メッセージ欄
2010年8月の日記
▼ 2010/08/29(日) 三寒四温もお手のもの?
「湖の物語番外編」である。今週は全く外出せずに、代わって仲間の野外での仕事の動向を基地で見守るという、全く隊長みたいな役回りで過ごしたのだ。もしかしてこれが私の本務だったのかもしれない。どちらかというと基地で采配を振るうよりも野外で動き回っている方が得意な「回遊魚的性質」を持ち合わせているので、8月の野外観測シーズン立ち上げに、適材適所とばかり、率先して野外へと隊員を誘っていたわけなのだ。軌道に乗ってきたところでブリザード。で、私の出番が中休みとなった隙に、隊員たちに「今週は我々にまかせなさい」と(まあ、当初からそんな感じの計画をしてはいたのだが)、野外活動の主導権をはく奪された?感もある。とはいえ、私はやろうと思えばきちんと留守番もできるのである(このことは二歳になる我が息子よりは確実にしっかりしていることを物語るものだ)。
故、湖関係の書き伝えたいことの取材不足?ということで、久々に水っぽくない話をちょっとだけ掲載してみよう。

すっかり明るい時間が長くなってきた8月、隊員たちは屋外に出て「南極の空」を感じる機会が増えてくる。太陽の光がまるで「ろうそくの火のように立ち上った姿のサンピラー(太陽柱)が出ているぞ!」こんな現象があると、発見した隊員は無線機で基地の通信室に直ちに通報し(屋外に出る際に隊員たちは無線機を必ず携帯していくのだ)、それを受けた通信隊員は全館放送で屋内作業をしている隊員へも教えてくれるのである。サンピラーは太陽が地平線に顔を出す間際から地平線のそばにいる時で、「ダイヤモンドダスト」などが静かに舞い降りているような現象が重なった場合に見ることができるのだ。太陽が地平線から離れてしまうと、この光の柱は消えてしまうから、見どころとしては数分から、まあ長くて30分ぐらい限定の現象である。南極の大気は地球上でもっとも清澄だといわれている。だから、空の色や雲、月や星やお日様の姿に至るまで、その形や輝き、色彩やうつろい方を濁りなしに愛でることができるというもの。人生の中で夜明けや夕暮れの低くたなびきたる雲などの移ろいをこれほどまで眺める機会は、この先、漁師にでもならん限りないだろうな、と思えるほど観賞して暮らしている南極越冬生活者なのだ。

南極でも太陽や月が「笠(傘?どっちの漢字が正しいのかなあ?)をかぶった」ように見えることがある。これは日本でもこれから次第に天気が悪くなっていくような時に見られる現象だ。ここでは太陽や月がその外周に笠をかぶっているような輪郭が見え、笠の円周と水平方向にのばした直径が交わるところにひときわ明るい「幻日(げんじつ)」が見えることもよくある。コンディションが良ければ水平方向ばかりではなく、確か鉛直方向にも見え、都合、4つほどの輝く太陽となることもあった気がするけれど、今週見えたのはひとつの本物の太陽と、2つの幻の太陽だった。

太陽が地平線を離れて高く昇ってくると、宇宙まで見えそうな空の深い青さに目を奪われる。空気のきれいさもさることながら、ここから10月までの季節は南極上空の「オゾン層」が消失したかのようになる、オゾンの極度に少ない「オゾン・ホール」が出現する時期でもある。したがって地表に到達する普通の太陽の光に加え、紫外線までもが地表へと届きやすくなる効果なのだろう、その青の深さは決して日本では感じることのできない色合いとなる。
上の写真のような快晴ならば、8月の極寒期には放射冷却を伴って、ごく普通に−30℃以下の気温になる。今年はまだ−40℃以下に達する最低気温にはなっていないのだけれど、過去の記録をみると9月上旬に−45℃という歴代1位の最低気温だったとあるから、あといま少し、心して快晴の日々を迎えなければなるまい。ちなみに−30℃以下になると、いくら快晴であろうとも、外で使用している重機や道具のエンジンなどが素直には始動しなくなるし、ごくわずかなそよ風がまるで冷凍倉庫につるした牛肉や一本物のマグロを隅々までキンキンに凍りつかせるように作用するから、肌が露出していようものならものの1分ほどで凍傷になってしまうから注意が必要なのだ。

