一方的に温暖化しているといいきれないということ。氷床末端では「毎年ではないけれど、氷河の融け水が末端にたまってその末端を横断できなくなってしまったこともある」とか、氷の堤防のダム湖は「２５年前にも同じような規模の決壊が生じた」とかの記録を見つけることもできる。オングル島の湖に関しても、雪少ない年には融雪水で涵養されるような浅い湖沼は、夏に好天が続けば湖水が蒸発して干上がってしまうのは、当たり前の自然環境にあることが推察できたりもするのだ。これらからわかるように、『その時の事実』をしっかりと記録し残せば、それらは将来、自然の謎を紐解くカギとなる。記録を残したその当時にはその意味や価値はわからないようなものでも、実は何年か後に「卓見だった」などと受け取られることも多々あるのだ。物事の価値観なんて時代とともに移り変わるものだし、地球の環境だって時間とともに移り変わるもの。同じ変わるものなら、その時に直面している事実をきちんと記録し残すことこそ、未来へのプレゼントとなるはず。</p>
<p class="ni"><a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201101/wave.jpg" class="search image"><img alt="wave.jpg" title="wave.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201101/wave.jpg"></a><br>
（写真：オングル島にある「じゃがいも池」という名の湖。今年は水を湛えているのだが、５年前は干出していた）</p>
<p class="ni">　ああ、なんだかいつになく生真面目な論調になっちまって、申し訳ない気もするのだけど、そろそろ終わりが見えてきた越冬隊長ゆえ、ということでご容赦願うのだ。</p>
<p class="ni"><a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201101/salt.jpg" class="search image"><img alt="salt.jpg" title="salt.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201101/salt.jpg"></a><br>
（写真：雪が融けて水分が急速に蒸発する夏には、オングル島の裸の地表に白く塩（えん）が析出しているところが目立つ。なかには析出した塩が黄色や緑色を呈するものもある（下）。融けた水は地表を流れ下るだけではなく、塩を析出させるほど急速に蒸発することを物語る現象だ）<br>
<a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201101/crystal.jpg" class="search image"><img alt="crystal.jpg" title="crystal.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201101/crystal.jpg"></a></p>
<p class="ni">　湖を研究するひとりの自然科学者として、私が記録し残そうとしていることがある。それは１２年前から試行錯誤を繰り返し、ようやく５年ほど前から軌道に乗せることができたこと、湖の水質環境の変動を連続記録することである。日本にある湖では人間生活と密着した水源としての大切さから、数多くの湖でそうした調査が実施されているのだけれど、南極の湖が人間活動に直接かかわる部分があまりにも小さい故、かなり酔狂な自然科学者以外には「南極の湖の水質環境の変化を、連続して捉えたことで、それがいったいなんだっていうのだ？」と言われかねないこと。まして、湖は一年のほとんど氷で閉ざされているから、連続記録をとること自体かなり難しく厄介なのだ。しかし、酔狂な人にはそれなりの「面白さ」を感じて取り組む理由があることも、少しはご理解願いたい。面白さを覚えた第一の理由、まずはその変化実態が「未知であった」ということ。それらに引き続いて、湖は生き物をはぐくむ小宇宙のひとつであり、それを育んだ環境がいかなるものなのかという興味が第二。南極の湖では氷河から解放された地球の歴史のごく最近にはじまったもので、その中に生き物社会が構築されていることは再三ブログの中で紹介してきた面白みのある現象だ。そんな湖と生き物社会の構築を「変化し続ける地球という星の上で生き続けてきた生き物のアナロジー」として「みたてる」事が出来、その先に「生き続ける」という生命現象の答えを見つけることができるのではないか、そんな思いがある。それらのためには現在の湖環境を後の科学の俎上にあげることのできるようなレベルで記録し続け、振り返って変化の特性を描けるようにできればいい。そう思いながら南極観測の中で自分のできることをやってみた。</p>
<p class="ni"><a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201101/newbuil.jpg" class="search image"><img alt="newbuil.jpg" title="newbuil.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201101/newbuil.jpg"></a><br>
（写真：夏の間、老朽化した設備を時代に即した物へ更新したり、新たな観測設備を導入したりする工事が毎年繰り返されている。基地観測を実現させるために必要な所作なのだけれど、そんな人間活動は南極の環境にどんな影響を与えるのだろうか。そんな影響を土壌細菌相の変化で評価しようとする取り組みも（写真のペイントマークは観測定点）、長期にわたって実施されている）<br>
　<br>
　自然科学の中には大規模観測装置、中にはロケットや人工衛星という巨額の予算がその実現に必要なものもあるのだけれど、湖の観測は、同じ水の中を対象とする海洋研究よりもはるかに、「お手軽な」予算で実現できる。その意味で「見た目の華々しさ」はないし、着実なことから開始しようとするなら、ごく少人数でこじんまりとスタートさせることもできる。ただし、連綿とした観測データを得てその中から真理を見つけ出していくためには、喜び勇んで自然と対峙して取り組む情熱を持つ酔狂な弟子、若手を育てるという、お金以外の部分で努力が必要だ。でなければ一世一代で終わりということにもなりかねない。そのためにも、「面白さ」を記録し伝えなきゃ、いかんと思うのだ。未来の人の価値観のもとに使われる過去の記録し残し伝えた事実は、それが実施された時の予算の過多、人材投入規模とは、必ずしも比例した重要性をもつものと言い切れるものではないはずだ。実施した当時の価値観と（それが高いものほど予算が大きく人が群がりやすい故、成果は出やすいだろうが）、未来の価値観は同じである必然性は全くないからだ。華々しく展開させなきゃいけない科学もあるし、地道に途切れさせることなく続けるべき科学もあると思うのだ。</p>
<p class="ni">　評価は後からついてくるものだと信じて。</p>

</div>

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	<item>
		<title>南極の湖の物語　その４８</title>
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		<category>日記</category>
		<pubDate>Tue, 11 Jan 2011 07:09:06 GMT</pubDate>
		<author>工藤栄</author>
		<description><![CDATA[<div class="section">
<p class="ni">｢この夏」</p>
<p class="ni">　天候不順の10月から12月初めの今年の気候は、ここ昭和基地周辺の大陸縁辺に散在する露岩地帯の湖沼にどんな影響を及ぼすのだろう？湖を研究する者にとって、一年で2カ月ほど湖面の氷が消失する（ことがほとんどであるが、まれに氷が張ったまま夏が過ぎることも経験しているのだ）この夏の季節は、「普通のやり方の湖沼観測」ができる稼ぎ時、貴重な季節なのだ。そんな夏の始まりの状況が「いつもと違う」ように推移したのなら、その影響がどのように波及するのか気になるところ。だが、よく考えてみると、夏に限らず、季節の推移はおそらく地球が出来上がった頃から毎年繰り返されているモノ。それが時間という逆転したり停止したりしない融通の利かない流れの中での営まれているのだから、決して全く同じように廻り繰り返されてきたわけではないはずだ。同じようではあっても、それは毎回、確実に異なるのが真理。今年の夏は地球の一生の中でこの一度しかない。そのはずなのだが、<br>
「今年の夏は残暑が厳しかった」<br>
「梅雨時に雨が少なくって、水不足だ」<br>
とか、人はあたかも「毎年同じことが繰り返される」のが当然で、それを期待するかのように「平均的」捉え方をしてしまう。<br>
　南極で何か活動をしようと目論んだり南極に旅行に出かけたりすることは、ごく普通の社会生活をしている人にとっては「そう思うこと」自体、稀だろうし、そう思って努力をはじめてみても、「それを実現」できるかどうか、そんなに簡単なことではないと思う。だから、運よく（運悪く？）南極を訪れるチャンスを得た人にとって、そこで経験することは「初めてのことづくし」になるだろう。そんな、はじめて南極を探訪するような純真な気持ちになれば、現在経験している夏は唯一無二、「南極の夏とはそんなものナノダ」と素直に感じ受け止められよう。だが、半世紀以上続けてきた観測データをみたり、あるいは何の因果か「ここ十年ちょっと毎年のように」ここで夏を迎えるようになったちょっとスタンダードから外れてしまうようなすれっからしの南極観測隊員にありがちなのが、<br>
「なんだか、いつもと違うなあ…」<br>
などと、達観したような誤解をし（同じ夏などないのが「真理」なのに）、ブツクサと初めて南極を体験する人に語ってしまったりするものだ。これでは自然科学者として恥っさらしな「悟りきれていない」状態をさらけ出していることになるではないか。普通だとか常識だとかいう見方はきれいに捨て去って、「今、生じていること」を見つめてみる素直さが第一に大切で、積み重ねた経験由来の評価が先んじてはいけない、と思うのだ。<br>
　前置きはこのぐらいにしてっと。</p>
<p class="ni"><a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201101/Breidvargnipa.jpg" class="search image"><img alt="Breidvargnipa.jpg" title="Breidvargnipa.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201101/Breidvargnipa.jpg"></a></p>
<p class="ni">　南極はおよそ1400万平方キロメートルもある（日本の約37倍ともいわれている）大きな大陸だ。けれど、現在は97％以上が雪と氷で覆われており、かろうじて陸地が露出しているのは2％ちょっとしかないため、その露出している面積は日本の国土よりも小さいことになる。かつての氷期、数万～１０万年前には南極大陸はもっと寒く、現在露出している海岸部の露岩や沿岸の島々はもちろん、水深数百mの大陸棚までの沖合に至る範囲が厚い氷床ですっかりと覆われていたと言われている。その証拠が現在露出している沿岸の露岩や島々に氷河の爪痕として刻み残されていることは、以前紹介してもきたし、海底にも氷河が削り取った谷として残されている。また、現時点で陸地が露出している露岩域は地球の歴史からみればごく最近できた、そんな露岩域に湖がたくさん出来上がってきた、ということも以前のブログの中で語ってきた。<br>
