▼ 2010/07/25(日) 南極の湖の物語 その26
「ラングホブデ北」
基地から南のルート、先週の休日に「難所」と思われたプレッシャーリッジまでを確認していたので、残すところ10km足らずで長頭山の麓に広がる陸地へ上陸することができる。この部分を週半ばの天候のよい時をねらって「ルート工作」を行った。天気予報では週末に大きなブリザードになるといういうから水曜日1日限定での実施だった。予報通り、次の日の未明から崩れだして金曜日は外出もできぬほどの荒れ模様となった。まだまだ明るい時間が少ない季節、出かけるタイミングを見つけ出して一気にできる部分を片付けてしまう作戦は、したがって的を得たものであったはず。ここまでのところ順調、かな?

太陽が顔を出して、いろんなものの影を地表に映し出すようになると、ちょっと面白い現象に気づくものだ。上の写真にあるように、雪面を踏み固めたせいなのであろう、風が周囲の雪を飛ばし去り、足跡が雪面から浮き上がるように残存している様子が影の輪郭を伴って強調されて見えたりする。南極の暴風はちょっとした地形の凹凸や降り積もった雪の強弱によって、いとも簡単に巨大な吹き溜まりやその逆に雪を削り取ったウインドスクープ、サスツルギを創り出すものだ。この足跡の彫刻は弱めの風が創り出した作品のひとつである。
太陽が昇り始めて一週間にもなると、太陽は地平から完全に姿を現し、それと同時に、それまで晴れていても朝焼け・夕焼けの茜色の空だったものが、徐々に澄み渡った青になり、そんな青空の時間帯も次第に長くなる。そんな青空の中に月が「青く」輝いて見えた。「月がとっても青いから♫」という歌があるように、月の光が青く見えることは日本でも経験できるのかもしれないけれど、それはもしかして月の「ウサギの餅つき」の姿に見える「海」と呼ばれるクレーターなどの事を指し、白く輝く部分のことではないのかもしれない。いや、白く輝く月も凛と澄んだ大気のもとでの輝きは日本でも青い色合いとして認識できるのかもしれないけれど、ここ南極の-30℃の晴れた青空のもとでの白昼の月は、確かに青い。

そんな青い月に見守られ、ルート工作チームは赤い山、ラングホブデという地名の由来、長頭山の麓を目指して南下を開始。地図からの見積もりだと、先日訪れたプレッシャーリッジからさらに約10kmほど南下を果たせば「北岬」を超えて、上陸ポイントのひとつ「水くぐり浦」へ到達できるはず。はたしてどんな氷の状態になっているのだろう。北岬から南側は、この前の夏には完全に海の氷が融けて消失し、この冬の寒さで新たに氷が張り始めた場所になっているはずなのだ。

休日に走った雪上車のトレースをたどること1時間余り。お世辞にも走りやすいとは言い難いデコボコの多いルートは、最初は雪と乱氷、そして次第に雪がほとんどなくなり、海氷が露出した「青氷」地帯となっている。そしてようやく前回の最終到達地点のリッジを超えたところに到着だ。ここからラングホブデの北岬の東沖を目指して南下ルートを延長していく。途中、砕氷船の割り進んだ航路を再び横断しなければならない個所にも遭遇。そうそう、夏に砕氷船「しらせ」はこの辺の海域の調査を最新鋭の機材を用いて調査、そのためかなり縦横に走り回っていたのだった、という認識を新たしたのだった。
長頭山という山体はかなり大きなものゆえ、およそ20km離れた昭和基地からもはっきりと見ることができる。真冬にもかかわらず、かなり急こう配のこの赤い岩肌の山には無風状態で雪でも降り積もらない限り、雪で覆われることがない。なにぶん大陸から吹き下ろす「カタバ風」が常時吹き下ろすせいなのであろう、雪が速やかに吹き飛ばされて岩肌にとどまらないようなのだ。山自体の高さは400mに満たない、それほど高くはないものだけれど、氷河や暴風雪で削られたその姿は、アルプスやヒマラヤの山の頂上のような雰囲気を持っているようにも思える。もっとも、そんなアルプス・ヒマラヤというところの山並みを写真でしか見たことのない著者の言うことだから、この辺は、両方を実際に見た人の意見をうかがって確かめるべきところとは思うのだけれど。