いまひとつ用心しなければいけないのは、「お空は晴れている」にもかかわらず、突如、大陸上から雪煙を伴って「地吹雪」が舞い降りてくることがあることだ。基地から離れ、海の氷の上で作業していたり、雪上車を運転していたりする時にこれに遭遇すると、「全く何にも見えない」という状況になってしまう。特に「追い風」で走っているような時だと最悪。車のフロントガラスの前に雪が舞ってどうしようもない状況になる。この辺のことは多かれ少なかれ、風の強い雪国の人ならば経験のあることだろうけど、それにしても全く遮蔽物のない南極の大陸上や海の氷の上ならばこそ、逃げるに逃げる場所もない、動くに動きようもないという、きわめて深刻な気持ちを味わうことになるのだ。こんな時には「じっと我慢」でやり過ごすというのも上策。なにぶん空は晴れているのなら(上空を見上げると太陽や青空が見えるくせに、水平方向は真っ白でなーんも見えない)、待てば風の息つく隙間に進むべき目標が見えるもの。
だが、巨大低気圧接近の猛吹雪、ブリザードの時には外にいちゃあ、命がいくつあっても足りないのだな。平均風速(平均ですよ)30m/s以上で3日間続く、みたいなことがごく標準的に毎月あってもおかしくありません!てなところが南極なのですから。30m/sを超えると当然のことながら普通に立っていることもおぼつかないし、しっかりした基地の建物の中に居てさえ、時速250kmで走っている新幹線に乗っているような感じの振動と揺れを感じるのだ。日本の台風にしろ冬の暴風雪にしろ、「ひどい状況が数時間、それをやり過ごせば何とかなりそう」という経験則に基づく感覚が、ここ南極のブリザードだと「1日だったらいい方、3日以上このまま続くということも覚悟しなければなるまい」と辛抱の桁数を繰り上げなきゃいけないのですよ。
実はこの時期、ブリザードの時には気温が最も高くなる。昨日の快晴の時には-35℃だったのが、ブリザードの急襲に伴いどんどん気温上昇、-5℃ぐらいまでに数時間でかわる、なんてことが普通なのだ。気温差にして30℃。ブリザードや快晴の日が交互に繰り返せば、この時期はそんな大きな気温の変化を経験しちまうことになる。三寒四温の決定版、キング・オブ・三寒四温。こんな極寒期をやり過ごし9月のお彼岸を迎えるころにはそこまで気温の低下はなくなるから、ブリザードが北の暖気を暴力的に持ち込んだとしても、気温の変動幅は小さくなってくれる。「暑さ寒さも彼岸まで」の諺は、ここ南極でもその意味合い・度合いを極度に増した様相ながら、きわめて的を得た人生訓?となっているのだ。

数日の短期の野外観測旅行ならば、そんな巨大低気圧の接近の気配を天気図と予報に基づいて出発日時を調整できるから、出先でわざわざ観測小屋や雪上車内から一歩も外に出られないようなことには遭遇する確率はきわめて小さい。だけれど、観測の都合で2,3週間続けて滞在し続けなければ仕事を完了させることができないとなると、出先で幾度かはそんなブリザードに遭遇してそれをやり過ごさなければならないことになる。天気予報も最近はものすごく精度がよくなってきたとはいえ、完璧なものでは到底ない。だから、近場の短期間の旅行の際に天気予報に基づいて計画して動いていたとしても、予想よりも低気圧の進路が変わったり足が速くなったりとかで、旅先で仕事が終わって戻ろうとしているときに、一足早く荒れ始め、仕方なく旅先で停滞せざるを得ない、というのもよくあることである。
我が隊は野外観測旅行シーズンが開幕したばかりで、幸いにも、まだだれも「野外での停滞」をここまでは経験することなく経過してくれてはいる。この先、全く停滞なしで終了することは望んでも実現できないことなのかもしれないのだが(比較的長期の旅行計画もある故)、そんなことに遭遇した時に、「来るべきものが来ただけ、あがいてもどうしようもないから、ま、この状況というモノを味わいましょ、なんとか」とおおらかな気持ちで乗り越えてほしいのですね。