　昭和基地は東経40°、南緯69°のリュツォホルム湾にある島嶼のひとつ、東オングル島にある。この湾の東側、「宗谷海岸」の大陸縁辺には連なるように露岩域がある。大きな南極大陸の沿岸をぐるっと見回してみても、この宗谷海岸ほど数多くの露岩が比較的狭い範囲に連なって存在している海岸は、実は、あんまりない。この地が南極大陸の中でもかなり珍しいエリアであることがわかるのだ（南極半島の西岸やエンダビーランド、北ビクトリアランドという場所の海岸にわずかにみられるぐらいなのだ）。沿岸にある露岩域のほかには、南極大陸で岩肌が露出している場所は大陸内部の氷床から顔を出した山脈（山岳）の山頂部（ヌナタクと呼ばれる）だけである。そんな数少ない沿岸の露岩域が連なるエリアに「昭和基地」があるのは、南極の湖を面白い対象として捉える輩にとって、今思うと、ものすごく幸運なことに巡り合った、と思える。<br>
　南極観測の当初、この昭和基地周辺は「到達不能」の地として、西欧諸国が、第二次世界大戦の敗戦から復興しようとしていた日本に観測の地として「残してくれた」厚い海氷に阻まれた僻地だったのだ。不屈の初世代観測隊が悪戦苦闘を繰り返し、いざ観測を始めてみると「オーロラ・オーバル」と呼ばれるオーロラ現象が観察しやすい極地を環状に取り囲むエリアに位置していたり、研究・観測対象としての露岩域に恵まれていたり。まさに「残りモノに福」があったのだから、南極観測を引き継いできた次世代は「災い転じて福となす」のが使命。こんな「地の利」を生かして賢さを世に示す絶好の機会としなきゃ、いけません。この先、「うまくできるかどうか」は、まさに自分たちの能力が問われるところで、この辺が少々、いや、かなり不安であるところが、私の至らぬところ。</p>
<p class="ni"><a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201101/Langnorth.jpg" class="search image"><img alt="Langnorth.jpg" title="Langnorth.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201101/Langnorth.jpg"></a></p>
<p class="ni">　現在、我々と観測・設営活動を交代をする観測隊が到着し、夏を迎えた露岩域をヘリコプターがひっきりなしに行きかうようになっている。そんな新たなチームにお願いして宗谷海岸に点在する露岩と湖周辺の航空写真を撮影してもらったのである。今回のブログに掲載した写真はこの年末、１２月３０日に撮影してもらったものである、よく晴れ渡った空に大陸氷床を遠景に赤茶けたむき出しの岩肌に囲まれた湖がきれいに映し出されていた。塩分濃度が極度に高くて「凍りにくくて溶けやすい」塩湖はすでに一片の氷も存在せずに湖水をあらわにしている（上の写真はラングホブデという名の露岩域の北にある「ざくろ池」の今夏の様子）。海と同じような塩分濃度の塩湖や淡水の湖沼は、この撮影時点ではようやく湖岸周辺で融け始めて湖水が顔を覗かしはじめたところのようである。氷河に接した「氷河前縁湖」は当然のようにしっかりした氷で覆われてはいるのだが、その湖に連なる下流側の湖の氷はすっかりと融け、さらにその流出口からは融け水があふれ出し、海へ滝となって流れ落ちている。この夏も確実に雪や氷、氷河が融け始めた事を物語っている（下の写真、ビボーグ・オーサネという露岩域の「からし池・はす池」）。</p>
<p class="ni"><a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201101/ByvagAsane.jpg" class="search image"><img alt="ByvagAsane.jpg" title="ByvagAsane.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201101/ByvagAsane.jpg"></a></p>
<p class="ni">　湖底に藻類やコケが寄り集まって種々の構造物を作り上げている現象は、これまで調べたところ、２m以上の水深のある淡水～やや塩分を含むこれら露岩域に点在する湖に普遍的に観とめられたことである。こんな湖の湖底で太陽の光をとらえて生き続けるモノにとって、この夏以降、「いつまで湖面を氷が覆い、それがいつ消失し、そして再びいつ覆われだすのか？」ということは、どんな影響を与えるものなのだろう？初夏に白っぽくなってしまった湖面を覆う氷は湖の中に透過浸入する光のエネルギーを1/5以下にカットしてしまうフィルターと化す。そんなフィルターが消え去ってしまう（かもしれない）夏というのは、いったいどんな作用をもたらすのだろうか？<br>
「ああ、この夏は日焼けしすぎなくって、いいわぁ！」<br>
「なにー、そんなのんきなことを言って！今しっかりと稼いでおかなきゃ、冬を越せないじゃないのさ！」<br>
「私、あなたたちが寝ている間に、もう稼いじゃったから心配ないわ」<br>
「ソロモンの指環」を手に入れて、あるいは「ドリトル先生」のように修練を重ねて、湖の中に生きるモノらの話を聞いてやれたならば、そんな会話を聞き止めて間違いなく伝え紹介してやることができるのだが。</p>
<p class="ni"><a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201101/Tenpyo.jpg" class="search image"><img alt="Tenpyo.jpg" title="Tenpyo.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201101/Tenpyo.jpg"></a></p>
<p class="ni">　10月に２mほどの厚さの氷で覆われ、その下に「大輪の華」のように多量の藻類の塊が一斉に浮上していた湖の氷もまた、湖岸周辺から融け始めていた（下の写真の湖）。おそらく今頃はその一部は湖岸に漂いついて、訪れた人に不思議な感覚を覚えさせているに違いない。浮き上がったばかりの柔らかな塊は、きっと今頃は、過去、自分が何度か夏に訪れて見つけたように固く丸く形が整って、こんがり焼かれたような「コロッケ」のようなものとなって湖岸に浮かんでいるのが見つかっているはずだ。もちろんその陰には（いや、主流なのはむしろ）、おそらくしっかりと新たな湖底へ着陸（再沈降）？を果たし、新たな生命活動を果たすことができたモノもいると思うのだ。</p>
<p class="ni"><a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201101/Skallen.jpg" class="search image"><img alt="Skallen.jpg" title="Skallen.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201101/Skallen.jpg"></a></p>
<p class="ni">　「この夏」は一度きりしかない。できることならすぐにでも湖のある露岩へ行って調査したいのだけれど、越冬隊長としての最後の任務、この昭和基地とここでの活動の一切を新たなチームに確実に引き継ぐことを終えぬ以上は、基地を離れるわけにはいかないのだ。それまでは、出かけるチャンスのある隊員たちを「ソロモンの指環」を得しモノと見立てて、写真や試料をとってくることをお願いしたり、そして何よりいも「この夏」を露岩で過ごしてきた土産話を聞くことにしているのだ。</p>
<p class="ni"><a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201101/Kizahashi.jpg" class="search image"><img alt="Kizahashi.jpg" title="Kizahashi.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201101/Kizahashi.jpg"></a></p>

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	</item>
	<item>
		<title>昭和基地の年末・年始</title>
		<link>http://www.akt.co.jp/akt-blog/adiary.cgi/nankyoku/080#tm1294028283</link>
		<guid>http://www.akt.co.jp/akt-blog/adiary.cgi/nankyoku/080</guid>
		<category>日記</category>
		<pubDate>Sun, 02 Jan 2011 13:46:07 GMT</pubDate>
		<author>工藤栄</author>
		<description><![CDATA[<div class="section">
<p class="ni">　あけましておめでとうございます。</p>
<p class="ni">　ここ、昭和基地でも年末年始、ゆく年を振り返り来る年を迎える行事を企画し、それらしさを演出し楽しみます。今年はこれらに加え、砕氷船しらせの接岸が、まさに年の瀬大晦日も終わろうとしている時刻となりましたから（12月31日23時20分接岸）、まさに「とどのつまり」で、年末の喧騒に華を添えました。「しらせ」が接岸すると、船に積み込まれた大量の物資が基地へと運び込まれますから、いよいよ夏の基地周辺の作業の山場を迎えることになるのです。元旦の休日をはさんで、まず最初に行われるのは、基地で使用する燃料の送油です。これに次いでしらせから橇に積み替えての大型物資海氷上輸送が始まります。これは安全を考慮して、海氷のコンディションが良い深夜の時間帯に実施されます。深夜といっても白夜の季節ですから、太陽は地平線に近い位置に昇っております。外は明るいのですが、それまで隊員は通常、日中に仕事をしており、その意味で生活リズムが突如｢深夜勤務」となるわけですから、これに携わる隊員は大変です。こんな作業が開始されると元旦の正月気分は強制終了、すぐさま一年で最もあわただしい時を迎えることになるのです。<br>
<a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201101/demukae.jpg" class="search image"><img alt="demukae.jpg" title="demukae.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201101/demukae.jpg"></a></p>
<p class="ni">　歳末。まずはしらせ接岸予定場所へ、目印となる風船を取り付けた横断幕を設置しておきました。氷を割り進みながらの航行ですから、海氷の状況によって所要時間が大幅に異なります。10kmを進むのに1日以上かかることもあるし、数時間ということもあるのです。一昨年は到着が未明の時刻帯となってしまい、目標物の設置が間に合わなかったということもありましたから、我々はかなり余裕を見積もって、おそらくどんなに早くてももう1日はかかるだろうな、という位置までしらせが接近した29日に設置したのでした。<br>
