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南極ブログ通信

2010/12/26(日) 誕生の現実

2010/12/26 18:45 日記 工藤栄

 おそらく今頃、日本では天皇陛下やイエス・キリストなど神々の末裔の誕生を祝福する行事が一段落し、残り少なくなった2010年の年の瀬ムード一色に切り替わっていることだろう。夏らしい天候が2週間ほど続いていた昭和基地、今日はちょっと中休み?なのか、朝から小雪交じりの天候となってしまっている。ここ昭和基地では我々と交代する新たな観測隊が到着し、基地周辺の人口が今のところ一気に3倍増(この先、しらせ乗組員も昭和基地の作業支援に上陸してくると基地内人口は200人を超えることもありうるから、28人しかいなかった越冬隊員にとってはものすごい混雑感となるのだ)となっている。基地内には物資を輸送するヘリコプターの音が響き渡り、夏期間の建設工事も開始されはじめたから、何というか一気に師走突入の喧騒となっているのだ。
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 昭和基地の周りに人が活動し始める前の古からある喧騒といえば、夏のこの時期のアデリーペンギンルッカリー(集団営巣地)である。11月半ばに巣作りをして卵を温めだしたペンギンたちの雛が孵化するのがちょうどクリスマス頃なのだ。こうなると卵を産んで一時、栄養補給のために沖合の海に餌をとりに行った親鳥が帰ってくる。そして卵を温めていた片親と育児を交代するべく、お互いのパートナーを確認する儀式のオタケビのような鳴き声が響き渡るのだ。これに生まれたばかりのヒヨコのピーピーという鳴き声の協奏曲が奏でられるのだ。だからそれまで丸くうずくまってじっと卵を温めていた頃のひっそり感が消失し、ルッカリー周辺は一気に活気を帯びるのだ。

