ようこそゲストさん

南極ブログ通信

2010/06/07(月) 南極の湖の物語 その19

2010/06/07 28:42 日記 工藤栄

「もっとヒミツに接近か?」

 南極の湖底には、一見、プリンやケーキの「お菓子の国」さながらの世界があるぞ、と、「極夜の南極の夜長の妄想」と思われても仕方のないことを、前回は書いてしまった。こんな「なんとなくうそっぽい」ことばかり書いていると読者からは批難、達人からは苦難、神からは災難を与えられ、この先、それが見た目の真実、本当に私の周りで生じたことなのだ、と叫んでみても、書き続けて行くことに困難をきたしてしまいそうだ。このように私には「難」はいとも簡単によってたかって身の回りにかけよってくる。そしてそれらをまとわりつかせ侍らせる才能までもがあるらしい(ただし女難をのぞく)。逆に、同じようによってたかってくる称賛・絶賛・協賛・賛成多数、など「賛」関係の方面は近づいてくる気配すら察知できない。このブログは、幸いなことに読者からのコメント受付などの書き込みなどが設けられていない、南極の湖中のように静まり返った無音空間。だから、読み手の反応を気にすることなく、好き勝手に著者が思ったがまま書き綴っていける貴重な場となっている。そんな全く反響なしなのおかげで(苦情はもちろん、もしかして間接的にこのブログのせいで過食症になったという訴えや、花粉症と痴呆症の治療効果があるという報告をふくめ、そんな間接的な反響も南極までは届かない)、今のところ私は睡眠障害に陥らずに生活できている。そうなのではあるものの、書きあげて、ポチッと保存ボタンを押した瞬間、「難」関係到来の気配を感じてしまうのは、私の感覚がたぐいまれな鋭敏さを持っているという証拠か、それとも、何か後ろめたさを感じなければいけないヒミツがどこかにかくされているからなのか?
 「いやいや、モシ。お暇とご興味の際は、ちょっと立ち寄ってみてください、少しは日常世界と離れたものモノに接する入り口かもしれませぬ。ふふふ」という、つつましくもアヤシイ気持ちを秘めて書き続け、この先もこのブログを大事にしていかねば、と思うのです。あれ?どっかに避難を始めたのか、私は?
B4mossp.jpg

 さてさて、私やこのブログのヒミツではなく、件の湖に生えているヤツラ方面へ話題を持っていかねばなるまい。以前も一度この写真を出していたが今一度。道路工事の三角コーンとその形やサイズそっくりのやつらのてっぺんの部分を拡大したのが上の写真だ。何やら緑のモノが見えるだろう。読者によってはオレンジ色っぽいツンツン突き出した角のようなモノの方に目を奪われた人もいるかもしれない。緑に見える部分に目を奪われた方は愛妻家でツノ方面に意識を持って行かれた方は恐妻家…などという深層真理に基づく「性格判断」をしてもいいのだが、いやいや、やめておこう(今回はイヤイヤという繰り返し言葉が多いなあ)。緑の部分は水の中で生育しているコケの「葉」が開いた状態のモノが数多く集まっている場所なのだ。どのぐらい集まっているかというと1cm四方あたり200本以上。これはもはや隙間なくビッチリとコケの茎が、午前8時台の埼京線上り十条駅通過時点の混雑状態で詰まっているようなものだ。「おおそうなのか!そこまでの密生は凄い!」と誰か感激してくれれば幸いだ。おそらく現在の世界情勢を鑑みても、こんな「役にも立たなそうなこと」を知っているのは、私とこのブログの読者だけかもしれないのだ。70億人ぐらいいる世界のヒトの中で、ごくわずか、一握り。ブログの読者が10人に満たない場合、10本の手の指に入る人となれるってわけだ。しかし、そのことを知って記憶にとどめておくという所作は、ヒトの日常には何も役に立つことはあるまいなあ…。私だって、ついさっきまで忘れていたのだ。
 たしか7,8年前、じみーにこの三角コーンのようなもののコケの数をひとり研究室に居残って数え、論文の中に記述したっけなあ?そういえば、この論文が出るまで、南極のコヤツラの中のコケの生育密度なんてことは、世界中だれも知り得なかったことだったはずだなあ。そんなことをこのブログを書きながら思い出したのでしだ。「まあ、役に立つかどうか、今はそのことをだれも評価もできないだろうけど(この先評価される可能性は70億分の1よりはるかに小さい気がしている)、事実だけはちゃんと記述して残してやらねばなるまい。」それでいーのだ、と。世界でまだだれもやったことのないコケの茎の数について、ピンセットで一本一本拾い集めて数えたってわけ。
paper.jpg

