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南極ブログ通信

2010/07/11(日) 南極の湖の物語 その24

2010/07/12 16:50 日記 工藤栄

「神出鬼没!小さきモノたち」

 7月11日現在、天気曇り、風やや強し、気温−20℃ほど、地吹雪で視界が時折悪化しながらも、ここ昭和基地では太陽が地平線から顔を出す日まで残すところあとわずか、秒読み態勢となった。皆様が住んでいる日本は、もうすぐ梅雨明けで夏本番を迎えるころなのだろうか?さて…
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上記のような時候の挨拶的な言葉を何の考えもなしに流れるままキーボード入力しながら、ふと
「この文章、3つの文が組み合わさったものだなあ…。前半の天候概況と真ん中の極夜が明けて太陽が昇り始めること、っていうのは全く関係ないし(晴れていようが吹雪いていようが極夜はその時になったら終了するのだ)、さらに末尾に、それまでの時間が短いことを強調するためによく使う「秒読み」という言葉を登場させたのだが、秒読みしようと思えば、この先の白夜や来年の正月、はたまた地球や宇宙の終焉までだって、秒の単位で表すことが可能…。ちなみに極夜明けまでは3日、すなわち26万秒を切ったかな?というのが、本日の現地時間11時現在の状況なんだけど…いくら楽しみだからといって自分が声に出してカウントダウンするにはまだまだ数が大きすぎてシンドイから、やるはずがない。となれば「秒読み」というのは嘘。かもしれないけど、次の「態勢」という言葉がソフトに誤魔化している。こんな時候の挨拶は文章作法として、ハタシテ、タダシイのだろうか?」
そんな妙な疑問にとらわれてしまった。
 とりとめもないこと、どうでもいいことのようにも思えるだろう。が、なんだか最近、学生や弟子たちとのやり取りで、「お前さんには論理っていうモノがかけらも無いのか!」と厳しく指導しなければいけない状況が頻発し、そうしてきた手前、モノスゴク気になってしまったのだ。自分の文章の中の非論理性は「言外の意」を補って論理的な解釈も可能となるのかもしれない。もちろん非論理性を強調して分析、批判することは至極容易だ。他者の言外の意は往々にして伝わりにくいモノ。だから、そこに誤解が生じる隙ができる。誤解を生じさせる隙を作らないように論理的に事実を積み重ね、それを伝えるのが科学。その伝える方法が「言葉による記述」や「実験による検証」なのだから、それらには正確で論理的な構造が要求されるのだ。とは言え、すべてにおいてそんなことばかりを追求したら、極めてカタブツで面白味にかけるモノになりがちだ。自分の人生ならば面白い方がいいと思う、となれば、状況に応じて論理性と非論理性を自在に使い分け、「論理的な非論理」・「非論理的な理論」を論じるとか「不合理な真理」を見つけ語ることができる能力を身につけるべきだろう。どうすりゃ、いいのだ?わからん…破綻しちまうのがオチだろう。
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 今回書きたいのは「時候のあいさつの論理的記述」あるいは「非論理的時候の挨拶法」とかでは一切ない、はずだった。サブタイトルを入力した段階までは『小さな生き物たちのしたたかさ』とか『無から突然発生するような神出鬼没ぶり』について紹介してみようと意識していたのであった。この辺で書きとめておかなければ、筆者がテーマを見失い、完璧に忘れ去る気配濃厚。これではいけません。
 上の写真は昭和基地の野菜栽培室の様子。温度がおよそ30℃ぐらいに保たれた小部屋の明るい蛍光灯の元、目にまぶしい緑の葉物野菜たちが茂っているのがわかると思う。昭和基地での越冬生活で、これら新鮮な緑はとても貴重なのだ。なにせ、我々が来たときに持ち込んだ食材で1年間の食事のすべてをまかなうわけだから、どうしても冷凍や乾物が中心となってしまう。「生の野菜」で1年間使用できるものは、ジャガイモ・玉ねぎという強い味方もいるのだけれど、ほとんどの生の食材、殊に傷みやすい生の葉物・果物は、越冬半ばにして使えなくなってしまうのだ。したがって、写真のように「細々と」でも食卓の彩りを添える程度は自給しよう、ということで水耕栽培をしているのだ。その水耕栽培装置の培養液を循環させている下段の水槽の写真(下)に注目してほしい。水が緑の膜を張ったようになっているのがわかるだろう。この培養液の本来の色は無色透明で、植物の育成に必要な栄養(肥料)を溶かしただけのものなのだが。