 12月に入ってからこのブログでもしばしば描いた隣の島のルッカリー。先週まではまだ親鳥が丸くなって卵を温めていただけであったのだけれど、もうそろそろ孵化しているはずだ。新たに到着した観測隊の仕事の支援を要請されたこともあって、今月に入って3度目となる探訪を実施したのだ、クリスマスの日を選んで。ここまで2週間の晴れた夏空は基地の周辺の凍結した海をも確実に溶かし始めてくれた。雪で覆われていなかった裸氷帯は急速に融け始め、氷の上に水たまり(パドル)をつくり始めている。先週までは小型雪上車で何の不安もなく海氷上を走行できていたのだけれど、そこから数日経過しているのだ。これまでの経験からくるちょっとした心配から、今回はより軽量で軽快なスノーモービルで向かうことにしたのである。
 予想していたこととはいえ、ルート上にも水たまりが広がりはじめてきたので、走行がままならない。明らかな水たまりを避けたつもりでも、ところどころ海氷の上の薄氷が割れて隠れた水たまりが現れ、水しぶきを上げながら通過しなければいけない部分も生じはじめたのである。もはやこの次にここへ来るとしたら、近距離だけれどもヘリコプターを利用しなければなるまい、海氷上を乗り物で移動するのはこれで最後だな、と実感しながら、なんとか隣の島へとたどり着くことができた。
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 この島には大小3つのルッカリーがある。三つの内二つは昭和基地の周辺のルッカリーとしては中規模のルッカリーで残りのひとつが100羽に満たない小規模のもの。11月半ばに中規模のルッカリーにたどり着いて繁殖活動を始めたペンギンはおよそ150〜200羽であった。産卵を終えた母鳥が餌取りのため島を離れ、雄鳥が巣に残って卵を温め始めた時の数は、そのうちの一つのルッカリーでは12月はじめでおよそ60(もう一つの同規模のルッカリーでもほぼ同数であった)。これはおよそ150羽のうちの8割に相当する120羽の結婚?が成立し抱卵が始まったことを意味する。残りの2割はお互い気にいったパートナーを見出すことができなかったのか、それとももっとフクザツな事情があったのかはわからないのだけれど(人々のカップル成立確率と比べると…どうなんでしょ?はっきりした数値はわからないんだけれど)、まあ、なんとなく8割というのは、そこそこうまい具合にカップルが成立した気もするのだ。だから、ここまでは特別に違和感を覚えることなく今年もまたアデリーペンギン達のにぎやかな季節が始まったな、
「さあて、12月に入って初めは天気が思わしくなかったけれど、このごろ暑いぐらいの気候が2週間続いたし、きっと順調に育っているだろうなあ。とすれば、そろそろ孵化してにぎやかになるころだぞ」
と、思っていたのである。だがその実、先週の探訪の際に気がかりなことがあった。今月1度目の探訪の時よりも2度目の探訪の際に、卵を温めていた親鳥の数がなんだか急速に減少していたように思えたのだ。ルッカリー周辺にはペンギンの天敵、ナンキョクオオトウゾクカモメも巣をつくり、彼らもまたペンギンの隙をみて卵を狙って命がけで暮らしているから、この抱卵期にいくばくかのペンギンの卵が強奪されるのは「自然」なことではある。そんなことで、いくつかのペンギンは自分が温めたいた卵を奪われて、早々と今年の子育てから脱落してしまったんだろうな、そう思っていたのだった。そんな強奪のリスクに対処するためなのか、アデリーペンギンは、通常、2個の卵を産み育てるのだ。ひとつが奪われても、残りのひとつは集中してさえいれば、そうそう奪われちまうものではないだろうと思うのだが、今年はトウゾクカモメの攻撃が巧み過ぎるのか、それとも我が卵を守りきることのできない稚拙な親が多かったのかなあ、空になった巣を見てそう思っていたのだ。
 1月中にペンギンルッカリーを訪れその周辺や親鳥が育てている子供の様子を観てみると、雛が親鳥と同じような大きさになる2月初めまでの間に、2羽の子供が無事に育つことが、かなり稀なことであることに気づかされる。これは孵化してから大人と同じサイズに育つこの期間、海の餌状況や外敵のせいで雛鳥のかなりの数が死んでしまうことを意味し、そんな過酷な物語を裏付けるようにルッカリーの周囲には雛や幼鳥の亡骸が多数ミイラ化してそこここにあるのである。こんな孵化してからひとり立ちするまでの過酷な状況はこれまでの経験から「何となく理解」したつもりになって半ば、「常識」として感じていたのだけれど、まさか卵が孵化するまでの間に…。
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 島のルッカリーに近づいていくと、親鳥の鳴き声に交じってかわいい声の雛の鳴き声も聞こえて来た。
「あ、やっぱり生まれたね。もうそろそろだと思っていたんだよ。さあ行ってみよう」
と後ろの隊員に声をかけて、スノーモービルを降りて島へと上陸した。島の手前の海の上には3羽の親鳥がお昼寝中。その脇を驚かさないように通り過ぎて、早速、とばかり、岩の斜面を登った日当たりのよいところにあるルッカリーへ行ってみたのである。そこにははたして生まれたばかりの雛を抱いているペンギンの姿が確かにあった。…ただ…その数、わずかに4羽、なのだ。