<a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201101/motituki.jpg" class="search image"><img alt="motituki.jpg" title="motituki.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201101/motituki.jpg"></a></p>
<p class="ni">　基地では大掃除のあと、しまいこんでいた臼と杵を引っ張りだしてきて、｢餅つき」を行いました。正月用の鏡餅、そしてお雑煮用などに新旧隊員の分あわせて一斗のもち米を蒸し、二升ずつ臼でつくこと5回。朝10時から初めて12時過ぎまでかかって完了させました。<br>
<a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201101/kakizome.jpg" class="search image"><img alt="kakizome.jpg" title="kakizome.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201101/kakizome.jpg"></a></p>
<p class="ni">　正月らしさを味わおうと、この越冬期間中の各自の思いをつづった｢書き初め」ならぬ｢書きおさめ」を31日に企画しました。それから基地の食堂にドラム缶で作った｢除夜の鐘」を設置、紅白の幕を張っていよいよとばかりお祝いムードを創りだします。今年は某テレビ局での南極からの中継もあり、大晦日の夜はこのためのリハーサルもあって、昭和時間の零時を過ぎるまで、実は行事の目白押しでもあったのですが（ちょっと裏事情の告白だね）。<br>
<a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201101/joya.jpg" class="search image"><img alt="joya.jpg" title="joya.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201101/joya.jpg"></a></p>
<p class="ni">　そんな南極からのテレビ中継をおえて、ようやくおせち料理にありついて乾杯！となったのでした。待ちくたびれたような隊員の表情も…。なにせこの大晦日の夕食は｢年越し蕎麦」だけでお酒も飲まずに深夜0時過ぎまで｢おあずけ状態」で過ごしていたのですから、仕方ありません。<br>
<a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201101/kanpai.jpg" class="search image"><img alt="kanpai.jpg" title="kanpai.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201101/kanpai.jpg"></a></p>
<p class="ni">　ちなみにおせち料理は、こんな感じ。これら食材は1年以上前に基地へ運び込んでいたものなのです。冷凍技術の進歩のおかげで、イセエビの刺身も堪能することができました。<br>
<a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201101/osechi2.jpg" class="search image"><img alt="osechi2.jpg" title="osechi2.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201101/osechi2.jpg"></a></p>

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	</item>
	<item>
		<title>誕生の現実</title>
		<link>http://www.akt.co.jp/akt-blog/adiary.cgi/nankyoku/079#tm1294031215</link>
		<guid>http://www.akt.co.jp/akt-blog/adiary.cgi/nankyoku/079</guid>
		<category>日記</category>
		<pubDate>Sun, 26 Dec 2010 09:45:21 GMT</pubDate>
		<author>工藤栄</author>
		<description><![CDATA[<div class="section">
<p class="ni">　おそらく今頃、日本では天皇陛下やイエス・キリストなど神々の末裔の誕生を祝福する行事が一段落し、残り少なくなった2010年の年の瀬ムード一色に切り替わっていることだろう。夏らしい天候が2週間ほど続いていた昭和基地、今日はちょっと中休み？なのか、朝から小雪交じりの天候となってしまっている。ここ昭和基地では我々と交代する新たな観測隊が到着し、基地周辺の人口が今のところ一気に3倍増（この先、しらせ乗組員も昭和基地の作業支援に上陸してくると基地内人口は200人を超えることもありうるから、28人しかいなかった越冬隊員にとってはものすごい混雑感となるのだ）となっている。基地内には物資を輸送するヘリコプターの音が響き渡り、夏期間の建設工事も開始されはじめたから、何というか一気に師走突入の喧騒となっているのだ。<br>
<a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201012/heriport.jpg" class="search image"><img alt="heriport.jpg" title="heriport.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201012/heriport.jpg"></a></p>
<p class="ni">　昭和基地の周りに人が活動し始める前の古からある喧騒といえば、夏のこの時期のアデリーペンギンルッカリー（集団営巣地）である。11月半ばに巣作りをして卵を温めだしたペンギンたちの雛が孵化するのがちょうどクリスマス頃なのだ。こうなると卵を産んで一時、栄養補給のために沖合の海に餌をとりに行った親鳥が帰ってくる。そして卵を温めていた片親と育児を交代するべく、お互いのパートナーを確認する儀式のオタケビのような鳴き声が響き渡るのだ。これに生まれたばかりのヒヨコのピーピーという鳴き声の協奏曲が奏でられるのだ。だからそれまで丸くうずくまってじっと卵を温めていた頃のひっそり感が消失し、ルッカリー周辺は一気に活気を帯びるのだ。</p>
<p class="ni">　12月に入ってからこのブログでもしばしば描いた隣の島のルッカリー。先週まではまだ親鳥が丸くなって卵を温めていただけであったのだけれど、もうそろそろ孵化しているはずだ。新たに到着した観測隊の仕事の支援を要請されたこともあって、今月に入って3度目となる探訪を実施したのだ、クリスマスの日を選んで。ここまで2週間の晴れた夏空は基地の周辺の凍結した海をも確実に溶かし始めてくれた。雪で覆われていなかった裸氷帯は急速に融け始め、氷の上に水たまり（パドル）をつくり始めている。先週までは小型雪上車で何の不安もなく海氷上を走行できていたのだけれど、そこから数日経過しているのだ。これまでの経験からくるちょっとした心配から、今回はより軽量で軽快なスノーモービルで向かうことにしたのである。<br>
　予想していたこととはいえ、ルート上にも水たまりが広がりはじめてきたので、走行がままならない。明らかな水たまりを避けたつもりでも、ところどころ海氷の上の薄氷が割れて隠れた水たまりが現れ、水しぶきを上げながら通過しなければいけない部分も生じはじめたのである。もはやこの次にここへ来るとしたら、近距離だけれどもヘリコプターを利用しなければなるまい、海氷上を乗り物で移動するのはこれで最後だな、と実感しながら、なんとか隣の島へとたどり着くことができた。<br>
<a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201012/paddle.jpg" class="search image"><img alt="paddle.jpg" title="paddle.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201012/paddle.jpg"></a></p>
<p class="ni">　この島には大小3つのルッカリーがある。三つの内二つは昭和基地の周辺のルッカリーとしては中規模のルッカリーで残りのひとつが100羽に満たない小規模のもの。11月半ばに中規模のルッカリーにたどり着いて繁殖活動を始めたペンギンはおよそ150～200羽であった。産卵を終えた母鳥が餌取りのため島を離れ、雄鳥が巣に残って卵を温め始めた時の数は、そのうちの一つのルッカリーでは12月はじめでおよそ60（もう一つの同規模のルッカリーでもほぼ同数であった）。これはおよそ150羽のうちの8割に相当する120羽の結婚？が成立し抱卵が始まったことを意味する。残りの2割はお互い気にいったパートナーを見出すことができなかったのか、それとももっとフクザツな事情があったのかはわからないのだけれど（人々のカップル成立確率と比べると…どうなんでしょ？はっきりした数値はわからないんだけれど）、まあ、なんとなく8割というのは、そこそこうまい具合にカップルが成立した気もするのだ。だから、ここまでは特別に違和感を覚えることなく今年もまたアデリーペンギン達のにぎやかな季節が始まったな、<br>
「さあて、12月に入って初めは天気が思わしくなかったけれど、このごろ暑いぐらいの気候が2週間続いたし、きっと順調に育っているだろうなあ。とすれば、そろそろ孵化してにぎやかになるころだぞ」<br>
と、思っていたのである。だがその実、先週の探訪の際に気がかりなことがあった。今月1度目の探訪の時よりも2度目の探訪の際に、卵を温めていた親鳥の数がなんだか急速に減少していたように思えたのだ。ルッカリー周辺にはペンギンの天敵、ナンキョクオオトウゾクカモメも巣をつくり、彼らもまたペンギンの隙をみて卵を狙って命がけで暮らしているから、この抱卵期にいくばくかのペンギンの卵が強奪されるのは「自然」なことではある。そんなことで、いくつかのペンギンは自分が温めたいた卵を奪われて、早々と今年の子育てから脱落してしまったんだろうな、そう思っていたのだった。そんな強奪のリスクに対処するためなのか、アデリーペンギンは、通常、2個の卵を産み育てるのだ。ひとつが奪われても、残りのひとつは集中してさえいれば、そうそう奪われちまうものではないだろうと思うのだが、今年はトウゾクカモメの攻撃が巧み過ぎるのか、それとも我が卵を守りきることのできない稚拙な親が多かったのかなあ、空になった巣を見てそう思っていたのだ。<br>
　1月中にペンギンルッカリーを訪れその周辺や親鳥が育てている子供の様子を観てみると、雛が親鳥と同じような大きさになる2月初めまでの間に、2羽の子供が無事に育つことが、かなり稀なことであることに気づかされる。これは孵化してから大人と同じサイズに育つこの期間、海の餌状況や外敵のせいで雛鳥のかなりの数が死んでしまうことを意味し、そんな過酷な物語を裏付けるようにルッカリーの周囲には雛や幼鳥の亡骸が多数ミイラ化してそこここにあるのである。こんな孵化してからひとり立ちするまでの過酷な状況はこれまでの経験から「何となく理解」したつもりになって半ば、｢常識」として感じていたのだけれど、まさか卵が孵化するまでの間に…。<br>