この山体はおよそ10万年前の最終氷期には完全に氷河で覆われていた、とされている。山の頂にも氷河が削った痕跡が残っているし、その山の形、クジラの背中のような丸みを帯びた形や、山の脇には大きな力で削り取られたU字谷の片側と思しき氷食、帽子のつばを跳ね上げたように、氷河が固い地層を削り残したような地形が刻み込まれているのだ。
ラングホブデ北から氷河が後退し、その後から現在に至るまで、この地域はおよそ4万年ほどは氷河でおおわれることはなかったと聞いたことがある。その間に、重くのしかかっていた氷の圧力から解放されたこのエリアの海岸部は隆起し、陸地が海を閉ざして作ったとされる「塩湖」がいくつか出来上がった。北岬の東側のほど近いところに「ざくろ池」、そして「小湊」という湾を挟んでさらに東側の現在のラングホブデ氷河近くには「いちじく池」という名前の湖がそれにあたる。以前「湖の起源」でも概略を紹介し、写真を挙げておいたのでご興味とあらばそちらを振り返って見ていただければ幸いだ。
ざくろ池は最大水深が5mあるかないか、いちじく池に至っては1m未満の浅い池である。周辺には塩分が結晶化した物が岩肌を白く染め上げてしまうほど、これら池の水の塩分はとてつもなく高く、ほとんど飽和状態といっていいぐらいとなっているのだ。海水が湖に閉じ込められている長い間に蒸発が進み、「煮詰まって」しまったといっていい「超塩湖(Hyper Saline lakes)」なのである。実に海水の6倍ほど濃い塩分(海水の塩分濃度を3.5%とすると20%を超えるぐらいの塩分なのだ!)を示す。このため、この湖はかなり凍りにくく、理屈の上では水温が-10℃以下になってはじめて凍ることになる(参考までに普通の淡水は0℃だし、海水ならおよそ-2℃で凍る)。ただし実際は夏の間に湖の表面に雪解け融け水(淡水)が流れ込んで、下の濃い塩分の水とあんまり混じらないように表面を覆う。そのため、この薄い塩分の表面が最初に凍り始めてくるから、もう少し高い温度で氷に覆われ始めるはずだ。残念なことにその凍り始めの実態は、ちょうど南極の冬の始まりで極夜期間の野外観測しにくい季節に当たるから、観測できてはいないのだけれど、頭の中で考えるにはそうなるはず。このぐらい濃い塩分濃度だからこそ、氷の下にある湖の冬の水温は極悪なほど低下するはずだ。普通に海や湖で観測に使う水温計の測定レンジは、まあ、低くても-10℃ぐらいのモノが流通しているのだけれど、こんな超しょっぱい湖の観測ではしばしば測定限界以下の温度を記録するだけで正確なところ、どこまで低いのか?わからずじまいとなることが多々あるのだ。
現在はこの湖には湖底を覆うように繁殖する藻やコケの群落はもとより、水の中で生活する植物プランクトンも、もちろん小さな動物たちも、目立ったものを見つけることができない。そこにはかつて海だったころ生活していた二枚貝の貝殻が、まるで貝塚かサンゴ礁の波打ち際のように、湖畔の浅瀬や砂浜にかなりの量で落っこちているのだ。確かに極低温で高塩分ならば「漬物化」されて「冷凍庫」保管されているようなものだから、普通の生き物にとっては生きづらいだろうな、と思える。
だが、夏にこの池に流入する雪解け水のわずかな水路には「緑藻」が繁殖していたりもするから、全くの無生物状態ではないはず。極低温で高塩分状態を好んで勢いよく大繁殖するような生き物が見つかったり、そいつがはびこったりした場合、漬物業界あるいは冷凍庫業界など食品関連保管産業にかなりの脅威となるはずで、この辺の新発見に関しては、あった場合にかなり慎重な対応が求められるはず、だな、きっと。いたとしてもかなり細々と、粛々と、かろうじてゆっくりと生きているように見えるような、死んではいないように見えるような、そんな生き物がいるかもしれないことは否定しない。だが、ごく普通にたくさん元気に生活していたら、いろんな意味で大発見ではあろうけれど、厄介なことになるかも知らん。

そんな塩湖への思いを抱きながら、新たに南へ10kmほどルートを延長し、今回の目標到達地点「水くぐり浦」へとたどり着いた。この周辺は先にも書いたが、この夏に完全に海の氷が融けていた場所なのである。このエリアの海氷がほぼ毎年消失する理由は、長頭山やその山麓から冬でも飛砂が多量に海の氷の上に舞い落ち、それが夏に一日中沈まない太陽からの光エネルギーを吸収しやすい「消雪・消氷剤」のように働くからなのだ。新たに出来上がった海の氷はとても静かに凍ってくれたのだろう、真っ平らに海を覆い、すでに1mをはるかに超えて厚くなっていた。その上には飛砂が茶色く降り積もっていたから、今度もまた、夏を迎える頃にはいち早く海の氷が融けだすだろうな、と思えた。

水くぐり浦はちょうど基地から500mおきに立ててきた旗の数で40本、つまり20km南下したところにある。この地名は日本の南極観測隊がこの地で初めて潜水観測を実施した場所にちなんで名付けられたものなのだ。今から40年以上も前の話である。当時は水の浸入しないドライスーツではなく、水が入り込んでしまうウエットスーツを2枚重ね着して、夏の南極の海へ潜ったらしい。おそらくその時の夏もこのエリアは氷が融けて海が顔をのぞかせていたのかもしれない。昭和基地の周辺で氷に穴を穿つことなく潜水観測ができた故、この地が最初の潜水観測の場所となったのではなかろうか?そんなふうに思えてくる。そして、南極の陸地の荒涼とした生き物の気配がとても少ない光景とは裏腹に、海の中にはたくさんの海洋生物の姿があることを目の当たりにし、ペンギンや渡り鳥たちが、そんな豊かな海洋生物を頼りに子育てに毎年この地へ通い続けている理由を実感したはずなのだ。
残念ながら、今回のルート工作ではここで日没を迎えてしまった故、上陸せずに大陸際を後にして基地へと戻ったのである。
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