 ここには60以上の巣があって、当初60羽の親鳥が卵を温めはじめていたはず。現在そこにいるのはどうやって数えても間違えようのない数、4羽しか、いないのだ。残り56羽の親たちの巣は無人というか無ペンギン状態で放棄されている。産卵から抱卵している段階で雛が孵化できたのは1割にも満たない。これはいったい何を意味するのだろうか。
「あれ?この卵が無事に孵化する割合って、いつもそんな小さなものだったかなあ?」
いやいや、違うはず。確かにトウゾクカモメに襲われて卵を盗まれてしまうペンギンもいるのだけれど、これまでの経験ではもっと確実に多数の家族の卵が孵化していたはずだ。この規模のルッカリーならば記憶にある限り、餌取りから戻ってきた親鳥も入り混じって100羽ほどとなり、隣近所での小競り合いも繰り広げられる喧騒極まりモノないものだったはず。なのに、これではまるで疫病に取りつかれたゴーストタウンではないか。
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 もしかしてこのルッカリーにだけ、特別、何事かが起きてしまったのだろうか?そんな疑念も芽生えたのである。そこで、この島の中央にあるほぼ同規模のルッカリーも訪ねてみることにした。しかし… そこでも抱卵している親鳥の姿は少なく、わずか3羽だったのである(そこではまだ孵化していなかった)。
 はたして今年、ほかの島や大陸上のルッカリーはどんな事情なのだろう?今年のこの周辺のルッカリー共通のことなのか、それともたまたまこの島のルッカリーに限定して生じてしまった悲劇的事象なのか。孵化成功率が1割に満たないのは自分の限られた南極の夏の観測事情からは経験のなかったことなのだけれど、それはペンギンにとっては「よくあること」なのだろうか?卵が孵化するまでの間、親鳥は巣に丸くなって時折おなかの下の卵を動かすぐらいで、巣を離れてしまうわけではないように見える。こんなに慎重に卵を温めているだけの時期に、これほどの消失・損失が「普通に」生じるとは想像しづらいのだが。もしかして今年の海の状況が悪く(氷で閉ざされっぱなしである)最初に餌をとりに行ったオクサマがいつになっても帰ってこず、巣でじっと卵を温めていたダンナがおなかがすきすぎて限界、「モウ、オレサマモ、ナニカクワネバ、シンジマウ」極限状態になってしまい、卵を孵化させることを断念し、巣を離れたのかも。そしてあとに残された卵はトウゾクカモメの喰うに任せることになってしまったのかもしれない。そんなに厳しい海の状態ならば、この先、雛が生まれたとしても、餌が不足したり、巣から親鳥が離れたすきに外敵に襲われるなどして死亡する過酷さは、いつも以上の…。
 今年、この日に生まれた雛は育ち旅立つことができるのだろうか、かなり心配でもある。これほどまでにこれらルッカリーで孵化することなく卵を消失させた原因は本当のところ何なのだろうか?今年のトウゾクカモメが強烈凶暴で、片っぱしから卵を狙い食いつくそうとしただけではあるまい?確かにルッカリー周辺にはそんな卵の殻が多数散らばってはいる。でも、それならばこの先、ごくごくわずかしかいなくなったペンギンの雛ゆえ、この先トウゾクカモメの子育てもうまくゆかないという悪循環に陥りはしないのか?
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 自然は「いつも寛容なものではなく、だからといって、決していつも過酷なだけのもの」でもない。そんな中で生き物は「ただひたすらに生き続けよう」としているのだ。今回のペンギンルッカリーの出来事は、そんな自然のちょっとだけ悪いことやいいことことが、この極限の地に生きる生き物にとって、ものすごく大きな作用をもたらしてしまい、その存亡を左右しただけのことなのかもしれないのだ。
 そんな自然の揺らぎの中でアデリーペンギンが生き続けていくためには、親鳥が確実に同じ数だけの次世代を一生の間に残す、それだけで成立することなのだ。その意味では、産卵と子育てを複数回繰り返すことができるならば、そのうちのごくわずかの回数だけ「うまくいけば」いいだけのこととなる。これは理屈上、頭では理解できることではある。だから、10年以上の寿命を持つとされるアデリーペンギンなのだから、場合によっては「全くうまくいかない年」が繰り返しあってもちっともおかしくはない。だけれど、今回のようにその後の巣立ちまでのもっと厳しい試練の期間が控えている前の卵の段階で、ここまで激減してしまったこと、その原因が私の頭ですぐにピンとこない故、驚きだったのである。そんなことも真実としてあるのか、と。だが…、考えようによっては卵の段階で早々に子育てをあきらめ、自らの命を維持するということに切り替える生き方はものすごく賢いことに思える。極限の地において「自然が許せば卵を孵化させることもできるけれど、許さなければ早い段階で放棄すれば、その後、非常に困難を極めるだろうその年の子育てのエネルギーを節約し、自らが生きていくことに集中させることができる」のだ。そう見るとペンギンがこんな極限環境で生き続けてきた「うまいやり方」のような気がするではないか。そういうふうな自分の頭が落ち着いた考えに達するのに数日を要してしまった。相変わらず、ボンクラである。