ブリザードや地吹雪で何も見えず白一色、どちらが真上でどちらが下なのか、そんな感覚すらも失ってしまう状態を期せずして味わってしまった、とか、ゆっくりと暮れていく空の深みに星が一つ二つ輝きだす夕暮れのグラデーションに心奪われたとか、そんな南極の自然の厳しさ、美しさ、奥深さを語りつつキャンプ地での夕食を囲む。そんな体験を一緒に生活している隊員たちにさせてあげたいなあ、と思うわけです。
▼ 2010/08/21(土) 南極の湖の物語 その30
「海のなごり」
先週の穏やかに晴れ、そして空気をも凍りつかせる寒さの天候はその週末にいったん終了。きわめて強いブリザードの波状攻撃で今週が始まった。今週もまた野外へ4泊の旅行を企て、メンバーを募っていたのだ。だが、それもかなわず、わずかにブリザードの隙間に訪れた一日の晴れ間限定で、日帰りで「必要最低限」の仕事、この冬の間にドアが吹き飛ばされてしまったとある観測小屋の修理、をやってくることにとどまってしまったのである。翌日からもまた外出できないほどのブリザードに見舞われたから、野外観測旅行を日帰りまでに短縮したことは「冷静に南極の自然の猛威を先読みした」判断となるのだが、この野外旅行のためにスケジュール調整をして待ち望んでくれた隊員にとっては、なんだか申し訳ない気もしてしまう。旅先で南極の猛威に遭遇しなかったことはおおいな救なのだけれどね。
ブリザードの合間の穏やかな天候は先週の旅行時よりも気温で10℃以上も高く(マイナス20℃ぐらい)、昼食などは海の氷の上に車座になって手袋を着けずに弁当をゆっくりと食べることができるほどだったし、仕事もスムーズに完遂させたわけだから、この日帰り旅行はそれほど不完全燃焼の旅ではなかったはず、と参加した隊員が思ってくれたら幸いだ。出発前には、朝焼けに染まった雲が赤く輝いていた。

今週の旅行で実施した観測小屋の修理について語ってもいいのだけれど、これはちょっとブログタイトル「湖の話」とはチト離れてしまうから、まあ、割愛しようかな。この小屋は我々越冬隊が今回使う予定は全くないもの。この次の夏にペンギンの研究者たちが夏の間に滞在して本格的な調査活動にしばらくぶりに(6年ぶりになるはず)使う予定なのだ。だから、我々越冬隊が彼らが来た折に速やかに使えるように維持管理してあげたまで。こうしたことも越冬隊の仕事のひとつなのだ。また、小屋は沿岸調査旅行の際の「避難小屋」としての機能もあるので、しばらく使わないからといって荒れるがままにしておくわけにはいかないわけだ。

