▼ 2010/06/13(日) 南極の湖の物語 その20
「ナヤマシさ、不思議さ」
南極の湖の湖底に茂るモノ、目に見えるほど大きくしっかりとした形を作り、整然と生えそろっているのに、その実態がわからない、これは単に筆者のボンクラ頭のせいばかりではない(実はボンクラだからということを隠す方便・詭弁の恐れもあるので注意)、こんなことをウシや地球外生命体を引き合いに出して前回は語ってしまった。おかげで昨日から南極昭和基地は荒れ模様、せっかくの休日なのに基地の中に閉じこもった暮らしを余儀なくされている。土曜日の夜の食事は隊員みんなでなべ料理を囲むということが多いわが隊の食事事情なのだが、しゃぶしゃぶだったにもかかわらず、牛肉ではなく豚肉となっていた背景には、もしかしてウシ方面から何らかの「難」が申し出され、ウシ関係の供出がストップされた恐れもある。今後、さらに注意しなきゃいかん、直接の抗議行動をとられることが無いように。

湖底から立ち上がり、目に見えるしっかりした形のモノを作っているのは「コケボウズ」だけではない。コケボウズからはコケ+藻+顕微鏡で見ただけだとなんだかよくわかんないもの、この三者を構造物中に見いだすことができる(注意!藻はかなりの種類がいるし、わけの分かんないものはそれこそわかんないので、セイカクには三者と言ってはいけない気がするのだが、ややこしくなるので、ひと先ずこの区切りで勘弁してクダサレ)。実はこの三者が構造物をつくっているものとして、湖底から芽吹いた茗荷筍(茗荷のタケノコのような芽生え)のようなものもある。上の写真のように湖底の辺り一面、まさに茗荷畑のように生えているのだ。茗荷筍のようなものが本当にコケやアヤシイものから出来上がってくる様子は、こんな畑のような場所の中をよーく観察してみればわかる。湖底からツンツンと徒長して伸びたようなコケが、クモの巣のような何ものかに絡まって、それがなんとなくまとわりついて、茗荷の芽のようになっていく過程にあるものが見つかるのだ。クモがクモの糸を駆使して捕まえたエサをぐるぐる巻きにしちまうのなら、出来上がったぐるぐる巻きのモノはクモが作った作品ということで納得がいく。八幡巻きや恵方巻きはヒトが食べたいものを組み合わせ、鶏肉でゴボウ・人参といったものを巻いたり、海苔でご飯や魚介類を巻いて作ったものだ。いろんな材料からできていても、それを創り出そうとしたモノの主体が明確だ。ところで、このコケを絡めまとわりつかせているのは、いったい何で、だれがそんなことをしているんでしょう?実はいまだここら辺がわからない。

世の中には知らなきゃいけないこと、知って利益となること、得をすることもあるのだが、実は知らなくてもどうでもいいこと(知られては困ることに関してはどこかで書いた気もするので略)がはるかに多い。コケボウズや茗荷筍のようなものをまとわりつかせている物質なり、それを作り出している生き物を判別しなければならないという使命が、もし、国家事業として観測隊に与えられ、そのための予算編成が国会を通過してしまった暁には、現在の科学の進歩を考えればそれらの事柄をたちどころに白日の下にさらすことができよう。だが、こんな南極の湖底の生き物が発見され10年以上が過ぎたにも関わらず、いまだそのへんの気配すらない。一つにはそんなことはいつでもやろうと思えばできるさ、試料はすでに手に入っているし、という我々の安心感と、この先、プロジェクトを立ち上げて予算要求を…するまでもなかろうという危機感のなさから、国家的気運の盛り上がりを創り出すことに失敗していることが理由と思われる。いま一つはそれがわかったからといって、じゃあなんなのさ?という、「わかったところでどーでもよさげであること」のようで、そんなことに税金を投入して研究をすることの説明に困る「説明責任回避」的コトガラが絡んでいる気もする。給料日前にお小遣いをほぼ使い果たして釣竿を購入してしまい、週末の釣りに出かける資金獲得のため残りのお金をパチンコに投入してすっからかん、暗い気持ちで家へたどり着いたときに妻とばったり出会い、「どこに行ってたの?」と声をかけられた時のような気持ち…といえば、わかってもらえるか、どうか?
ならば、この秘密に迫る手段はないのかといえば、残された手段として、この秘密をちょっとは面白いと思って「知ってもいいかな?知りたいな―」と思ってくれる仲間を増やすことがいいのかもしれない。ブログ読者の中にこの辺の面白さを感じ、実は構造物や組成成分の分析は「朝飯前、任せなさい!」と申し出てくれる人を、パチンコで負けて途方に暮れることができない南極で、清らかな心で精進を重ねながら祈りをささげているのである。祈りの効果かどうか定かではないが、これをここまで書きすすめたところでブリザードが吹き止んだ。よしよし、次に進めという思し召しだな。

湖底から立ち上がる構造を作るモノとして「コケボウズの材料からコケを差し引きしたもの」から出来上がっているものもある。上の写真のようにフキノトウを整然と生えそろえさせた感じにも見えるモノたちで、以前、達人に「フトマル…君」と命名されていたものである。コケは、まあ、目を凝らして見れば、茎や葉の形をちゃんと認識できるぐらいの大きさのモノで、その芽が伸びてくれば数十センチメートルに達することは、日本にいても比較的ラクに、いや、真剣に探せば見つかるものである。そして、そんな大きく伸びる体に何かがまとわりついて一つの大きな形を作ってしまうということ自体は、「ああ、そんなことがあってもいいのかな?理解できるな」などと想像もしやすい。ところで、そんな構造の芯となるようなコケが無くても「藻+顕微鏡で見てもわけのわからんもの」が寄り集まってかたちを作っていることはどうだろう?十センチメートル以上も湖底から立ち上がり、芽のようなものを創り出し、そんな有象無象の寄り合いが湖底一面背ぞろいした畑のような状態を創り出しているのだ。この「藻」はまたワカメや昆布・マコモやキンギョモのような大きな姿のモノではなく、顕微鏡でなければ認識できないような、「アオミドロ」とか「アオコ」とかに代表されるような微小な藻なのである。アオミドロにしろアオコにしろ大量発生した暁には緑の浮遊物として人目につくことはあるだろうけど、寄り集まってなんかある一定の形を創るっていうワザを見せてくれることが、どっかにあるのかなあ?私の限られた人生の中ではこの南極の湖の中以外で、まだそんな場面に出会っていないのだが。

複数の種からなる微小な藻、そしてなんだかよくわかんないものが絡みつき合って、「ある形あるもの」を作っていること。それも一つ二つといったものじゃなくて、あたり一面おんなじようなかたちのモノを作り上げるって、ナヤマシくも不思議だなあ、と素直に思いませんか?
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