 帰り際、ペンギンルッカリーから流れる雪解け水が残雪にしみこむところの雪が赤く染まっているのを見つけた。これは氷雪藻類の繁殖で生じた彩雪現象なのだ。生き物の生と死は隣り合わせ、ある生き物がうまくいかなかった同じ場所に、生きるチャンスを逃さずに増えたモノを、見出すこともできる。
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2010/12/20(月) 南極の湖の物語 その47

2010/12/20 27:08 日記 工藤栄

「風薫る季節」

 このところの精進の効果か、12月中旬に入ってから安定した晴天が続いてくれている。日中の最高気温はプラスの3から4℃。屋外で作業をしていると暑くてウインドヤッケなどの上着を着ていられないほどだ。除雪でスコップをふるっているとすぐに下着までびっしょりと、池にはまってしまったかのごとく濡れてしまうのだ。半そでで作業しても体感温度的にはOKなのだけれど、日差しと紫外線が強すぎるのでこれはNG。小一時間も屋外にいれば、露出した腕が真っ赤に腫れあがってしまうのだ。しかし…3℃ぐらいの気温で半袖で暑がっているのだから、この先文明社会に戻った時、普通に暮らしていけるのか?少々心配でもある。

 新たな隊の到着に、間に合わせることができるのだろうかと危ぶまれていた主要道路の除雪や夏季隊員宿舎の準備も(水源のダムが完全凍結し、液体の水が無かったのだ)、隊員たちの休日を返上しての残業に次ぐ残業と強烈な太陽の日差しで何とか整った。
 除雪した道路は土が顔を出し、道脇の雪壁も融けて所々に水たまりをつくり、白い雪と青空を映しだしている。間違いなく数日の後には、にぎやかな連中が昭和基地へと降り立って活動をはじめ、今は人通りもないこの街道にトラックがひっきりなしに行きかうようになるのだ。
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 新たな隊の迎え入れ準備として恒例の「布団干し」を、そんなある一日に実施した。新たな隊が夏の間に使用する布団。少しでも快適に使用できるようにと、南極の夏の強烈で紫外線も強い日差しで干して準備するというのが日本の観測隊の伝統として受け継がれているのである。昭和基地のヘリポートを竹ぼうきできれいに掃除してから、ビニルシートを敷いた上に布団を並べて日干しにしたのである。はたして布団文化圏でない外国基地では、こんな歓迎行事はないのだろうか?ベッド文化圏の国では、布団の日光で乾かすなどという所作はそもそもしないのか?湿気の多い日本ならではの行事なのかなあ?といろんなことを考えながら、ほぼ8ヶ月間使われることのなかった布団を日光の下で広げて乾燥させたのである。布団はふっくらと「お日様の匂い」を蓄えて、とりこまれたのであった。時に太陽のもとで乾燥させた布団から感じられる独特の匂いというのは、何なのだろう?
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 日本で暮らしているといろんな瞬間に風が運ぶ匂いにちょっとした驚きと興奮を覚えることがある。見目麗しい女性が通りすがりに放つ香り方面は、私の得意とするところではないので割愛するけれど(夕餉の時間に各家庭から漂うおいしそうな香り関係は得意なのだけれど、これも割愛)、「風薫る」というと新緑の若葉が芽を出す頃、爽快な草木の息吹を感じさせるようなものであろうし、真夏の湿度の高い草いきれ、あるいは夏の焼けつく日射しの砂浜の放つ匂い、にわか雨が来た直後の埃っぽい臭いなど、季節の移ろいをそれとなく感じさせたり、あまつさえ郷愁を感じさせたりするようなものがある。ここ南極ではそんな自然の移ろいを風の運ぶ香りで感じることができるのだろうか?すべてが凍りつくような極寒の季節にはさすがに「風薫る」ようなものを感じることはできない。その季節にあるとすれば、限りなく無に近い冷たく張詰めた空気の透明感なのかもしれないけれど。だが、今は夏である。凍りついていたいろんなものから匂いも解き放たれる季節なのだ。ではでは、そのへんを実感して来ましょう、君たち!とばかり、元気な女性隊員たちが隣の島の沖合に設置した装置の点検に出かける機会のお手伝い人足(穴掘り要員なのだ)として出かける機会を無理やり創りだして出かけたのである。手に一冊の童話を携えて。