<a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201012/penchick.jpg" class="search image"><img alt="penchick.jpg" title="penchick.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201012/penchick.jpg"></a></p>
<p class="ni">　島のルッカリーに近づいていくと、親鳥の鳴き声に交じってかわいい声の雛の鳴き声も聞こえて来た。<br>
「あ、やっぱり生まれたね。もうそろそろだと思っていたんだよ。さあ行ってみよう」<br>
と後ろの隊員に声をかけて、スノーモービルを降りて島へと上陸した。島の手前の海の上には3羽の親鳥がお昼寝中。その脇を驚かさないように通り過ぎて、早速、とばかり、岩の斜面を登った日当たりのよいところにあるルッカリーへ行ってみたのである。そこにははたして生まれたばかりの雛を抱いているペンギンの姿が確かにあった。…ただ…その数、わずかに4羽、なのだ。<br>
　ここには60以上の巣があって、当初60羽の親鳥が卵を温めはじめていたはず。現在そこにいるのはどうやって数えても間違えようのない数、4羽しか、いないのだ。残り56羽の親たちの巣は無人というか無ペンギン状態で放棄されている。産卵から抱卵している段階で雛が孵化できたのは1割にも満たない。これはいったい何を意味するのだろうか。<br>
「あれ？この卵が無事に孵化する割合って、いつもそんな小さなものだったかなあ？」<br>
いやいや、違うはず。確かにトウゾクカモメに襲われて卵を盗まれてしまうペンギンもいるのだけれど、これまでの経験ではもっと確実に多数の家族の卵が孵化していたはずだ。この規模のルッカリーならば記憶にある限り、餌取りから戻ってきた親鳥も入り混じって100羽ほどとなり、隣近所での小競り合いも繰り広げられる喧騒極まりモノないものだったはず。なのに、これではまるで疫病に取りつかれたゴーストタウンではないか。<br>
<a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201012/Kalbenempty.jpg" class="search image"><img alt="Kalbenempty.jpg" title="Kalbenempty.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201012/Kalbenempty.jpg"></a></p>
<p class="ni">　もしかしてこのルッカリーにだけ、特別、何事かが起きてしまったのだろうか？そんな疑念も芽生えたのである。そこで、この島の中央にあるほぼ同規模のルッカリーも訪ねてみることにした。しかし…　そこでも抱卵している親鳥の姿は少なく、わずか3羽だったのである（そこではまだ孵化していなかった）。<br>
　はたして今年、ほかの島や大陸上のルッカリーはどんな事情なのだろう？今年のこの周辺のルッカリー共通のことなのか、それともたまたまこの島のルッカリーに限定して生じてしまった悲劇的事象なのか。孵化成功率が1割に満たないのは自分の限られた南極の夏の観測事情からは経験のなかったことなのだけれど、それはペンギンにとっては「よくあること」なのだろうか？卵が孵化するまでの間、親鳥は巣に丸くなって時折おなかの下の卵を動かすぐらいで、巣を離れてしまうわけではないように見える。こんなに慎重に卵を温めているだけの時期に、これほどの消失・損失が「普通に」生じるとは想像しづらいのだが。もしかして今年の海の状況が悪く（氷で閉ざされっぱなしである）最初に餌をとりに行ったオクサマがいつになっても帰ってこず、巣でじっと卵を温めていたダンナがおなかがすきすぎて限界、「モウ、オレサマモ、ナニカクワネバ、シンジマウ」極限状態になってしまい、卵を孵化させることを断念し、巣を離れたのかも。そしてあとに残された卵はトウゾクカモメの喰うに任せることになってしまったのかもしれない。そんなに厳しい海の状態ならば、この先、雛が生まれたとしても、餌が不足したり、巣から親鳥が離れたすきに外敵に襲われるなどして死亡する過酷さは、いつも以上の…。<br>
　今年、この日に生まれた雛は育ち旅立つことができるのだろうか、かなり心配でもある。これほどまでにこれらルッカリーで孵化することなく卵を消失させた原因は本当のところ何なのだろうか？今年のトウゾクカモメが強烈凶暴で、片っぱしから卵を狙い食いつくそうとしただけではあるまい？確かにルッカリー周辺にはそんな卵の殻が多数散らばってはいる。でも、それならばこの先、ごくごくわずかしかいなくなったペンギンの雛ゆえ、この先トウゾクカモメの子育てもうまくゆかないという悪循環に陥りはしないのか？<br>
<a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201012/Kalven.jpg" class="search image"><img alt="Kalven.jpg" title="Kalven.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201012/Kalven.jpg"></a></p>
<p class="ni">　自然は「いつも寛容なものではなく、だからといって、決していつも過酷なだけのもの」でもない。そんな中で生き物は「ただひたすらに生き続けよう」としているのだ。今回のペンギンルッカリーの出来事は、そんな自然のちょっとだけ悪いことやいいことことが、この極限の地に生きる生き物にとって、ものすごく大きな作用をもたらしてしまい、その存亡を左右しただけのことなのかもしれないのだ。<br>
　そんな自然の揺らぎの中でアデリーペンギンが生き続けていくためには、親鳥が確実に同じ数だけの次世代を一生の間に残す、それだけで成立することなのだ。その意味では、産卵と子育てを複数回繰り返すことができるならば、そのうちのごくわずかの回数だけ「うまくいけば」いいだけのこととなる。これは理屈上、頭では理解できることではある。だから、10年以上の寿命を持つとされるアデリーペンギンなのだから、場合によっては「全くうまくいかない年」が繰り返しあってもちっともおかしくはない。だけれど、今回のようにその後の巣立ちまでのもっと厳しい試練の期間が控えている前の卵の段階で、ここまで激減してしまったこと、その原因が私の頭ですぐにピンとこない故、驚きだったのである。そんなことも真実としてあるのか、と。だが…、考えようによっては卵の段階で早々に子育てをあきらめ、自らの命を維持するということに切り替える生き方はものすごく賢いことに思える。極限の地において｢自然が許せば卵を孵化させることもできるけれど、許さなければ早い段階で放棄すれば、その後、非常に困難を極めるだろうその年の子育てのエネルギーを節約し、自らが生きていくことに集中させることができる」のだ。そう見るとペンギンがこんな極限環境で生き続けてきた「うまいやり方」のような気がするではないか。そういうふうな自分の頭が落ち着いた考えに達するのに数日を要してしまった。相変わらず、ボンクラである。</p>
<p class="ni">　帰り際、ペンギンルッカリーから流れる雪解け水が残雪にしみこむところの雪が赤く染まっているのを見つけた。これは氷雪藻類の繁殖で生じた彩雪現象なのだ。生き物の生と死は隣り合わせ、ある生き物がうまくいかなかった同じ場所に、生きるチャンスを逃さずに増えたモノを、見出すこともできる。<br>
<a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201012/gandred.jpg" class="search image"><img alt="gandred.jpg" title="gandred.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201012/gandred.jpg"></a></p>

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	<item>
		<title>南極の湖の物語　その４７</title>
		<link>http://www.akt.co.jp/akt-blog/adiary.cgi/nankyoku/078#tm1292905873</link>
		<guid>http://www.akt.co.jp/akt-blog/adiary.cgi/nankyoku/078</guid>
		<category>日記</category>
		<pubDate>Mon, 20 Dec 2010 18:08:12 GMT</pubDate>
		<author>工藤栄</author>
		<description><![CDATA[<div class="section">
<p class="ni">｢風薫る季節」</p>
<p class="ni">　このところの精進の効果か、12月中旬に入ってから安定した晴天が続いてくれている。日中の最高気温はプラスの3から4℃。屋外で作業をしていると暑くてウインドヤッケなどの上着を着ていられないほどだ。除雪でスコップをふるっているとすぐに下着までびっしょりと、池にはまってしまったかのごとく濡れてしまうのだ。半そでで作業しても体感温度的にはOKなのだけれど、日差しと紫外線が強すぎるのでこれはNG。小一時間も屋外にいれば、露出した腕が真っ赤に腫れあがってしまうのだ。しかし…３℃ぐらいの気温で半袖で暑がっているのだから、この先文明社会に戻った時、普通に暮らしていけるのか？少々心配でもある。</p>
<p class="ni">　新たな隊の到着に、間に合わせることができるのだろうかと危ぶまれていた主要道路の除雪や夏季隊員宿舎の準備も（水源のダムが完全凍結し、液体の水が無かったのだ）、隊員たちの休日を返上しての残業に次ぐ残業と強烈な太陽の日差しで何とか整った。<br>
　除雪した道路は土が顔を出し、道脇の雪壁も融けて所々に水たまりをつくり、白い雪と青空を映しだしている。間違いなく数日の後には、にぎやかな連中が昭和基地へと降り立って活動をはじめ、今は人通りもないこの街道にトラックがひっきりなしに行きかうようになるのだ。<br>
<a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201012/jyoseturoad.jpg" class="search image"><img alt="jyoseturoad.jpg" title="jyoseturoad.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201012/jyoseturoad.jpg"></a></p>
<p class="ni">　新たな隊の迎え入れ準備として恒例の「布団干し」を、そんなある一日に実施した。新たな隊が夏の間に使用する布団。少しでも快適に使用できるようにと、南極の夏の強烈で紫外線も強い日差しで干して準備するというのが日本の観測隊の伝統として受け継がれているのである。昭和基地のヘリポートを竹ぼうきできれいに掃除してから、ビニルシートを敷いた上に布団を並べて日干しにしたのである。はたして布団文化圏でない外国基地では、こんな歓迎行事はないのだろうか？ベッド文化圏の国では、布団の日光で乾かすなどという所作はそもそもしないのか？湿気の多い日本ならではの行事なのかなあ？といろんなことを考えながら、ほぼ８ヶ月間使われることのなかった布団を日光の下で広げて乾燥させたのである。布団はふっくらと｢お日様の匂い」を蓄えて、とりこまれたのであった。時に太陽のもとで乾燥させた布団から感じられる独特の匂いというのは、何なのだろう？<br>
