▼ 2010/07/19(月) 南極の湖の物語 その25
「大陸めざして」
太陽が顔を出したとたん、いてもたってもいられなくなり、「次週への貯金」とばかり、休日の土日に大陸までの南北の海の上のルートの点検に連続して出かけてきた。昭和基地は東オングル島にあり、大陸との間にはオングル海峡というその幅およそ4kmの海がある。もちろん現在はすっかり凍っており、この上の安全に走行できそうな場所を確かめて「雪上車走行ルート」とし、南極大陸での調査旅行に利用しているのである。

北の大陸へ昇るルートは二か月前に重い雪上車でも走行できる安全を確認したもの。なのではあるが、この極夜の間未使用だった故、雪上車の踏み痕(トレース)が消えたり、およそ500mおきに立てた旗が千切れたりしたものを直したりしなければならないのだ。海峡を横断するようにあったクラック、大陸への登り口の状況に変化が如何ほどなのか、状況確認を事前にしておくのが、まあ、心構えというものだろう。こうしておくと、いざ、仕事にかかろうぜ!という時に速やかに、なおかつ安全に取り掛かれる。休日の午前11時のブランチを食べてから、明るい時間帯に海の氷の上の旗を探しながら雪上車を進め、要所で氷の厚さを確認し、大陸までの17kmほどを走破し二時間近くを要して上陸を果たすことができた。
2か月前に踏み固めたはずのトレースは、もはやほとんど残っておらず、明るくなったとはいえ夕暮れ時の明るさだから、時折、次の目標物の旗を探しあぐねたりで、少々手こずってしまった。雪が平らで走りやすかった記憶のある場所も残念ながら雪の吹き溜まりが妙な具合に生じてしまい、お世辞にも走りやすいとは言い難くなってしまったところもあった。
大陸の登り口には潮の満ち干のせいで海の氷が割れているクラックが必ず生じるもの、このブログでも何度か紹介したことのひとつ。このたびはそんな割れ目の存在を知らせるように、そこには大きなアザラシが2頭横たわり、我々の行動を不思議そうに眺めていた。そのうちの一頭はどうやらついさっき子供を出産したらしいのだが、これはこれまでの私のつたない経験と記憶からみて「時期尚早」すぎると思えた。普通ならこの昭和周辺のアザラシの出産シーズンは10月過ぎであったはず。太陽が昇ったとはいえ、これから最も寒い季節を迎えるのだ。いくらなんでもせっかち過ぎじゃないだろうか?。そばへ確認に行ってみた隊員の話では、どうやら「死産」だったらしく、生まれい出た子供はただ氷の上に横たわったモノになっていたと、撮影した写真を見せながら説明してくれたのだった。合掌。

大陸への登り口、「とっつき岬」には極夜のまえに標高600mの場所から整備のために降ろして駐車させておいた大型雪上車が横一列に大陸の氷の斜面を見据えるように整然と整列していた。今月の天候のいい時をねらって、これらの雪上車は基地へと運び込んで、この春の内陸旅行へ使用すべく整備を行う予定なのだ。大陸の登り口のモレーンの上のここは、大陸斜面を吹き下ろす冷たい風が始終あるのが定番なのだが、このたびは完璧に無風。こんな穏やかなとっつき岬の状況に遭遇したことは夏をのぞき一度もなかった。珍しい幸運に恵まれたと、ワタクシ同様に今回で越冬3度目となる隊員と語らったのだった。復路はもはや夕闇せまる時間帯になってしまったのだが、一度走った雪上車の踏み痕はヘッドライトに照らされることで、かえって日中よりも目立ち、雪面のデコボコさえも容易に察知しやすいものだ。白の雪原や氷原のなかに浮かぶ基地へと延びつながる道は、何ものにも代えがたい安心感を与えてくれる。

翌日は南へ向かうルートの調査へと出かけた。南側のルートはまだ大陸までは至っていない。その途中、ちょうど大陸と基地との間の中間部分に生じていた「プレッシャーリッジ」の手前まで作ったところで極夜となって中断していたのである。プレッシャーリッジとは海の氷が何ものかに押されてその圧力に耐えかねて屏風のように氷が盛り上がった場所のことである。探検記などが好きな人は「エンデュランス号」という船が海氷に閉じ込められて最後にはこの氷の圧力によって木端微塵、哀れ沈没してしまった南極探検初期に実際にあった物語でご存じかもしれない。氷が押しつけられ破断した場所ゆえ、海氷が構造的にもろくなっているはず。だから慎重にルートを設定しなければ安全な雪上車走行ができない。このルートの極夜前の調査には自分は参加できていなかったので、どの程度のリッジなのかは伝え聞いただけなのだ。話によると何でもいたるところ海峡を横断するように2mほどの盛り上がりになっているとのことだから用心してかからなければなるまい、と気合で臨んだ。
昨日とは真逆に、基地から大陸との海峡に出てから南へと進路をとった。途端に、おそらくは夏に「砕氷船しらせ」が砕き作った航跡が再度凍結した氷の乱れ(乱氷帯)とオングル島の影響でデコボコに吹きだまった雪の多い場所に出くわした。雪上車は時折そんな1mほどの段差を乗り越えて進まなければならない状況だ。走りにくいことこの上ないのだが、幸いにも本日は昨日以上に晴れ渡って風もない絶好の天気である。真南に位置する大陸の赤い岩肌の山、長頭山を目印に南下を開始した。進行方向右手には連なるオングル諸島の島々と氷山群がガイドしてくれるように並んでいる。日の光が創り出す、氷山のシルエット、青い影。

ただ白いはずの氷山は太陽の光でさまざまの色合いに染めあげられている。南の大陸にある小高い長頭山、その手前には海峡を横断して行く手をさえぎるように氷の屏風が聳え立っているように見える。
「10kmほど南に下ったところに存在していたというプレッシャーリッジが、もし、この見えたままだとすると、かなり手ごわいぞ」
ともかく、仲間とともにまずは一路南下して、極夜前に安全走行できたこのリッジまでたどり着こうと雪上車を走らせたのだが…目標に近づいているはずなのに、肝心の屏風のようなプレッシャーリッジが、なんだか遠くへ逃げてしまうように、南下しても、そして10km地点に到達しても、まったく近づいてきてくれないのである。
「ははーん、アイツのせいか」

我々がリッジと思って近づこうとしていた屏風のような氷の盛り上がりは実は蜃気楼のなせる技だったのだ。地図とコンパス、そしてGPSを駆使してプレッシャーリッジのあった場所を確かめて、そこまでたどり着いてみると、確かに氷が割れて盛り上がりを見せた場所が存在してはいた。だが、それはこれまでに通過した雪の吹き溜まりの段差とそれほど異ならないぐらいの規模のデコボコで、周辺もしっかりと凍結してくれていた。むろん雪上車も問題なく走行できたのである。これはこれで、この先の大陸上へアクセスするルートの設定にとっては好都合なのだ。極夜前の仲間の報告に脅されていた頭は、蜃気楼を実体と認識しちまったのだ。ちょっと苦笑い。

南の大陸まであと1日もあれば到達することができるであろう。そこには湖たちが湖面を凍らせてひっそりと我々の到着を待っているに違いない。さあ、もう少しで野外観測の始まり、かな?おそらく8月にもなると日中の行動時間が現在の倍ぐらいになるだろうから、その時の調査実現を目指し、まずは、もう一日のチャンスをつかんで、ルートを作っていかなければなるまい、今月の内に。
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