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 日本の夏の田んぼの水、あるいは汚染の進んだ湖に発生してしまった「アオコ」のように、無色透明の培養液を色づかせ、あまつさえその表面に膜状のものが発生させているのだ。水耕栽培液だから、もちろん植物の育成に必要な栄養をバランスよく含んでいることはたしかなのだが、それにしてもこの南極でこれほどまでに緑に染めてしまうモノは、いったい何なのであろう?時は日も登らない極夜、当然のことながら、基地の周りの湖がこのように緑色を呈する現象は全くない。この培養に使っている水は、基地の周りの雪を溶かし、それを生成して不要な塩分やゴミをろ過し、殺菌したものだし、栄養素は粉末の無機の化合物を混ぜ合わせたものである。だから培養装置を動かす初めにおいて、およそ生き物らしいものは入っていなかったはずなのだ、播種した種以外は…。そんな「無菌無生物状態の水」にもかかわらず、生き物、とりわけ植物が必要とするような無機の栄養をバランスよく混ぜ合わせた水があるだけで、どこからともなく生き物がそこを見つけ、そこに育って、わが世の春を謳歌する、ってわけだ、今の地球上の南極ぐらいの環境であるならば。
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 この緑に色づいた水を一滴、顕微鏡で観察してみたのが上の写真。何やら丸っこいモノ、ラグビーボール状のモノ、糸状のモノ、そしてグネグネうごめく何ものかがひしめき合っているのである。丸っこいモノはクロレラのような単細胞の藻、ラグビーボール状のモノはやはり単細胞ではあるが泳ぎ動く鞭毛をもち、糸状のモノは仕切りのある細胞が連なった群体を作る藻で、いずれも緑藻の仲間。こいつらは自ら色のついたモノであるから、(私には)識別しやすいし、わかりやすい。水を緑に色づかせた主体はこれら緑の藻たちなのだ。これだけではない。このほかあんまり色ははっきりしないが、グネグネうごめくから目についてしまうモノもいる。ラグビーボール状の単細胞だが緑の色素をもっていないモノ、頭のように見える部分に水流を渦巻かせているちょっと大型の多細胞生物のワムシまで見つかるではないか。これらをさらに拡大してみたのが下の写真だ。
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 光合成をする藻類、多細胞の動物であるワムシのほか、この写真では半透明の小さな点や破線のように見える、球菌や桿菌などの細菌も当然のように見つかるのだ。生き物の中の「生産者」「消費者」「分解者」の役を果たす3つのグループ、馴染みの言葉で言うと、植物・動物・細菌(菌)の仲間が、初めは何もなかったはずの栄養を含んだ水の中に、いつの間にか大発生してしまっていたのである。もちろん、この野菜栽培室は、一切のばい菌やら生き物を遮断するような装置が施されているわけではなく、南極、昭和基地の空気が自由に入り込み、ヒトが直接触れて世話しているのだから、こんなところから生き物が浸入するチャンスはあるのだけれど。ということは、これらの生き物は南極の空気の中に潜んでいたのだろうか?あるいは、ヒトや野菜の種、装置など、南極の外から持ち込んだものにくっついて昭和基地までたどり着いてしまって、じっと「この世の春」を待ち続け潜んでいたものが大発生したのだろうか?パスツールの実験以来、「栄養たっぷりの煮汁、ブイヨンを放置すると生き物が自然発生的に生じる」ことは完全否定されたはず(地球上の生命の起源は?というと…これまたちょっとヤヤコシイ説明になるなあ)、どこかからこれら生き物が浸入して繁殖したと考えるのが科学的な結論だろう。とはいえ、我々人間が南極で長期にわたって生活していると、風邪もひけなくなるほど風邪のウイルスにとっても過酷で生き延びづらい環境であることは間違いない。そんな過酷さがあっても、ある種の生き物は「生き延びて、繁殖のチャンスをうかがって条件が整えば直ちに増える」ということは驚きだ。それも、キチンとした植物・動物・細菌(菌)のメンバーからなる「生き物社会」までをごく短期間で築き上げてしまうのだから。
 これまで見てきた南極の湖の中にいろんな構造物を作り上げたモノたちもまた、今回紹介したような小さな生き物たちであった。タフで身軽なモノたちは、おそらく地球上のあらゆる場所で生活空間を探索し、そこで増えようと機会をうかがっているに違いない。

 ほら、今、あなたの目の涙めがけて、一匹のワムシが頭部の繊毛を目まぐるしく動かせて…

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