<a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201012/futon.jpg" class="search image"><img alt="futon.jpg" title="futon.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201012/futon.jpg"></a></p>
<p class="ni">　日本で暮らしているといろんな瞬間に風が運ぶ匂いにちょっとした驚きと興奮を覚えることがある。見目麗しい女性が通りすがりに放つ香り方面は、私の得意とするところではないので割愛するけれど（夕餉の時間に各家庭から漂うおいしそうな香り関係は得意なのだけれど、これも割愛）、「風薫る」というと新緑の若葉が芽を出す頃、爽快な草木の息吹を感じさせるようなものであろうし、真夏の湿度の高い草いきれ、あるいは夏の焼けつく日射しの砂浜の放つ匂い、にわか雨が来た直後の埃っぽい臭いなど、季節の移ろいをそれとなく感じさせたり、あまつさえ郷愁を感じさせたりするようなものがある。ここ南極ではそんな自然の移ろいを風の運ぶ香りで感じることができるのだろうか？すべてが凍りつくような極寒の季節にはさすがに｢風薫る」ようなものを感じることはできない。その季節にあるとすれば、限りなく無に近い冷たく張詰めた空気の透明感なのかもしれないけれど。だが、今は夏である。凍りついていたいろんなものから匂いも解き放たれる季節なのだ。ではでは、そのへんを実感して来ましょう、君たち！とばかり、元気な女性隊員たちが隣の島の沖合に設置した装置の点検に出かける機会のお手伝い人足（穴掘り要員なのだ）として出かける機会を無理やり創りだして出かけたのである。手に一冊の童話を携えて。<br>
<a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201012/GPS.jpg" class="search image"><img alt="GPS.jpg" title="GPS.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201012/GPS.jpg"></a></p>
<p class="ni">　隣の島のペンギンの営巣地（ルッカリー）のそばへ近づくと、特有の動物臭が漂ってくる。これはお世辞にもすがすがしい香りというわけにもいかないけれど、夏到来、生き物の躍動を感じさせるものがある。真夏の日差しを背中に浴びて丸くなって卵を温めているペンギンからは南極の自然の厳しさというよりも、なんとなく滑稽なモノを感じ、その姿に思わず笑みを浮かべてしまう。<br>
<a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201012/kozuepenguin1.jpg" class="search image"><img alt="kozuepenguin1.jpg" title="kozuepenguin1.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201012/kozuepenguin1.jpg"></a></p>
<p class="ni">　だけれど、先日まで温めていたであろう卵が割れて巣から転げ落ちているのを見つけちまうと、ペンギンはただじっと丸くなっているようだけれど、その実、隙を見せてしまえば、その脇でやはりこれもまた生の営みを始めたトウゾクカモメの餌食になってしまうのだ、彼らなりに必死に生きているのだという厳しい側面もうかがえるのだ。<br>
<a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201012/penegg.jpg" class="search image"><img alt="penegg.jpg" title="penegg.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201012/penegg.jpg"></a></p>
<p class="ni">　ペンギンのルッカリーの強烈な動物臭は、おそらくはしっかりとここで生きている生き物が放つ力強さなのだろうと思うのだ。そのルッカリーの周りにはしばしばナンキョクカワノリが繁茂しているのを見かける。雪解け水とともにルッカリーから運ばれる栄養を糧に、この藻類は緑の絨毯を敷き詰めるがごとく繁茂することがある。カワノリという名の通り、焼きそばに降りかける青海苔と同じような匂いがするのだ。ただし、ルッカリーの強烈な匂いのため、残念ながらカワノリ自身の匂いは積極的に感知しようとしなければ、そこに群生していても漂い感知されるものではない。<br>
<a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201012/kawanori.jpg" class="search image"><img alt="kawanori.jpg" title="kawanori.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201012/kawanori.jpg"></a></p>
<p class="ni">　｢開け放った窓から、突如入り込んだ木々の匂いに驚く女の子、こずえちゃん」の物語を手にしながら、南極の夏の到来を感じさせる匂いを探索する小旅行。今回の最後に海の氷の上に寝そべるアザラシ親子のそばへと足を進めてみた。アザラシは…じつはかなり魚っぽい匂いを漂わせるのである。調査のために捕まえようとしたり、海から呼吸のために突如顔を出した瞬間に遭遇し、息を吹きかけられたりした場合には、その匂いは強烈。ただし、ごく普通に観察のため５mぐらい距離を置いているならば、匂いを察知できるほどではない。ペンギンの営巣地は一言で言うと鳥小屋の匂いなのだが、アザラシのため息？もっと生臭さがあるのだ。おそらくは彼らの主食、魚由来の匂いなのだろう。ぬいぐるみのように愛嬌のある表情のアザラシではあるけれど、その匂いの強烈さにはしたたかに生きるものの貫禄のようなものを感じてしまうのだ。<br>
<a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201012/azarasicho.jpg" class="search image"><img alt="azarasicho.jpg" title="azarasicho.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201012/azarasicho.jpg"></a></p>
<p class="ni">　「こずえちゃん」の物語（童話）の作者、桜田陽子さんは私が生まれ育ったわずか５０軒ほどしかない集落で生活している女性である。この本は英語と日本語の見開き同時掲載の形式で出版されたものである。つい先日、故郷で生活している幼馴染の友人がこの本を南極の私に紹介してくれたのだった。風が運ぶふとした匂いや香りに心地よさを感じたり、季節の移り変わりや、生き物たちの気配を感じ味わいながら生活を送ることの豊かさを、私たち大人もまた忘れてはいけないなあ、と改めて思いながら、南極で感じることのできる匂いを確かめながらの今回の小旅行を終えたのでした。</p>
<p class="ni">　そうそう、これから南極の湖たちはこのまま夏の青空がああと半月も続けば、湖面を覆う氷が消失し水面が顔をのぞかせるのだ。一年で２カ月ほど解き放たれる湖面から放たれる湖の香り。湖にはそれぞれに異なった個性ある香りがある、少なくとも私はそう感じる。これを味わうには晴れて無風の湖にボートを浮かべ、オールで輝く水をかき進む際に、オールから伝い落ちる水滴が水面ではじけて弾み舞い踊る「水の妖精のダンス」あるいは｢水の子供たちの歓喜」を眺めながらが状況としてはもっともふさわしい、と思う。水滴が水面に落ちた瞬間、水の中に潜んでいた小さな小さな水の子供たちが驚いてはじけて弾み踊る様にも見て取れる「水の妖精、あるいは水の子供たちのダンス」ってどんなこと？と思われるかもしれないけれど、それはこれ以上はあえて教えないでおくことにするのだ。だって、体験すればわかること。教え過ぎは、不思議さやそれに出会った時の驚きや感動を薄めてしまうからね。</p>

</div>

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]]></description>
	</item>
	<item>
		<title>南極の湖の物語　その４６</title>
		<link>http://www.akt.co.jp/akt-blog/adiary.cgi/nankyoku/077#tm1292390550</link>
		<guid>http://www.akt.co.jp/akt-blog/adiary.cgi/nankyoku/077</guid>
		<category>日記</category>
		<pubDate>Tue, 14 Dec 2010 13:13:13 GMT</pubDate>
		<author>工藤栄</author>
		<description><![CDATA[<div class="section">
<p class="ni">｢湖の寿命・遷移あれこれ　その２」</p>
<p class="ni"><a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201012/river.jpg" class="search image"><img alt="river.jpg" title="river.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201012/river.jpg"></a></p>
<p class="ni">　ようやく3日である。何が？というと、太陽が夏の日差しで輝きだしてくれたこと。除雪を始めた道路に雪解け水が川のように流れ始めてくれたのだ。こうじゃなくっちゃ、夏が始まらない。過去の観測記録を紐解いて、この初夏の状況をレイセイに分析して、ここまで雪解けが進まなかったことを理解してみようと思う。<br>
　南極の初夏に相当するのは10月、11月というところだろう。この時期にブリザードが月2回というのは平年並みなのではあるけれど（12月に入ってすでに二回来ちゃったというのは、これまた別の意味で困った事態を引き起こしたのだけれど）気温が平年よりもはるかに低かったのは事実。これを引き起こしたのは、観測史上10月は二番目、11月は4番目に日照時間が短いという記録だったのだ。日照時間が長くなって日の沈まぬ白夜を迎えるこの季節、晴れ間が続いてくれさえすれば、あっという間に日照時間は増えるというモノ。日射しは大地を温め、雪解けを加速し、気温を上昇させる大切な要因だ。この二カ月の日照時間月別積算値をさらに積算してみると、323時間となった。これは実は10月と11月を初夏と定義すると、観測史上最も日照時間が短い初夏だったことが判明したのだ。これに続く悪い記録は1971年、329.7時間ということになるのだ。二ヶ月間続けて記録的に悪い物を足し合わせると、相乗効果で（この日本語と数学的意味合いが微妙だよなあ…、私科学者なのかなあ？）ここ半世紀で最悪なのだ。だから、今年の状況は『むべなるかな』ということ。したがって心情的にはここから晴天が続いて初夏の悪かった分を盛夏に取り戻してくれれば、と願うこの頃なのです。</p>