話は先週の旅行の際に、唯一実施できた湖沼観測までさかのぼる。夜の空には指でつまむとポキンと折れそうな上弦の月と南の星空、そしてオーロラまでもが乱舞していた時の話(この写真は一緒に出かけた立本隊員が撮影したもの、私の手持ちのコンパクトカメラでは残念ながらどうやってもここまで鮮明に夜空をとることができない)。このとき実施したのはラングホブデの中央部に「妖怪の指」のように3本並んで南へ伸びている岬のひとつにある「ぬるめ池」での湖沼観測だ。この3つ並ぶ岬は、親指岬、中指岬、小指岬と名付けられており、氷河が覆っていたころは大方海に沈んでいた陸地のようなのである。最近になって、といってもおよそ1万年ぐらいなのだろうか、陸地が隆起してこれら岬のところどころに海を閉じ込めたような、あるいは海とつながった湖ができてきたのだ。「ぬるめ池」はそんな湖のひとつで、その湖水は平均して海水よりもやや塩分濃度が高いのだ。ということは隔離されてから現在に至る過程で、水の蒸発が進んで「煮詰まって」きている湖ということ。今回の調査で凍結した氷で覆われた下にある水は-2.2℃だった。凍った海の海水が-1.8℃であることから考えても、「ああ、海水よりも低い温度で凍らないわけだから、海水よりも塩分が濃いんだね」と判断できるのだよ。
いまひとつ、このエリアには「親指池」という、現在でも海との間に割合に大きな出入り口でつながっている湖もある。ただし、前回も書いたが、このときにはなにぶん低温過ぎて、ドリルのエンジンかからず、観測機器はガチガチ氷漬けで動かずで、この湖での観測は次回へと繰り越しとなってしまったのだ。これらの湖に加え、そばの海を対比させると、海が閉じ込められて孤立した湖となっていく過程が描き出せるかもしれず、その中での生き物の移り変わりなんかが見えるのかもしれないので、観測を実現させて今年中に何らかの決着をつけてみたいのだ。

この夏にすっかり氷が融けていたぬるめ池には、真冬の今はしっかりと凍りつき閉ざされていた。エンジンドリルを始動させて観測機器が入る穴をあけにかかる。この冬の気温の低さを物語るかのように、これまでの経験よりも30cmほど厚い1.5mの氷が張っていた。いつもの年よりもわずか30cmの厚さの違いなのだが、この違いは穴開け作業にかなりわずらわしさをもたらすのだ。ドリルの刃を途中で継ぎ足して穴を貫通させなければならず、この手間が少々面倒なのである。それでも、支援してくれた隊員のおかげで湖の水深の異なる3か所に60cm四方の観測穴をあけることができた。

この観測穴から、水質観測用の水を採取したり、上の写真のようなちょっと特殊な採集器で生き物の試料を採集したのである。この採集器の灰色の円筒部の中にはプロペラが装着され、電流を流すことによってプロペラが回転し、掃除機のように水を吸い込んで、白いネットの方へ吸い込んだ水を試料とともに集めるという装置なのである。氷が張っているから、普通のネットや網を水平方向に曳いて試料を集めることができないのだ。それならば水に流れを生じさせれば、ネットや網を水平に曳いたのと同じように多量の試料を集めることができるはず、と考案されたものである。この装置はさらに湖底付近にへばりつくように生活している物を捕獲するべく、湖底におろした時に安定した位置を保つような橇をはかせ、湖底ぎりぎりになるような吸い込み口を取り付けたものなのである。

この湖で、2年前の夏に同じ装置を用いて試料の採集をボートの上で行ったことがある。この時、湖底付近から卵を抱いた小型の動物、カイアシ類の「ソコミジンコ」の仲間を採集した。カイアシ類とは、もしかして耳慣れない読者も多いのかもしれないけれど、実は地球上の生き物の中で、現在、もっとも存在量の大きな生き物である、と研究者の中では認識されているものなのだ。ケンミジンコといえば、少しはその姿を理科の教科書の中で見たことがあるなあ、と思う人がいるかもしれないけどね。この動物はおおよそ1mm内外の大きさで、海はもちろん、およそ水があるようなところ、山の落ち葉の隙間の水たまりぐらいのところまで分布しているのだ。
ところで南極の湖、特に氷河や雪融け水をたたえた淡水の湖では、これまでのところ、その成立年代が地球の歴史からみるとごく最近であること、ほかの大陸から隔離された南極という環境であることから、水の中を泳ぎまわる動物は不思議なぐらい見つかっていないのだ。もちろん魚も見つかっていない。はるか昔、南極がまだ他の大陸と続き、温暖な場所にあった時代、湖や川が流れ森林が広がっていたころには魚もいたらしく、化石となったものが見つかるらしいのだが、その後の環境変化や陸地の移動で氷におおわれ閉ざされた南極大陸でこれらはすべて絶滅したらしいのだ。
だが、このぬるめ池は海が閉じ込められたものだ。隣り合った海にはオキアミや魚をはじめたくさんの生き物が生活している。もちろんケンミジンコの仲間だっていろんな種類が住んでいる。閉じ込められ、湖となっても、これら海で生活していたものが、いまだこの湖の中で生き続けていたとしても不思議ではない。湖として閉じ込められてからの環境の変化が生き物の適応範囲であったならば。ソコミジンコはその名の通り、海底や浅瀬の砂や泥の中を住み場所のひとつとしている動物なのだ。南極の海にも生活していることがわかっている。海が湖にかわりつつある過程にも生き残っている動物なのかもしれない。
そんな湖に「残存」あるいは「新たな住み場所として繁栄」したソコミジンコは、冬の間、どんな暮らしをしているのだろう?夏には卵を抱え繁殖活動をしているようであったが、では冬は?湖底でひっそりと冬眠生活なのか、それともあまり劇的な環境変動のない湖底という環境でしっかりと着実に彼らなりのライフスタイルを確立して生活してるのか?そんなことを追求するのも面白いかな、という目的での調査なのだ。

