▼ 2010/07/17(土) 長い夜明け(南極の湖の物語 番外編)
とうとう太陽が戻ってきた。というか、ぐずぐず地平線間際で出ようか出まいか、迷いに迷った揚句、恥ずかしげに顔を出してくれたというべきなのだろう。まだ、全身をあらわにすることはなけれど、蜃気楼を伴って煌々と輝いて、久々にいろんなものの「影」を地表に映し出したのである。太陽は地平線沿いに「ズズズズズ」と横移動して30分ほどで沈んだのだけれど、太陽の光の力強さに感激のあまり、隣にいた最年少の隊員に
「影踏み、しようか?」
と誘ってみた。が、もちろん、
「隊長、なにいってんですか?」
とばかり、落ち着いておだやかに却下されてしまったのであった。ウムム、ハズちまったか、残念。

ともあれ、私は今回で三度目の「極夜明け」を体験したわけだ。極夜といえば、東北は日本海側の冬になろうという季節以上に陰鬱で、未曾有の天候の悪さを何とか基地にこもって太陽の季節を待つというのが南極越冬の通過儀礼のようなもの、ではある。だが、このたびの極夜期は心底明るい印象で終止してくれた気がするのだ。自分自身、それぞれの越冬で経験を重ね、極夜というモノについてある程度正確なイメージを持っていたから、冷静に周囲を見ながらやり過ごすことができたから、そう思えたのかもしれない。それ以上に今回、我が51次隊が直面した天候、あるいは51次隊メンバーが醸し出す物事に深刻になり過ぎない「能天気さ(いい意味で使用しています、誤解無いように!)」のおかげもかなりあるように思えもする。太陽が昇らない40日余りの期間、極夜期定番の猛烈なブリザードなどの悪天候にあまり見舞われなかったことはかなり大きい。周期的に来襲したブリザードはランクで言うともっとも小規模のC級(風の強さとその継続時間、視界の悪さでA、B、Cに分類しているのだ)、つまり「小ブリ」だけだった。そのほかは「晴れ」主体だったから(おかげでこの時期としては-30℃以下にしばしば見舞われるかなりの低温だった)、薄明時刻帯の地平線付近の明るさが雲にさえぎられることなく(地球外生命体の監視から免れ得なかったという被害・災難・デメリットを、私は受けた気もするのだが、まあ、それは仕方のない身から出た錆だ。しかし鯖が出てきたらヤヤコシイので注意が必要だ)、正午前後の3〜4時間は「懐中電灯やヘッドランプをつけるまでもない明るさ」で、屋外でも十分行動できたのだ。初めて越冬する若者たちも、
「極夜って、これでおしまいですか?大したことないですね!」
と、強気の発言がでるほど。それほど、この時期にしては「過ごしやすい天候に恵まれた」年であった、と強く主張してもいい。こう書いていたら、ヤオロズノ神やそのほか日本に残した家族・友人・知人・愛人貴人奇人変人・生あるものすべて・有象無象・有形無形・森羅万象・魑魅魍魎・地球外生命体・宇宙そのほかすべてのワタクシドモのつつが無い生活を実現してくれた「ナニモノカ」に感謝せずにはいられない気持ちになった。自分のここまでの南極人生を振り返ると、南極の自然が回を重ねるごとに『徐々に南極の自然が心を開いてくれた』とも思えてくる。素直に、ここまでの精進が報われたと(はたして、私、何か精進に類すること、何かやったのだろうか、かなり疑問ではあるのだが…)、誤解したい(間違いなく誤解だろう)気にもなってくる(これは勝手な自己判断)。もしかしてこれは「地球環境変化」の流行にうまく乗って南極の自然が徐々に温和になってきているせいなのか?しかし、聞くところ、想像するところ、あるいは観測事実からすると、わが越冬の始まる前年・その前の年は、たぐい稀な暴風積雪の猛威に襲われていたという昭和基地なのだから、これは、地球環境変化というような大げさなものではなく(もちろんその流れの一端が実際にあるのかもしれないけれども)、単にたまたま偶然そういう廻りあわせだったという『運』だろうと思うのだ。だから余計に、「ナニモノカ」に感謝。偶然に生じることは地道な努力で築き上げたモノを一瞬にして吹き飛ばすエネルギーをしばしば持っているものだから、ね。