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 隣の島のペンギンの営巣地(ルッカリー)のそばへ近づくと、特有の動物臭が漂ってくる。これはお世辞にもすがすがしい香りというわけにもいかないけれど、夏到来、生き物の躍動を感じさせるものがある。真夏の日差しを背中に浴びて丸くなって卵を温めているペンギンからは南極の自然の厳しさというよりも、なんとなく滑稽なモノを感じ、その姿に思わず笑みを浮かべてしまう。
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 だけれど、先日まで温めていたであろう卵が割れて巣から転げ落ちているのを見つけちまうと、ペンギンはただじっと丸くなっているようだけれど、その実、隙を見せてしまえば、その脇でやはりこれもまた生の営みを始めたトウゾクカモメの餌食になってしまうのだ、彼らなりに必死に生きているのだという厳しい側面もうかがえるのだ。
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 ペンギンのルッカリーの強烈な動物臭は、おそらくはしっかりとここで生きている生き物が放つ力強さなのだろうと思うのだ。そのルッカリーの周りにはしばしばナンキョクカワノリが繁茂しているのを見かける。雪解け水とともにルッカリーから運ばれる栄養を糧に、この藻類は緑の絨毯を敷き詰めるがごとく繁茂することがある。カワノリという名の通り、焼きそばに降りかける青海苔と同じような匂いがするのだ。ただし、ルッカリーの強烈な匂いのため、残念ながらカワノリ自身の匂いは積極的に感知しようとしなければ、そこに群生していても漂い感知されるものではない。
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 「開け放った窓から、突如入り込んだ木々の匂いに驚く女の子、こずえちゃん」の物語を手にしながら、南極の夏の到来を感じさせる匂いを探索する小旅行。今回の最後に海の氷の上に寝そべるアザラシ親子のそばへと足を進めてみた。アザラシは…じつはかなり魚っぽい匂いを漂わせるのである。調査のために捕まえようとしたり、海から呼吸のために突如顔を出した瞬間に遭遇し、息を吹きかけられたりした場合には、その匂いは強烈。ただし、ごく普通に観察のため5mぐらい距離を置いているならば、匂いを察知できるほどではない。ペンギンの営巣地は一言で言うと鳥小屋の匂いなのだが、アザラシのため息?もっと生臭さがあるのだ。おそらくは彼らの主食、魚由来の匂いなのだろう。ぬいぐるみのように愛嬌のある表情のアザラシではあるけれど、その匂いの強烈さにはしたたかに生きるものの貫禄のようなものを感じてしまうのだ。
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 「こずえちゃん」の物語(童話)の作者、桜田陽子さんは私が生まれ育ったわずか50軒ほどしかない集落で生活している女性である。この本は英語と日本語の見開き同時掲載の形式で出版されたものである。つい先日、故郷で生活している幼馴染の友人がこの本を南極の私に紹介してくれたのだった。風が運ぶふとした匂いや香りに心地よさを感じたり、季節の移り変わりや、生き物たちの気配を感じ味わいながら生活を送ることの豊かさを、私たち大人もまた忘れてはいけないなあ、と改めて思いながら、南極で感じることのできる匂いを確かめながらの今回の小旅行を終えたのでした。