海が閉じ込められ湖として孤立した世界となったぬるめ池。現在も海との交流がある親指池、海から切り離されてずいぶん蒸発が進んで超塩湖となってしまったざくろ池やいちじく池。そんな海の名残を段階を追って対比させることのできる湖が、このラングホブデ周辺にはある。海起源ではないと考えられているちょっとしょっぱさのある「あけび池」というのもある。これらの湖の対比を通じ、環境の変化と生き物世界の生き残りをかけたやり取りを見つけ出す面白さが潜んでいるはずなのだ。うまいこと見つけられないなら、それは私のイタラナサ、なのかもなあ。
ぬるめ池の湖底の試料をUFOキャッチャーのような装置でつかみ取ってみたのが上の写真。試料の上5mmほどが茶褐色の藻類でコーティングされ、その下は硫黄臭のある黒い泥っぽいものであることがわかる。湖底が茶色っぽい藻類で覆い尽くされているのは、これまで紹介した「淡水」の湖の湖底の藻類とあまり違わない現象である。ただしこれまでの調査では湖底からいろんな形をなして立ち上がったような形の群落は見つかっていない。ここにどうやらソコミジンコは生き場所を見出して暮らしているらしい。ネットで集めた試料を瓶に移した時、真冬にも関わらす泳ぎまわる小さな物体が確認できたのだ。そんな湖底の藻類の試料を顕微鏡で観察したのが下の写真である。

この写真を見て、「ああ、海っぽい藻類だ」と感じたなら、あなたはもはや微細藻類学者といっていいかも。淡水の湖の湖底の試料は緑藻や藍藻といった仲間が主体だったけれど、このぬるめ池では珪藻類がダントツに多そうである。このサイズの藻類が、海っぽいと珪藻、淡水だと緑藻や藍藻主体になっちまうことが多いのは、どうしてなんでしょう?誰か教えてくださいませ、是非に。
▼ 2010/08/15(日) 南極の湖の物語 その29
「ハムナの氷河前縁湖沼群を訪ねて」
予定通り、極夜明け最初の宿泊しながらの調査に出かけてくることができた。未設定のルートを延長しながら昭和基地から20〜30km南の陸地「ラングホブデ」にたどり着き、そのほぼ中央部にあるラングホブデ雪鳥沢にある生物観測小屋を立ち上げて、そこを拠点にラングホブデにある湖沼の冬の状況を調べようとしたのである。この時期としてはこれ以上ないほど天候に恵まれ、風がほとんどないよく晴れた状況での活動、ただし、そのせいでものすごく冷え込んだ。汗が瞬時に凍りつくほどだったのだが、参加した隊員一同は目の前に展開する南極の壮大な光景に強い衝撃を受け、感動していたように思う。そのためか、隊員の中にはまつ毛に涙が小さな玉となって凍りつき、瞬きもままならないような姿も…。