<p class="ni"><a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201012/phylos.jpg" class="search image"><img alt="phylos.jpg" title="phylos.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201012/phylos.jpg"></a></p>
<p class="ni">　そんな日射しがようやく訪れた夕食後のこと。我が観測隊で唯一、生まれてからこのかたペンギンの集団生活場所を訪ねたことが無かった隊員を無理やり連れ出して、海を渡って隣の島へ行ってみたのである。雪上車で30分余り走ってたどり着くその島の周辺は、まだ海の氷の姿は真冬が終わったばかりの安定感で、この先いつ融けだすのか？その気配すら感じさせないしっかりとしたものなのだった。その島には100つがい以上のペンギンが子育てをしている集団営巣地（ルッカリー）があるのだ。<br>
　島の周りにある潮位差で生じる割れ目のそばには、アザラシの親子が眠そうな表情でお昼寝中であった。アザラシ親子が何世帯か集まってお昼寝を見ると、氷が溶けだす夏であることがそこはかとなく実感されてくるもの。輝く日射しの中で眠そうにゆっくりと振り返るアザラシの表情には、真理を悟った哲学者を想起させるような深遠さが滲みだしている。<br>
「夏が始まったことを、君は（人間は）わからないのかね？何を余計な心配をしているのだ。心配してもどうになることでもないだろう？愚かな患いは捨て去り、この日射しを謳歌するのが、最高の時の使い方なのだよ。」<br>
そんなふうに、生まれたばかりのアザラシに諭されてしまった。ちなみにまだ生まれて一月ばかりの子供なのだけれども…、彼らが生まれながらに持っているモノの中には人間が死ぬまでに得ることができないモノが、なんとなくたくさん在る気がするのは、私だけだろうか？</p>
<p class="ni"><a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201012/lookback.jpg" class="search image"><img alt="lookback.jpg" title="lookback.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201012/lookback.jpg"></a><br>
　アデリーペンギンは先月半ばに島へと渡りたどり着いて集団で巣を構え、卵を産んで、今はひたすら丸くなって卵を温めている。トウゾクカモメもまたペンギンが歩きたどり着くのとほぼ時を同じくして、なぜかキチンと飛来してきて、ペンギンの集団営巣場所の脇でペンギンの隙をうかがいながら繁殖活動をはじめている。青い空に白く輝いて雪鳥が群れ飛んでいるから、彼ら南極昭和基地の常連・定住者はそれほど「特別な夏」じゃないよと言ってくれているようにも思うのだ。このほか今年はナンキョクアジサシの群飛来とナンキョクフルマカモメの飛ぶ姿も目撃したけど、これはちょっとした特別なのかどうかは、残念ながら私にはちょっとわからぬのだ。ごめんなさい。</p>
<p class="ni">　さて（かなり時候の挨拶的、前置きが長かった気もするのだが）、みなさん。湖の遷移ということをご存じだろうか？湖が出来上がってから潰えてしまうまでの間、自然状態では湖というモノはいくつかの特徴的な段階を経て移り変わっていくのだぞ、ということを｢さもわかったかのように」カタログ化したものだと理解していただければ、そう外れたものではない。何もない陸地のくぼみに水がたまった状態が湖の誕生の瞬間とすれば、それは、おおむねきれいな水だけで始まるはず（貧栄養環境）。そこに周りからいろんなモノが流入し、生き物が生活を始めるようになる。肥沃化しながら、通常、それが進行すると同時に堆積物がたまりこんでくるのだから湖の水深は徐々に浅くなってくる（富栄養化）。栄養がたまりこんできて水は中に繁殖する生き物や雑多なもので濁る（「水清ければ魚棲まず」の逆で、生物活動が盛んな状態なのだという意味で、最も湖が生き生きしている年代なのかもしれない。単純に人為的な汚染による富栄養化とは若干ニュアンスが（ニュアンスだけ）異なるもの、としてもやぶさかではない、けど、ぼくの心情的には一緒かな？と思えるところもあるので、あえて曖昧にしたいところ、なのだ）。<br>
　湖が浅くなってくると湖底から生える草本類が浸入しだし、湿地・湿原化する。やがては湿原が乾燥して草地へと移り変わってゆく。こんなのが湖の遷移（湿性遷移）とされているものだろうかな？それぞれはシームレスに連続したものではあろうけれど、さも「安定したステージ（極相）」がしばらく安定して持続するように見えたりするから、わざわざ遷移という生態学用語をつけて呼んだりするのだ。この所作は複雑で難しいモノゴトを単純化して万人が共通理解できるようにと努めた、人間だけが可能な行為の資するところなんだろう。単純化してでもわかりたい、わからせたい、わかったつもりにならなきゃ気持ち悪い、落ち着かない、という欲求のなせる技なんだと。<br>
<a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201012/Wongul.jpg" class="search image"><img alt="Wongul.jpg" title="Wongul.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201012/Wongul.jpg"></a></p>
<p class="ni">　南極の氷河がつくった湖は、海水に端を発しているものも稀にはあるけれど、大方は氷や雪の融け水が起源のものだ。氷河や陸地には肥沃な場所がほとんどないから（ペンギンや動物の集団生育地はかなりまれに隣接する湖をかなり肥沃化する原因とはなるのだけれど）、水そのものに栄養物質がほとんど含まれないのが普通だ。したがって、海起源（海水中には雪解け水や氷河の融け水に比べ１千倍以上の栄養物質が溶けている）や動物集団の生育地からの栄養の供給のない普通の南極の氷河湖は貧栄養環境からスタートすることになる。<br>
　何も栄養のないようなきれいな水の中で、小さな植物や細菌がジワリジワリと活動を始め、やがてその生き物たちは生き物らしく何とか希薄な栄養を集め創り出し、湖底に自らの死骸として堆積させていく。生物の死骸と生きた生き物からなる堆積物は低温のためゆっくりとしか分解されない。融け水はゆっくりとだが周辺から土砂を運びこれも一緒に湖底に堆積され、湖は次第に水深が浅くなっていくのだろう。湖底にたまった生き物起源の物質は、ゆっくりとしか分解しないものであったとしても、確実に湖を肥沃化する作用を持つはずである。この意味で南極の湖もまた貧栄養環境から次第に富栄養環境へとシフトするポテンシャルはあるはずだ。ただし富栄養化が進み、水深が浅くなったところで、おそらくはその湖中に草本が侵入し生え草原と化することは、陸上に花の咲く植物が大陸上で繁殖していない事実から、現状ではかなり難しいことだと思うし（極度に地球が温暖化して南極が亜寒帯程度になって草本類が南極大陸へこぞって侵入したら話は別だ）、現在、陸地でつつましく生き続けているコケや湖中のコケが今以上に繁茂して湿原化していくというのもまた難しそうだ。ある程度浅くなった段階で、氷の発達と機械的かく乱がコケの生育を邪魔してしまいそうだからね。現に毎年氷で覆われ削られる湖岸や湖棚にはコケが繁茂していない。だから、安定した湿原・湿地に遷移していくことは、この南極の環境だと成立しにくいような気もするのだ。<br>
<a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201012/tougamo.jpg" class="search image"><img alt="tougamo.jpg" title="tougamo.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201012/tougamo.jpg"></a></p>
<p class="ni">　前の氷期が明けた後で成立したとされる、まだ出来上がってから歴史の浅い南極の湖たち。これらの湖は富栄養化に至る段階にも達していないのかもしれない。それでも、既に湖底では藻類たちコケ類が繁茂して厚い堆積物を作り、その上に多様な不思議な形をつくりだしている。もしかしてこの多様な形をつくりだしている意味合いは、湖の遷移として富栄養化に伴う変化と応答のなせる技ととらえた方が理解しやすい現象なのかもしれない。これらの湖が貧栄養湖からこの先は富栄養湖へと教科書的な遷移をみせ、その中で現在の湖底に繁茂した藻類やコケがみせる形も変化していくのだろうか？はたまた遷移の中途で水を失ったり、完璧に凍結してしまう氷期を迎えたりして湖としての寿命を終えてしまうのか、私の興味の一端はそんなところにもあるのだ。<br>
　現在は地球上でもっとも澄んだ水をたたえている南極の湖たちの行く末はいかなるものなのか？その中で生き物はどんな世界を営み続けてくれるのか？地表に生きる我々に語ってくれる物語の翻訳者として少しでも役立てるなら、努力を続けていきたい、と、今回はいつも以上に神妙に今回のブログを結ぶのでした。</p>
<p class="ni">　でないと、この3日間安定させてくれた南極の天気の神様の機嫌を損ねちゃうかもしれないからね！</p>

</div>

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]]></description>
	</item>
	<item>
		<title>南極の湖の物語　その４５</title>
		<link>http://www.akt.co.jp/akt-blog/adiary.cgi/nankyoku/076#tm1292052184</link>
		<guid>http://www.akt.co.jp/akt-blog/adiary.cgi/nankyoku/076</guid>
		<category>日記</category>
		<pubDate>Mon, 06 Dec 2010 20:56:15 GMT</pubDate>
		<author>工藤栄</author>
		<description><![CDATA[<div class="section">
<p class="ni">「湖の寿命・遷移あれこれ１」</p>
<p class="ni"><a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201012/sandspray.jpg" class="search image"><img alt="sandspray.jpg" title="sandspray.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201012/sandspray.jpg"></a><br>