下の写真は南極大陸上に何やら雲のようなもやもやしたものが立ち上っている光景。大陸上から吹き下ろす風が雪を巻き上げて海へと降りてくるときに海峡に居座っている重い空気にぶつかって上空に舞い上がったもの。ハイドロリック・ジャンプと呼ばれている。こうした現象は冷え込んだ晴天の日にしばしばおこることで、普通の天気予報では発生時刻や規模などを予測しにくいもののひとつなのだ。こんな現象が生じると、その後、無風状態だった海峡に、突如たたきつけるような暴風が来襲することも(しないことも)、ままあるから用心が必要なのだ。だから外で作業しているときはこうした変化を敏感に感じ取らなきゃいけません。こうしたことは南極で一年も過ごすうちに「自然と身に着くこと」ではあるのだけれど…。
自然の猛威と対峙するなんて大げさなことを考えてみると、最初の越冬で死にそうなつらい目にあったおいた方がいいのか、それとも、終始、「大したことないね!」と言い切れるぐらいで、過ぎ去ってしまい、何度越冬しても「伝説の過酷さに遭遇することなし」に、難なく南極越冬が過ぎ去ってくれたほうがよいのか、正直、自分にはわからないのだ。先にも書いたが、自然の猛威はいとも簡単に人間などの命を奪い去ってしまうものだ。そんな猛威来襲の気配を経験を通じて知ることの意味は大きいし、その次に猛威に直面するときの備えとしては以前の過酷な経験はかなり貴重なモノとなろう。だがしかし、生まれてから死ぬまでに一度もそんな猛威にさらされえることなく過ぎ去る人生もまた、数多く「ある」はずなのだ。もしかしてその方が平均的な人生かもしれない。だって、南極にスタンダードにあるような自然の猛威というものに遭遇するってことを例にとると、ここへ実際に来る機会や強制収容みたいなチャンスに出会わずに、大方の人は人生をおくっているのだろうからね。

私とかつて一緒に越冬した若者の中に、「運気の強さ」に支えられ人生をおくっていると、自らも豪語するほどの隊員がいた。実際に彼の南極で越冬している間の行動を振り返ると、普通ならば、何度か死んでもおかしくないような状況に自分の至らなさ加減で自分を陥れながらも、おそらくは本人はそんな、幾度も死と隣合わせだったことをほとんど意識もしないで(さすがに一回ぐらいは意識したかもしれないけど)、もちろん、死なないで南極で越冬観測を成就、帰国後、異様な速やかさ加減で、表向きしっかりした職に就き、ごく普通の苦難に満ち溢れた人生を歩み始めたが、本人はその苦難の本質に気づくことなく暮らしている、かつて青年だった、奴も事実、存在する(ものすごく句点を使っちまったが、そういう奴なんだ)。いまだ、幸運の女神に見放されていないみたいで、きわめて元気に生きている。ここまで来ると、彼はこのまま運気に乗って人生の終わりまで乗り切ってしまう気がする。そんなうらやましい強運の持ち主も地球上の70億人ぐらいいる人の中には、一人や二人、いるみたいなのだ。逆に「不幸の伝道師」という仲間もいたなあ…。運不運というモノは、本当に我がままで気まぐれというのが本質で、不公平にある特定個人にまとわりついてしまうモノでもあるのかもしらん。
確実に不運を避け、幸運や女神に恵まれる方法があるなら、その恩恵にあずかってみたい気もする。いや、控え目に「努力が報われる」確実な方法があるなら、それにのっかって、努力したことに応じてタダシク報われる人生を歩むのが、まっとうな計画的人生処世術なのかも、と、思ってみたり…。だが、運をつかむ確実な方法はもとより、努力が着実に報われるようなことというのですら、実存するのかなあ?はなはだ疑問。運をつかむ確実な方法というのはなんだかアヤシイ雑誌広告のコピーのようでもあるし、「運」と「確実」を結合すること自身に自己矛盾を含んでやしないか?確実ならばそれはもはや運ではないはず。後者のコトガラにしてみてもかなり疑念がある。確実に自分のためになって報われるはずの努力、たとえばダイエットや禁煙ということが、なぜうまくいかないのだろうか?現状より自分自身を確実に良い方向へ導き、それゆえの未来の報酬が約束されていることなのにも関わらず、挫折したり、なかなか成功しないばかりか、リバウンドで逆効果のかえって悪い方向にまでしばしば進んじまうのは、こういう考え方の根本に誤りがあることを物語っている気もするのだ。どんなもんでしょう?
なんだか「ヒトは確実にいいことが生じる方法があるとしても、必ずしもみな、そんな人生を選択して歩むものではない」という法則が見えてくる。着実で確実なことよりも、「ラッキー、ツイテルゥ!」と、どちらかというと地道な努力の成果より、ギャンブル・運・偶然の結果にアドレナリン噴出、ワクワクして強い喜びを感じる、そんな、確実な報酬よりも不確実なことから与えられる喜びをより尊重するような「本質」がどこかにあるのではないだろうか?とも思えてくるのだ。この意味で安住の地からあえて離脱してしまう南極の湖底のモノたちをはじめとした地球上の生き物に共通した「何か」が、きっとこの根底に潜んでいる気がするのだが?どんなもんだろうか?