4泊5日の行程での調査で訪れた湖沼は7つ。ただし、極度の低温のあまり、いったん水につかった観測道具はぎっちりと凍りつき、二度目の観測には全く動かない用をなさないものとなってしまったのである。凍った湖に穴をあけるためのエンジンドリルすら、一度目の使用の後、二日目には冷え切ってしまいエンジン始動ができずに断念。だから今回はひととおりの湖沼学的調査ができたのは最初のひとつの湖沼だけで、あとは次回観測のための観測ルートを設定したり、アプローチの容易さを体感すべく、現場視察をしてみた。湖沼の観測を行った話は、次回にじっくり行うとして、今回は「いかにも南極の湖沼らしい湖沼」がまとまってあるエリアを探訪した時の話題を伝えようかな?と思う。

ラングホブデという露岩地帯の最南端に「ハムナ」という名称のエリアがある。大陸の氷床・氷河と接しており、このエリアの標高200mちょっとの小高い山へ登ると上の写真のように大陸から流れ落ちる氷河の様子が非常に鮮明に観察できる場所もある。流れ落ちる末端は氷に亀裂が幾重にも入り、巨大なクレバス帯となっている。末端の氷河は小高い丘を乗り越えるように海へと流れ落ちている。こんな状態の末端を、氷瀑(Ice Fall)と呼んだりもする。

海に流れ落ちた氷は、さまざまな氷のオブジェをその末端に築き上げている。時間が凍結して止まってしまったかのような感覚を覚えるが、これらの氷は確実に動いているはずなのだ。そのことを無言のうちに伝えるかのように、接する海を覆う海氷を押し割ったような亀裂を創り出したり、海氷を波状にゆがませたりしているのだ。氷河から崩れた氷は、時にほら穴を創り出し、形容しがたい吸い込まれそうな青さをみせる。おそらくこれらの光景はこの次、数週間後に訪れるようなことがあったならば、また違った形を成していると思うのだ。

以前、湖の成り立ちでちょっと紹介もしたのだが、氷河の末端に接し、融け水をたたえている湖のことを「氷河前縁湖」と呼ぶといったことを覚えているだろうか?このハムナには3つの湖沼群が存在しており、すべてこの範疇の氷河が直接接している湖なのである。ハムナ氷瀑を挟んで西側に位置するのが「西ハムナ池」で、以前一度だけ調査をしたことがある。氷河と接しているせいか、夏でも水温が上昇せずに氷がすべて融解することはなく、厚さが4m近い氷で覆われていたのだった。このぐらいの厚さになるとちょっとした調査をやるにせよ、氷に穴をあけることが非常に困難となる。湖水は氷河が運んだ泥やシルトで白濁していたとの記憶がある。ただ、この時の調査では、湖水や湖底にこれまで紹介したような微小な植物たちが存在していたかどうかは確認できなかったのだ。下の写真では山陰になって少々暗い画像となってしまったが、氷河の奥に羽を広げた鳥のような形をした平坦なところが、その西ハムナ池である。

東側には二つの湖沼群があって、そのうちの一つは3つの連なった湖盆の池、「悟空池」と仮に名付けられたものである。この池のひとつの末端はやはり氷河と接し、ここもまた湖水はシルトで白濁しているのだ。この池には植物が確実に繁殖している。氷河と接している湖盆は厚い氷で覆われているが下流側の二つ目、三つ目の湖盆ではひととおりの調査を行って、その存在を確認したことがあるのだ。