　白夜の真夏が始まった昭和基地なのだが、今一つ天気が良くない状況が続いている。すっきりとした青空の晴天がちっとも長続きしないのだ。ブリザードが吹きやんだ月はじめから春の｢淡雪」を思わせるような降雪がしばしばあって、砂まきをして融雪を促したつもりの雪面に、柔らかく覆いをかけてくれるもんだから、なかなか融雪が進まない。近年、予想精度がとてもよくなったと思われる気象予想では、今週、また明日あたりから吹雪くと見込まれている。すでにこちらへ向かっている第52次観測隊は暴風圏を通過中で、間もなく流氷や氷山を垣間見ることになる南極海へ入るというのに、この天候状況だと、彼らが到着する前にトラックが基地周りを走り回って荷物運搬や工事ができるように除雪することができるのか、かなり微妙な気もしてきた。科学の進歩・観測の積み重ねで正確な天気予報ができたところで、この先の限られた残された時間の中で、除雪を完了させ新たな隊を迎え入れることに対しては、ちっとも役には立たないのだ。悪いほうの予想は不必要な心配をあおり、いい方の予想はちょっとした安心感と慢心を導くだけ。我々自然科学の研究者が自然の仕組みを解明したところで、いまだ自然を思うように制御し得ないことと（この先も思うようには決してできまい）、共通するものがある。そんなすぐに役立つものではないものや、この先未来永劫役に立つかどうかもわからないものを、なぜ熱意をもって自然科学者は取り組むのかといえば、私の場合、｢自分で面白い｣と思っているから、というのが答えである。もっと立派な自然科学者たちはその人の人格に応じた別のきちんとした考えを持っているものだろうけれど（もしかしてここら辺が私のいけないところなのかもしれない）、それは私には知る由もないし、関心事ではないのが本音。<br>
<a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201012/jyosetsu.jpg" class="search image"><img alt="jyosetsu.jpg" title="jyosetsu.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201012/jyosetsu.jpg"></a></p>
<p class="ni">　52次隊を迎えるまでの時間が迫って、ことさら時間というモノに有限性や巻き戻しのできない不可逆性というような融通の利かなさを感じているこの頃なのだ。時間の流れの中にとどまったり、さかのぼったり、飛び越えたりするのは理論の世界でできたのかどうか、しっかりとは知らないのだけれど、理屈だけじゃなくて実体のあるものがそのような行為をSFの中の物語のように実現できるものなら、おそらくはそんな｢時間の流れの澱み｣の中に生活場所を見つけるような｢生き物」がとっくに存在し活躍しているのかもしれない。でもそれはもはや生き物というのもというよりも何か超越したモノなのかも。<br>
　それはともかく、現実世界では時は一方的に流れ過ぎ去ってゆき、その中で宇宙が生まれ、星が生まれ、我々の生活する地球もでき、地球の中に生命が誕生し、地球の環境とともに生命は進化して現在までに至っているのだろう。個々の生命は有限の寿命を持ち、地球や太陽を含めた星にも有限の寿命がある。おそらく宇宙にも寿命があるのかもしれない。そんな有限の時間を生き物はことさら小刻みに使うように多様化し生き続けているように思えてくる。もし、ひとつの星が誕生した時からその星が潰えてしまうまで、寿命という概念のないひとつの超生命体が終始独占して生き続ける、みたいなことは、この広い宇宙の中で果たしてあるのか？そんなことは成り立ち得ないのか？あるならば、それは生命体としての繁栄や絶滅の概念はない代わりに、星の環境変化一切にさらされても、過酷さも享楽さも感じる意味もなく、成すがまま為されるがままに物質とエネルギーを取り入れて代謝し永遠に存在するものなのだろう。なんか、そんなのは冥界、無限地獄の魑魅魍魎のようでもあり、有限の寿命に甘んじその中で面白さに興じている私なんかの想像と空想をはるかに超えるものなのだろうから、これはこれでおしまい。<br>
<a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201012/lakes.jpg" class="search image"><img alt="lakes.jpg" title="lakes.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201012/lakes.jpg"></a></p>
<p class="ni">　さてさて、小宇宙にたとえられる湖もまた、生命を内包し育み、有限の寿命の中で存在しているものだ。湖の場合、それはせいぜい100年ほどしかない人類の寿命をもってしても十分認識可能なレベルの寿命の長さ、といえる。ひとりの人の人生の中で湖ができ、消失する場面を体感、そんな場面に直面するかもしれないのだから。たとえば、豪雨の後、河川が氾濫して三日月湖ができたり、落窪ができたり、あるいは人為的だが川をせき止めてダム湖を作ったり、堰きとめられていた湖が地震などで決壊し消失したりするからね。こんなせっかちな湖ばかりではないけれど、現在の人類ホモ・サピエンスが地球上に出現し現在の隆盛？までの歴史を100万年とすると、それよりも長い寿命を保っている湖は世界にもおそらく数えるぐらいしかない。日本の琵琶湖はおよそ500万年という世界の長寿湖ベスト・テンに入るぐらいの異例の長さの歴史がありそうだけれど、そのほかの多くの湖はもっとごくごく最近に生まれたものである。もちろん雨上がりにできる水たまり以上には湖というぐらいだから十分寿命が長いだろうと思うけれど、水たまりと湖の違いの境界は？と問われると、湖の中には「さまよえる湖」のような季節的に突如砂漠地帯に出現し、消失するようなものまであるから、実は答えに窮してしまうのだ。<br>
　湖の水が水が失われると、それはかつての湖ではあれど、もはや現役の湖とは言えないものだろう。水を失ったら湖としての寿命は一旦終了としてみてもいいはずだ。上や下の写真にある凍結した湖沼群は、実は2mに満たない浅い湖盆なのだ。この程度の浅さだと、この場所の厳冬期（およそ5月から10月ごろまで）には湖底までしっかりと凍結するのだ。こんな湖は一見してとても奇麗に青い氷で覆われているから、深くて氷の下に液体のある湖（黒く吸い込まれそうな色合いの氷が発達する）とは容易に区別がつく。そんな浅い湖の場合、毎年のように液体の水は凍って失われるのだから、湖としての寿命は毎年終わってしまうと考えていいのだろうか？すっかり凍ってしまってた湖状のものというモノは、地面に氷が接しているようなものだから、よくよく考えていくと今度は南極大陸上にある氷河や氷床と区別するのが難しくもなってくるからなあ…。<br>
　昭和近辺のこうした浅い湖盆の凍結した湖に冬に穴を開けてみると、湖底の堆積物までは凍結しきっていないようで湿っぽい堆積物が採集されるのだ。その意味ではかろうじて堆積物中に液体の水が確保され、調べてみるとフレーク状の藻類が生きていたりするから、「これは湖じゃなくて季節的に生じる水たまりのようなもんだね！」と言い切って湖の研究から除外、ないがしろにしたら申し訳なく思えてしまう事情もある。さあ、困った。生き物の中には繰り返し生じる「いい環境」がその場にあるのなら、そのほかの不適な時間を活動休止して生き続けるモノも、かなり存在するのだから。「さまよえる湖」が出現するようなところで、その出現を期待してじっと「休止」して待つことのできる能力で、生き続けている生き物も実在するし…。となると、湖の寿命よりも湖の中で育まれている生き物の方の寿命が長い場合もありうるということだ。ということは生命活動の場、小宇宙である湖よりも長生きするということになる。とすると相対的には「無限に近い寿命、あるいは寿命という概念が適用できないモノ」が存在することを肯定する例と考えてもいいということになるのか？地球の寿命よりも長い寿命の生き物のようなものが地球上にいても不思議ではない、という理屈になるのだろうか？地球のような「いい住み場所となる星の出現」を渡り歩いて生き続けているというような…超生命体の存在は不思議ではないということになるのか？<br>
<a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201012/shallowlake.jpg" class="search image"><img alt="shallowlake.jpg" title="shallowlake.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201012/shallowlake.jpg"></a></p>
<p class="ni">　うーむ、極めて屁理屈っぽくなってしまって収拾がつかないや。どうしよう？次回は…</p>

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		<title>白瀬・開南丸南極探検100周年</title>
		<link>http://www.akt.co.jp/akt-blog/adiary.cgi/nankyoku/075#tm1291091407</link>
		<guid>http://www.akt.co.jp/akt-blog/adiary.cgi/nankyoku/075</guid>
		<category>日記</category>
		<pubDate>Sun, 28 Nov 2010 18:43:12 GMT</pubDate>
		<author>工藤栄</author>
		<description><![CDATA[<div class="section">
<p class="ni">｢南極中継裏話？」</p>
<p class="ni">　ちょうど100年前の11月28日、南極点到達を目指した白瀬矗率いる南極探検隊を乗せた海南丸が東京芝浦の港を出港した。歴史の偶然なのか、ノルウエーのアムンゼン隊、英国のスコット隊もまた時を同じくして、人類にとって未知の大陸奥地、南極点を目指していたのであった。アムンゼン・スコットは国家を挙げての探検。そんな中で白瀬もまた大日本帝国の国威を背負って探検に挑もうと画策したのだが、予算獲得に失敗。当時の政府は「一応許可、だけど予算執行には至らない」という、この手の確実なる成功が確約されたものではない探検とか冒険には腰が引けた対応しかできないという悪しき伝統に？従った「総論OK、個人的にもOK。だけどこれがうまくいく保証がない限り、いったいだれが責任を取るのだ?」みたいなセイロン部分で、出してもいいところまで了承されたが実際には予算公布されぬままで、世界的にも人類初となりうる南極点探検が開始されたのであった。この辺、それなりの立場に身を置く人が実施者の情熱とその実現へ向けた努力に深く同調し感じ入ったことならば、その場で（その場でなくともいいのだけれど）すぱっと、<br>
「俺が責任を取ってやる！だからやってみなはれ（西堀栄三郎第一次越冬隊長風）」<br>
と言い切るぐらいカッコいい政治家・官僚がでてこないものだろうか？<br>
<a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201011/books.jpg" class="search image"><img alt="books.jpg" title="books.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201011/books.jpg"></a></p>
<p class="ni">　そのチャレンジが「面白い」と思えるものであるのなら、私の責任でいいのならばいくらでも捧げてやるのだが（責任の「大安売り」「バーゲン」をやってもいい、私の責任でよければ、ね）、残念なことに私は政治家でも官僚でもない。人類に役に立つかどうかもわからぬ単なる自然科学者である。だから、よくあるような責任の取り方、辞職・更迭みたいな私の職業上の解雇などを代償に取ったとしても、何の責任をとったことになりはすまい。そんな私にでも今できることはひとつだけある。我が28名の越冬隊員のやんちゃさを、自分の責任において許容してあげることだ。それぐらいしかできないというのも事実。いくらでも責任を取ってやる覚悟はあるのに、残念だ。<br>