私が追い求めているのは「人生の面白さ」だとすれば(注:面白いかどうかは、こりゃまた、まったくもって自身のモンダイであるなあ)、着実さと偶然の支配する境界を行ったり来たりしながら、時に努力が報われないことを恨み、また、人の幸運をねたみ、ごくたまに反省して努力の不足を悟り、運ではない未来をつかもうとしながら努力するが、うまくはいかず落ち込んで、それでも偶然の好機に出会うと、なんだか未来が見えた気になって調子づき、溌剌と何かしだす、と、こんなような「何か、そのたびごとにいろんなコトガラに翻弄されながら生きるのが、「自分らしい面白さを追求する生き方」のように思えるのですな。ま、おおかた単に「流れ」に翻弄されてしまうのだろうけど、「自分がどういう状況になっても『何とかなるさ』とおおらかにそしてわけもない自信持って」その時々をやり過ごしていく能力をヒソカに持ちたいな、と思うのですよ。
あ、上の写真は極夜明け記念に、この越冬期間で最後になる「生のキャベツ」を食卓に供すべくお手伝いしている麗しい隊員の姿なのでした。今年の越冬では生のキャベツが7月中旬まで、実に9カ月近くも食卓に登場してくれたのだ。生のキャベツはオーストラリアで仕入れて持ち込む観測隊なのだが、その年の品質によって、いくら丁寧に保管・手入れ(腐ってしまう葉を定期的に除去しながら保管し続けているのだ)しても、今回の半分ぐらいの期間しか使用できない(それでも収穫してから5カ月近くにもなるんだけど)ことも、ままある。私が子供時代には冬の間に雪の下に「活けて」キャベツなどを冷蔵保管して使っていた記憶があって、こうすることでおそらくは4、5カ月の間、普通なら野菜を育てることのできない雪国の冬の食卓に利用していた。一年に一度しか物流のない南極ではそれ以上に、現在の日本では考えも及ばないほど深刻に(今の日本なら深刻にならなくとも流通とハウス栽培などの技術で生野菜が普通に苦も無く入手できる、けど、こういうことってここ50年に満たないような最近実現できたばっかりのことなんだよね)、生モノ「超長期保存」に「運と努力」をミックスさせて取り組んでいるのだ。

日本では考え及びにくいコトガラ関連で、ふと思いついたことがある。日本で暮らしているだけだと南極で暮らしているときの「夜明け・(日没)・日暮れ」時間のスローな時間感覚をどの程度理解してもらえるだろうか?ということだ。おそらくは地球上の高緯度、日本ならば北海道はオホーツク沿岸で暮らす人、ことに漁師さんならば、夏になると午前三時前ぐらいから夜明けの雰囲気を味わいながら出漁し、午前5時ごろに日の出を迎える状況であろうから、
「いったいいつになったら日が登るんだぁ?ま、いいッショ、日の出までが勝負デショ!」
と、世の中がなんとはなしに明るい雰囲気に包まれる日の出前の時間を味わいながら生活しているのだから理解しやすいと思う(参考までに午前二時過ぎには漁師町のコンビニエンスストアーの弁当は売り切れてしまうので、オキャクサンは注意が必要である)。いわゆる「朝飯前」の時間はかなり十分にあるもので、そこで「ひと仕事」を十分にこなせるものナノダ、という認識は持てるはず。別にオホーツクまで話を持っていくまでもない気もする。秋田の農業に携わる人々も真夏の太陽がギラついて暑くなる日の出前の時間を使って朝飯前に仕事をしているではないか。秋田の実家の我が父親は「ニワトリ」と競争しているかのごとくの早起きで、夜の闇の暗さが少しでも白んだ時にはすでに起きだして勤勉に動き出すのであるから(夏ならば4時ごろには起きている気がする)、まあ、このたぐいの環境で育った人、少なくとも我が父親は夜明けの時間帯あるいは日没後の残光の明るさとその時間の長さを理解できることだろうと思う(もしかして父はあまり人の活動していない時に何事かワルさをしていた(る)のかもしれないノダガ…それは高卒で実家から上京した息子には知る由もない…)。ここ、南極は高緯度にある故、より太陽が地平線間際でジリジリ顔を出しそうで出さない、あるいは、出したら出したで、沈みそうで沈まずに、東から西へ「転がるように」移動するっていうのが「定番」なのだ。こんな薄明の時間帯がオホーツクや秋田以上に長いのだ。だから「朝飯前」「日暮れ後」の時間に、実は一日の仕事の全部片付けられるぐらいにもなる。
これが低緯度、沖縄や赤道付近になると、太陽は途端に「江戸っ子」化して、
「テヤンデイ!出るもんは、でる、引っ込むモンはさっさと消えやがれぃ、テナモンダ!」
と、あっという間に「残光」時間帯が過ぎ去ってしまうことになる。こうしたところに育った人々は、したがって「カラスの鳴いている間に速やかに家へ帰る」ように指導された人生を歩むから、おのずと高緯度育ち、低緯度育ちの人々の間で、文化的齟齬が生じる気もするのだ。
ま、こんなことを夜明けの与太話として記述して、番外編を閉じるのでした。
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