 そうそう、これから南極の湖たちはこのまま夏の青空がああと半月も続けば、湖面を覆う氷が消失し水面が顔をのぞかせるのだ。一年で2カ月ほど解き放たれる湖面から放たれる湖の香り。湖にはそれぞれに異なった個性ある香りがある、少なくとも私はそう感じる。これを味わうには晴れて無風の湖にボートを浮かべ、オールで輝く水をかき進む際に、オールから伝い落ちる水滴が水面ではじけて弾み舞い踊る「水の妖精のダンス」あるいは「水の子供たちの歓喜」を眺めながらが状況としてはもっともふさわしい、と思う。水滴が水面に落ちた瞬間、水の中に潜んでいた小さな小さな水の子供たちが驚いてはじけて弾み踊る様にも見て取れる「水の妖精、あるいは水の子供たちのダンス」ってどんなこと?と思われるかもしれないけれど、それはこれ以上はあえて教えないでおくことにするのだ。だって、体験すればわかること。教え過ぎは、不思議さやそれに出会った時の驚きや感動を薄めてしまうからね。

2010/12/14(火) 南極の湖の物語 その46

2010/12/14 22:13 日記 工藤栄

「湖の寿命・遷移あれこれ その2」

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 ようやく3日である。何が?というと、太陽が夏の日差しで輝きだしてくれたこと。除雪を始めた道路に雪解け水が川のように流れ始めてくれたのだ。こうじゃなくっちゃ、夏が始まらない。過去の観測記録を紐解いて、この初夏の状況をレイセイに分析して、ここまで雪解けが進まなかったことを理解してみようと思う。
 南極の初夏に相当するのは10月、11月というところだろう。この時期にブリザードが月2回というのは平年並みなのではあるけれど(12月に入ってすでに二回来ちゃったというのは、これまた別の意味で困った事態を引き起こしたのだけれど)気温が平年よりもはるかに低かったのは事実。これを引き起こしたのは、観測史上10月は二番目、11月は4番目に日照時間が短いという記録だったのだ。日照時間が長くなって日の沈まぬ白夜を迎えるこの季節、晴れ間が続いてくれさえすれば、あっという間に日照時間は増えるというモノ。日射しは大地を温め、雪解けを加速し、気温を上昇させる大切な要因だ。この二カ月の日照時間月別積算値をさらに積算してみると、323時間となった。これは実は10月と11月を初夏と定義すると、観測史上最も日照時間が短い初夏だったことが判明したのだ。これに続く悪い記録は1971年、329.7時間ということになるのだ。二ヶ月間続けて記録的に悪い物を足し合わせると、相乗効果で(この日本語と数学的意味合いが微妙だよなあ…、私科学者なのかなあ?)ここ半世紀で最悪なのだ。だから、今年の状況は『むべなるかな』ということ。したがって心情的にはここから晴天が続いて初夏の悪かった分を盛夏に取り戻してくれれば、と願うこの頃なのです。

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 そんな日射しがようやく訪れた夕食後のこと。我が観測隊で唯一、生まれてからこのかたペンギンの集団生活場所を訪ねたことが無かった隊員を無理やり連れ出して、海を渡って隣の島へ行ってみたのである。雪上車で30分余り走ってたどり着くその島の周辺は、まだ海の氷の姿は真冬が終わったばかりの安定感で、この先いつ融けだすのか?その気配すら感じさせないしっかりとしたものなのだった。その島には100つがい以上のペンギンが子育てをしている集団営巣地(ルッカリー)があるのだ。
 島の周りにある潮位差で生じる割れ目のそばには、アザラシの親子が眠そうな表情でお昼寝中であった。アザラシ親子が何世帯か集まってお昼寝を見ると、氷が溶けだす夏であることがそこはかとなく実感されてくるもの。輝く日射しの中で眠そうにゆっくりと振り返るアザラシの表情には、真理を悟った哲学者を想起させるような深遠さが滲みだしている。
「夏が始まったことを、君は(人間は)わからないのかね?何を余計な心配をしているのだ。心配してもどうになることでもないだろう?愚かな患いは捨て去り、この日射しを謳歌するのが、最高の時の使い方なのだよ。」
そんなふうに、生まれたばかりのアザラシに諭されてしまった。ちなみにまだ生まれて一月ばかりの子供なのだけれども…、彼らが生まれながらに持っているモノの中には人間が死ぬまでに得ることができないモノが、なんとなくたくさん在る気がするのは、私だけだろうか?