　あ、ところで、越冬隊長としての責任とはどう取ればいいのか？本当の責任の取り方とは一体何なのか？そのへんのところが、いまいちよくわかってもいない私でもある。我が越冬隊の行動の責任を取るべく、別に私が現在の職場から解雇を申し渡されることになっても、それですむのならいくらでも解雇されてもいい（責任を取る回数に応じ解雇と雇用を繰り返さなければならないのがムズカシイところではある）。でも、それが「責任をとった」ことにはならないような気もするのだ。むしろ日本人の古式ゆかしく「水に流す」とか、南極らしく「氷雪に埋もれさせ」百万年先に霧散させた方が、なんとなく「責任を取れた」つもりになれそうな気もしてきた。<br>
　51次越冬隊の諸君、気を付けたまえ！いくらでも責任をとる心構えはあるし、そうするつもりなのだが、その具体的とり方を全く理解していない隊長が<br>
「俺が責任をとるから、やってみな！」<br>
といった時には。ふふふふふ。</p>
<p class="ni">かなりわき道にそれてしまったきがする。白瀬・開南丸の話に戻そう。</p>
<p class="ni">　子供時代からの未知の極寒の地への探検の夢の実現。そして、年齢上もこの機を逃すと後は老いてなすすべもなく行き過ぎてしまう、みたいな決死の覚悟もあったんだと思う。幸い彼の探検の情熱は国民からの寄付を受け支援されることとなり、不足分は「まあ、あとはうまくいけば何とかなるさ！」みたいなところまでこぎつけた。実際には南極探検を終えてから莫大な借金を背負うこととなったのだが、何とか実現の目処がたったのであった。軍艦を傭船する計画が、予算が伴わないから借り上げが反故になり、何とか中古の船を買い上げてこれを改修して蒸気機関を取り付けた。そんな｢海南丸」という200トンちょっとの機帆船で暴風圏を超えた南氷洋に挑んだのである。機関馬力わずか18馬力ちょっと…いまどきの小型オートバイ（125cc）未満の機関出力で、暴風圏を超え、氷海を越えて南極大陸に至ることができるのか？小舟には小船なりの氷海航行のテクニックがあることはあるのではあるが…。<br>
　最初の挑戦は、到着した時すでに遅く、南極の早い冬の到来のために南極大陸を目前にして南氷洋からの撤退を余儀なくされた。一旦オーストラリア・シドニーまで引き返して態勢を立て直し（シドニーでキャンプ生活）、翌シーズン早々に再び南極へ。白瀬隊が南極大陸のとりつき口の湾に錨をおろしたのである。そのころ、実はアムンゼン隊は一足早く南極点にたどり着いて復路途中、そしてスコット隊は悪戦苦闘しながら南極点を目指していた頃に相当する。開南丸が投錨した湾にはアムンゼン隊のフラム号も停泊していたと聞く。アムンゼン隊もまた極点に向けた探検を同じ場所から行っていたのである。貧弱な装備にもかかわらず、南極の自然に果敢に挑んだ白瀬隊と開南丸だが…。夏が終わろうとしている南極の自然は、もちろん容赦なく探検者たちを翻弄した。冬の訪れの前に帰着したアムンゼン隊は極点初到達の栄誉を手にし、出遅れたスコット隊は極点に到達するも、復路で全員の遭難死。白瀬隊は中途での撤退を余儀なくされた。そんな南極での壮絶なドラマが100年前にあったのだ。<br>
<a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201011/stillbli.jpg" class="search image"><img alt="stillbli.jpg" title="stillbli.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201011/stillbli.jpg"></a></p>
<p class="ni">　そんな記念日の今日、開南丸の出港の地である東京は芝浦と南極昭和基地をTV会議システムで結んでの生中継講演会が催されたのである。壮絶な南極の自然に挑んだ100年前の探検家たちを祝福してなのか、それとも現代の観測隊に当時の厳しさを偲ばせ、かつ、思い知らしめる、という神のご配慮なのか。もはや日が沈むことのない真夏を迎えた昭和基地であるにもかかわらず、視界が50mに満たないひどいブリザードになってしまっているのだ。白瀬の探検から100年、そして我々、日本の観測隊の活動が始まってから50年以上が経過し、いろんな南極の姿が人類の知識として得られてきた現在とはいえ、「南極の自然環境の厳しさ」自体は100年前も今も何一つ変わりはしないのだ。ただ、白瀬隊を始め、先人たちの努力のおかげで増えた知識は、新たな技術を発展させ、南極の自然へのより安全な対処を可能にしたのである。おかげで我々のような探検家ではない人でもこうやって南極で活動できるようになっているのだ。<br>
<a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201011/screen.jpg" class="search image"><img alt="screen.jpg" title="screen.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201011/screen.jpg"></a></p>
<p class="ni">　技術の発達の一端で、現在では日本と南極とのテレビ中継がきわめて容易にできるようになっている。おかげで月平均4回は、今回のような南極からの中継イベント、あるいは日本の学校とを結んだ｢南極授業」という行事を行っているのだ。日本へ向けたメッセージをリアルタイム・生中継で届けられるのは、きっとさすがにすごいことなのだろうけれど、一年間、毎週どこかしらと結んで中継を行うということは、その番組（シナリオ）作りやリハーサルなどで、かなりの隊員たちの時間を費やして運営しなければ成り立たないという側面を持っているだ。技術の進歩が創り出した「ゆとり」が生んだ観測隊の新たな｢本業」のひとつ、国民への情報提供サービスなのだと思いこんで、ここまで何とかこなしてきたのだが…正直、かなり「本気に取り組まないと大変」な仕事となっているのだ。残すところ12月のひと月で、その大変な業務も完了となるわけだ。さあて、今回はどんな番組にしてやろうかな？<br>
<a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201011/chukei.jpg" class="search image"><img alt="chukei.jpg" title="chukei.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201011/chukei.jpg"></a></p>
<p class="ni">　あ、もしかしてこのブログも秋田テレビが白瀬の南極探検100周年を記念して企画したものではなかったか？ならば、あまりお粗末なTV中継とならぬように準備しなきゃいけない。そう思って、数日前から100年前の白瀬中尉・アムンゼン・スコットをはじめとするその時代の極地探検のエキスパートの探検記や南極観測発足当時の著作物を、寝物語にめくって予習しておいたのだった。<br>
　本日の芝浦の会場には、以前、私と越冬を共にした朝日新聞の中山記者を始め数名の第45次越冬隊の面々、そして今年の夏で活動を共にした51次夏隊員が集っていると聞く。彼ら彼女らがなにやら南極での活動の今と昔の様子を南極中継の前に面白おかしく紹介するパフォーマンスをやってくれるらしいぞ、という裏情報も南極に届いていたのだ。本番前に会場と試験接続をすると、懐かしい仲間の顔が飛び込んできた。本番を前にマスコミの人、中山由美ちゃんは別として、借り出された会場の仲間は緊張気味の表情を隠せないでいる。さて、果たして彼らは何をやるのだろう？<br>
　南極と会場を繋いだ試験交信で、相互の通信に異常が無いことを確認していると、次々に会場にお客さんが入ってきた。こちらは若い子供たちがかなり来るのかな？と、いつもの小中学生対象の南極教室のような状況を想定していたのである。だが、思いのほか年齢層が高い。高いにもここまでなのかというほど、非常に高い。そればかりか次々と入場してくるご年配の方々には独特のひとくせもふたくせもありそうな面持ち…よく見るまでもなく、見知った顔がそこここに散見されるのである。なんとこの業界（南極観測）のOBたちではないか、それも観測隊黎明期の。そんな老獪な人々相手に、いまさらここで｢南極探検とは」とか｢南極観測とは」と語り始めるわけにはいかぬ…「こりゃちとまいったなあ…これはまずは前座の（失礼！）仲間のパフォーマンスの会場の反応を見て対処するしかあるまいて。頑張ってくれたまえ、諸君。」<br>
と思いながら、南極とつないだままのカメラ越しに会場の様子を伺うことにしたのである。<br>
　いざパフォーマンスが始まった。仲間の熱演とは裏腹に、<br>
「いまさら、この若者たちは何を伝えようとしているのか？」<br>
みたいな覚めた雰囲気がご老人達から発せられるのが、仲間のギャグの滑りの合間に見えてきたりもする。<br>
「ああ、こりゃ、結構シビアなTV中継になりそうだねえ。子供相手の準備しかしていないし、どうしたもんだろうか？」<br>
のような会話をしながらパフォーマンスの行方を見守る昭和基地の仲間。始まっちまえば小手先の対応で修正がきくようなものでもあるまい。ここは、現地中継担当の極悪の自然を前にした真に迫る心の叫びのようなモノを素直に押し出すしかないな！こちらの切り札は極悪のブリザード中継だ。</p>
<p class="ni">　昭和からの中継が始まった。ブリザードに翻弄されながらの状況の中継。会場の観客の様子から、南極を知り尽くしたOBも、そして初めて南極の自然の厳しさを目の当たりにする観客も、「固唾をのんで」昭和基地からの中継映像を見いっている姿が映し出されている。<br>
「ああ、いいぞ！雰囲気を一気に持ってこれた！」<br>
細かい演出よりも生の現実、<br>
「百発の空砲は一発の実弾にシカズ」<br>
かつて、白瀬隊を送りだした大隅伯爵の名言の再現でもある。ここまで会場の雰囲気を持ってこれたら、後は、こっちの主導権で終わりに向かえば、盛り上がりのうちにこの記念イベントを終わらせることができるぞ、と、この時、あらためて南極の神様に感謝したのであったのです。<br>
<a href="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201011/road.jpg" class="search image"><img alt="road.jpg" title="road.jpg" src="http://www.akt.co.jp/akt-blog/public/image/nankyoku/201011/road.jpg"></a></p>
<p class="ni">　とは言え、まあ、イベントはおそらくはうまくいったと自画自賛する範囲で終わってくれたけれど、ここのところいい天気を利用して除雪を始めた昭和基地周辺の事情に与える今回のブリザードの影響はいかがなものか？数日・数週間かけて除雪を終わらせたつもりになったエリアに再びどんな吹き溜まりをつくっちゃっているんだろう？そこんところが「新たな悩ましいこと」なんですなあ。<br>
　まあ、いいか。ペンギンも卵を温めだしたし、アザラシも子育てをしているし。人間よりもはるかに自然と密着して昔からこの地で生活している彼らが、確実にそんな夏らしい活動を始めたのだから、焦ることはないさ。夏が来ているのだよ、ってね。だから、平均的には悪いことをさらに上回るいいことを期待してもいいはず、だよね？この先？？</p>

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