悟空池と小高い丘とモレーンを隔てて、もう一つの湖沼がある。「東ハムナ池」である。この池もまた氷河と接し、夏にも氷が解ける気配があまりない湖沼である。ここの池の調査もまた厚い氷や夏期間にたどり着きにくい遠隔地にあるため、満足に実施できていない湖沼のひとつである。冬なら凍った海を雪上車を走らせて麓までたどり着ける。だが、夏はこのエリアは海氷が融けてしまうから、岸伝いに雪鳥小屋から歩くとなると片道5時間近くを荷物を担いで山越えしなければならないのだ。今の時期ならでは麓までは容易に行けるけれど、それでもそこからおよそ250mの標高差を登り(なかなか厄介な急斜面もある)、挙句の果てに持参のドリルで穴が開くかどうか不安のまま厚い氷に穴をあけなければならないから、簡単なことではないのだ。ましてハムナ氷瀑を挟んだ西ハムナ池には徒歩でアクセスすることは、氷河を横断しなければならないから事実上無理。今回訪れてみて、これらの湖を本格的に調査しなおすならば、夏期間にヘリコプターを利用して実施するのがよかろうと思えた。東方面は悟空池のほとりの平坦地に着陸させることができそうな場所を見つけたのである。西ハムナ池も湖岸脇の小高い丘に、小型ヘリコプターならば着陸できそうだ。

これら氷河前縁湖の湖としての面白さは、接する氷河から夏の間に多量の融け水が削られた泥やシルトとともに入り込む、ダイナミックさをもつことだ。また、近年騒がれている地球温暖化などでこの地にも氷河の縮小や後退が認められたならば、これら湖沼は氷河から切り離された湖となるはずである。いまのところ、日本の観測隊が科学観測と探査を始めてから、これらの氷河前縁湖が氷河から切り離されたということはなく、湖に接する姿にも見た目上の変化が認められてはいないのだが。周年厚い氷で覆われた湖の調査、それも連続した観測ともなると、これまで季節的に氷が融ける湖での調査以上の困難さが予想されるけれど、逆に氷が融けないことを利用して、氷の上から吊り下げた観測装置からのデータを氷の上から入手できるような物を開発利用すれば、不可能ではないはずだ。近い将来、これらダイナミックで環境変動の影響を受けやすい氷河前縁湖での調査を行っていくと、その中にはまだ我々が知りえていない不思議な世界が構築されていることが見つかるかもしれないなあ。
氷河から切り離されて孤立した湖よりも、はるかに水の流入出が激しく、氷河が運んできた泥やシルトなども入り込むのだろうから、ここで暮らす生き物が孤立した湖と同じように湖底を覆い尽くすほど繁栄していたとしたら、南極にしてはかなり「せわしなく生きている」モノたちのような気がしてならないのだが。どうだろう?

▼ 2010/08/08(日) 南極の湖の物語 その28
「いよいよ始まるぞ!の前に」
8月の月はじめとあって、なにやら雑多な片付け仕事やら、日本とのTV会議交信やら、基地を離れることがままならなかった。この間、昭和基地は快晴無風の安定した天候が続いてくれた。これは非常にいいことなのだが、この季節、快晴無風の天候が意味するところは、放射冷却を伴ってものすごく冷え込むということだ。昨日は最低気温が−39℃を下回った。ここまで下がっちまうといっそのこと−40℃を超えちまえ!という気持ちにもなる。屋外へ一歩踏み出したとたんのひと呼吸目で、肺がびっくりして咳き込んでしまうほど。いくら快晴のいい天気でも、このぐらいになると外で遊ぼう!という気にはなれない。息や涙、汗は瞬時に凍りつき、髪の毛や髭、まつ毛、衣類を真っ白く凍りつかせてくれる。TV交信した日本の会場は35度ほどの気温と言っていたから、実に75度近くの温度差があるのだ。地球上の気温差というモノは最大でどのぐらいになるんだろうか?南極での最低気温の記録は−90℃に届くかとどかないか、というのだし、地球上の最高気温は50度ぐらいなのかなあ?そんなことを考えながら、スコップを手に、先日泳いでしまった水槽への雪入れ作業をして過ごした。ここまで冷えると雪はスコップの歯が立たない、固く締まった別のモノと化してしまっている。水槽の氷を割ると、冷たい水なのだが、湯気がもうもうと立ち上る。