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 アデリーペンギンは先月半ばに島へと渡りたどり着いて集団で巣を構え、卵を産んで、今はひたすら丸くなって卵を温めている。トウゾクカモメもまたペンギンが歩きたどり着くのとほぼ時を同じくして、なぜかキチンと飛来してきて、ペンギンの集団営巣場所の脇でペンギンの隙をうかがいながら繁殖活動をはじめている。青い空に白く輝いて雪鳥が群れ飛んでいるから、彼ら南極昭和基地の常連・定住者はそれほど「特別な夏」じゃないよと言ってくれているようにも思うのだ。このほか今年はナンキョクアジサシの群飛来とナンキョクフルマカモメの飛ぶ姿も目撃したけど、これはちょっとした特別なのかどうかは、残念ながら私にはちょっとわからぬのだ。ごめんなさい。

 さて(かなり時候の挨拶的、前置きが長かった気もするのだが)、みなさん。湖の遷移ということをご存じだろうか?湖が出来上がってから潰えてしまうまでの間、自然状態では湖というモノはいくつかの特徴的な段階を経て移り変わっていくのだぞ、ということを「さもわかったかのように」カタログ化したものだと理解していただければ、そう外れたものではない。何もない陸地のくぼみに水がたまった状態が湖の誕生の瞬間とすれば、それは、おおむねきれいな水だけで始まるはず(貧栄養環境)。そこに周りからいろんなモノが流入し、生き物が生活を始めるようになる。肥沃化しながら、通常、それが進行すると同時に堆積物がたまりこんでくるのだから湖の水深は徐々に浅くなってくる(富栄養化)。栄養がたまりこんできて水は中に繁殖する生き物や雑多なもので濁る(「水清ければ魚棲まず」の逆で、生物活動が盛んな状態なのだという意味で、最も湖が生き生きしている年代なのかもしれない。単純に人為的な汚染による富栄養化とは若干ニュアンスが(ニュアンスだけ)異なるもの、としてもやぶさかではない、けど、ぼくの心情的には一緒かな?と思えるところもあるので、あえて曖昧にしたいところ、なのだ)。
 湖が浅くなってくると湖底から生える草本類が浸入しだし、湿地・湿原化する。やがては湿原が乾燥して草地へと移り変わってゆく。こんなのが湖の遷移(湿性遷移)とされているものだろうかな?それぞれはシームレスに連続したものではあろうけれど、さも「安定したステージ(極相)」がしばらく安定して持続するように見えたりするから、わざわざ遷移という生態学用語をつけて呼んだりするのだ。この所作は複雑で難しいモノゴトを単純化して万人が共通理解できるようにと努めた、人間だけが可能な行為の資するところなんだろう。単純化してでもわかりたい、わからせたい、わかったつもりにならなきゃ気持ち悪い、落ち着かない、という欲求のなせる技なんだと。
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 南極の氷河がつくった湖は、海水に端を発しているものも稀にはあるけれど、大方は氷や雪の融け水が起源のものだ。氷河や陸地には肥沃な場所がほとんどないから(ペンギンや動物の集団生育地はかなりまれに隣接する湖をかなり肥沃化する原因とはなるのだけれど)、水そのものに栄養物質がほとんど含まれないのが普通だ。したがって、海起源(海水中には雪解け水や氷河の融け水に比べ1千倍以上の栄養物質が溶けている)や動物集団の生育地からの栄養の供給のない普通の南極の氷河湖は貧栄養環境からスタートすることになる。
 何も栄養のないようなきれいな水の中で、小さな植物や細菌がジワリジワリと活動を始め、やがてその生き物たちは生き物らしく何とか希薄な栄養を集め創り出し、湖底に自らの死骸として堆積させていく。生物の死骸と生きた生き物からなる堆積物は低温のためゆっくりとしか分解されない。融け水はゆっくりとだが周辺から土砂を運びこれも一緒に湖底に堆積され、湖は次第に水深が浅くなっていくのだろう。湖底にたまった生き物起源の物質は、ゆっくりとしか分解しないものであったとしても、確実に湖を肥沃化する作用を持つはずである。この意味で南極の湖もまた貧栄養環境から次第に富栄養環境へとシフトするポテンシャルはあるはずだ。ただし富栄養化が進み、水深が浅くなったところで、おそらくはその湖中に草本が侵入し生え草原と化することは、陸上に花の咲く植物が大陸上で繁殖していない事実から、現状ではかなり難しいことだと思うし(極度に地球が温暖化して南極が亜寒帯程度になって草本類が南極大陸へこぞって侵入したら話は別だ)、現在、陸地でつつましく生き続けているコケや湖中のコケが今以上に繁茂して湿原化していくというのもまた難しそうだ。ある程度浅くなった段階で、氷の発達と機械的かく乱がコケの生育を邪魔してしまいそうだからね。現に毎年氷で覆われ削られる湖岸や湖棚にはコケが繁茂していない。だから、安定した湿原・湿地に遷移していくことは、この南極の環境だと成立しにくいような気もするのだ。
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 前の氷期が明けた後で成立したとされる、まだ出来上がってから歴史の浅い南極の湖たち。これらの湖は富栄養化に至る段階にも達していないのかもしれない。それでも、既に湖底では藻類たちコケ類が繁茂して厚い堆積物を作り、その上に多様な不思議な形をつくりだしている。もしかしてこの多様な形をつくりだしている意味合いは、湖の遷移として富栄養化に伴う変化と応答のなせる技ととらえた方が理解しやすい現象なのかもしれない。これらの湖が貧栄養湖からこの先は富栄養湖へと教科書的な遷移をみせ、その中で現在の湖底に繁茂した藻類やコケがみせる形も変化していくのだろうか?はたまた遷移の中途で水を失ったり、完璧に凍結してしまう氷期を迎えたりして湖としての寿命を終えてしまうのか、私の興味の一端はそんなところにもあるのだ。
 現在は地球上でもっとも澄んだ水をたたえている南極の湖たちの行く末はいかなるものなのか?その中で生き物はどんな世界を営み続けてくれるのか?地表に生きる我々に語ってくれる物語の翻訳者として少しでも役立てるなら、努力を続けていきたい、と、今回はいつも以上に神妙に今回のブログを結ぶのでした。