 コケが数集まって、この形を創り出しているのか?というと、それだけではない。ビッチリとヒトをもう乗れないって言うまで詰め込んだ電車にも「足の隙間」「顔と顔の隙間」などがあるように、このコケの密生したものの中にも「意外に」隙間があるものだ。この隙間には「藻類」が野菜サンドイッチのマヨネーズのように(むむ、あまり適切じゃないかなあ?この表現)コケの茎をひっ付けている感じで存在しているのだ。さらにもう一回、先頭の写真を見てもらおう。ツンツンした角のように見える部分は、なぜか徒長してしまっているコケの茎なのだが(理由は分からないですので聞かないでください)、それをコーティングするようにオレンジ色の藻のやつらが取り付いているのである。モノの数から行くとコケの茎の数よりも藻類の個体数の方がはるかに多い、はずだ(あ、この藻類の数を数えたら、きっとまだ世界で知らないことを最初に調べ報告した人になれるぞ!)。ひとたび顕微鏡でこの三角コーンの一部をちぎってのぞいてみると、気の遠くなるような数の生き物が集まって暮らしていることに気づくのである。
 いつまでも三角コーンのようなもの、と呼ぶのに鬱陶しさを感じてきたなあ。この名前を「コケボウズ」と名付けよう、こう提案したのは、昭和基地のそばの湖でこの生き物が林立していることに気づき驚いて世の中に知らしめた私の先輩である。寒冷な湿地、根釧台地に広がる湿地などにミズゴケやスゲなど植物が集まり塔状に盛り上がるものに「谷地坊主」という名がつけられているのだが、それとの絡みで「コケ坊主」って、なったのだった。
koke.jpg

 それにしても、このコケボウズ、はたしてコケがつくった形と言っていいのかどうか?私にはいまだわかりかねている。なぜなら同じ種類のコケが、密生しながらもカーペット状になっていたり、ふさふさとした様相で生育していたりと、湖の中で必ずしも尖塔のようなかたちを作っているものばかりではないからなのだ。目に見える大きさの形を創り出している生き物がいる。それがその目に見えた形を作っている基本となっている生き物、それがコケであったとするなら、それをさして、「ああ、コケボウズね。あれはコケが南極の湖の中で示す一つの生き方なんだよねえ」みたいなことを自信を持って言い切るんだけど。はたしてコケはコケボウズの基本か?コケが形を作っているのか?と考えだすと妙な感覚にとらわれてしまうのである。この妙な違和感を他人に説明するのはちょっと難しいかもしれない。これは主に私の表現、説明力の無さゆえ。それでも…

 ひとつ例を示そう。たとえば「ウシ」というモーと鳴き草を食べ、ときに最近は狂牛病になってしまう動物がいる。この存在になにもウソはないだろう。(たとえば、このブログ読者の男性の彼女、もしくは女性読者のあなたが、いつも「もぅー」とプンプン怒って、最近ダイエットのために野菜サラダ主体の食生活をしていたが挫折、リバウンドで牛肉の焼き肉をしこたま食い続けて、狂牛病の疑いをもたれてしまった、この女性はたとえ牛と見間違うような様相になるまで成長してしまっていたとしてもウシではない…みたいなことを書き続けてしまうと、絶妙に面白そうだが、シコタマうそっぽくなる。)そこへ、ウシなど地球型生命体を見たことが無かった地球外の高度文明をもった生命体が地球探検に来た(ウソっぽさを宇宙空間まで広げちまうと、なぜか許せてしまえるものだ)。動くモーと鳴くモノに出会った(あなたのことではない)。何だこれは?と思い、サンプルとしてウシを捕獲して調べてみることにした。ひょんな興味から、この動くものはどんなもので作られているのだろう?と、地球的科学の常識なら骨格とか筋肉とか組織とか器官を調べるところを、異星人たちの科学的手法の主流は、まず、体全体から見つかる生き物の種類を調べることだったのだ。ウシの腸内にはおびただしい数の腸内細菌が見つかるはずである。原生動物もうじゃうじゃ見つかる。この異星人はこの地球でウシと呼ばれるモノは大部分が一系統の遺伝子情報を持つ牛本来の細胞から構築されるが、そのほかきわめて多様で異質な遺伝子情報をもつ生き物が、数の上ではどちらが多いかわかんないぐらい見つかる、という事実を掴んで驚愕するわけだ。はたしてどちらがこのモーと鳴くモノを「ウシ」として存在させているのだろうか?なーんて。地球外生命体、悩まないかなあ?なんて愚にもつかない心配をしてしまうのだ。
 しかしウシはウシだけの遺伝情報で腸内細菌なしにも存在できるのだろうから、あの動いてモーと鳴く大きな動物は「牛」と呼んでいい気がするけれど(たとえば牛が間違って正露丸を食べてしまうと、腸内細菌が全滅しちゃうかもしれないけど、ウシはモーと鳴き草を食べて生きていることができる、みたいな実験で実証可能…)、「コケボウズ」はコケだけで存在していないし、コケ以外のモノを取り去るとコケボウズとして存在しえない。単なる密生したコケとなってしまう気がするわけで…。こんな感じだから、「ああ、あれはコケ」なんだよね、と、目にみえる立派な大きさの形を作っているモノに対して、断言することのできないということに、イラダタシサや「違和感」を感じちゃうわけなのです。感じてきたでしょ?

 ううう、妙な例示のせいで、地球外生命体からも難を与えられそうな気までしてきたのだ。この辺でやめておけばいい気もするが、実は次回も、もう少し、違和感に付き合っていただく人を募集したいのだった。では、また。

  • TB-URL  http://www.akt.co.jp/akt-blog/adiary.cgi/nankyoku/046/tb/