ここまで極悪に冷え込む前に(それでも−30℃ぐらいだけどね)、1日だけ外に出ることのできそうな空き時間をつくりだして、仲間を引き連れて昭和基地の西沖にある「弁天島」という名前の小さな島までのルート工作に出かけてきた。この島は昭和基地のあるオングル諸島からは一つだけぽつんと西に離れた沖合にある島で、海から山の頂が顔を出しているような形をしている。丸っこい島で、海岸に平坦なところが無くていきなり斜面となって、人が上陸するにもお気楽にホイホイという感じにはいかない島だ。だが、この島の頂上付近にはなぜかアデリーペンギンのルッカリー(集団営巣地)があるのである。いまはまだ真冬ゆえ、ペンギンのミイラ化冷凍保存死体があるだけで、生きたペンギンの姿は、もちろんありはしない。あと3月もすると彼らはこの島へも帰ってくるはずだ。その時に、この島での調査をする予定なのだ。その時期になると、人が登るのも苦労するような島の頂の上にあるわずかな窪地をめがけ、ペンギンはとても器用に岩の割れ目を伝いながら海との行き来をはじめる。なぜ彼らはこの島に巣作りをするのだろうか?もっとお手軽に広々とした土地が広がる島や大陸沿岸の陸地がそれほど離れていないところにあるにもかかわらず。北の沖合から歩いてたどり着きやすいとか、あるいはえさ場が良好だとか、ひとつぽつんと離れた島で島周りの海の氷が動きやすく、海が顔をのぞかせる場所が必ずあるとか、そのへんが理由なのかもしれないのだが。
今回行った時も島の周りの海氷すべてに亀裂があって、南側は特にひどく乱雑に氷が割れていた。南側では氷が巨大な圧力で島に押しつけられたリッジになり、北側は氷が引きはなされたような、広いクラックとなっていたのである。凍り始めたクラックに開いた穴の付近から血の跡が点々と海氷上に付いていた。これは怪我をしたアザラシもの。海氷上でのんびり寝そべっているウエッデルアザラシも、海の中では何やら激しい戦いをしているのかもしれない。ペンギンはペンギンなり、アザラシはアザラシなりに、きっとさまざまな事情を抱えて生きているのだろうなあ。

ところで、この島にはその名の通り「弁天様」が祭られている、というか放置されているというか、置き去りにされているというか…ともかく、あるのだ。弁天様すなわち仏教の弁財天もいろんなお姿をとっているのだけれど、ここにあるのは、女性をイメージさせる穏やかでスレンダーな木彫りの像。大きさは50cmぐらいかなといったところ。島の小高い丘の上付近の岩の間におかれているのだ。今回行った時には冬でもあり、吹き溜まりの雪に上半身(下半身まであったかなあ?この仏像…記憶が定かではないのだ)まで隠されており、冷え切った空気にお顔を覗かせていたのであった。ちょっと雪をどけてやって、記念写真。それにしてもこの仏像はいったい誰が持ってきたものなのだろうか?まだ名もない島だった南極観測隊の初めのころ、この仏像をおいたことでこの島が弁天島となったのか?それともこの島が弁天島と名付けられてから(もしそうなら、どんな理由で弁天島としたのだろう?弁財天さまを想起させるような特徴は…あれ?弁天様ってどんなお姿なんだっけ?わかんないや)、それにちなんで、だれかが持ってきておいたものなんだろうか?このような記録は、少なくとも現在の観測隊には伝承されていないのだ(どこかに記述があるのかもしれないけど)。

本日は日曜日、昨日の極寒地獄からなんと10℃近くも気温上昇(だけど−29℃)。お昼過ぎに明日から外泊すべく、観測旅行の準備に取り掛かったのである。目指すはラングホブデにある生物観測小屋のひとつ「雪鳥小屋」だ。前回作ったルートからさらに10kmほどルートを延長させてたどり着く予定。いまのところ天候は大崩れしそうな予想とはなっていない。2月に、この小屋に泊り込んで夏隊とともに歩き回った頃からちょうど半年が過ぎたところなのだ。さて、どうなっているかな?楽しみだ。