 でないと、この3日間安定させてくれた南極の天気の神様の機嫌を損ねちゃうかもしれないからね!

2010/12/06(月) 南極の湖の物語 その45

2010/12/07 5:56 日記 工藤栄

「湖の寿命・遷移あれこれ1」

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 白夜の真夏が始まった昭和基地なのだが、今一つ天気が良くない状況が続いている。すっきりとした青空の晴天がちっとも長続きしないのだ。ブリザードが吹きやんだ月はじめから春の「淡雪」を思わせるような降雪がしばしばあって、砂まきをして融雪を促したつもりの雪面に、柔らかく覆いをかけてくれるもんだから、なかなか融雪が進まない。近年、予想精度がとてもよくなったと思われる気象予想では、今週、また明日あたりから吹雪くと見込まれている。すでにこちらへ向かっている第52次観測隊は暴風圏を通過中で、間もなく流氷や氷山を垣間見ることになる南極海へ入るというのに、この天候状況だと、彼らが到着する前にトラックが基地周りを走り回って荷物運搬や工事ができるように除雪することができるのか、かなり微妙な気もしてきた。科学の進歩・観測の積み重ねで正確な天気予報ができたところで、この先の限られた残された時間の中で、除雪を完了させ新たな隊を迎え入れることに対しては、ちっとも役には立たないのだ。悪いほうの予想は不必要な心配をあおり、いい方の予想はちょっとした安心感と慢心を導くだけ。我々自然科学の研究者が自然の仕組みを解明したところで、いまだ自然を思うように制御し得ないことと(この先も思うようには決してできまい)、共通するものがある。そんなすぐに役立つものではないものや、この先未来永劫役に立つかどうかもわからないものを、なぜ熱意をもって自然科学者は取り組むのかといえば、私の場合、「自分で面白い」と思っているから、というのが答えである。もっと立派な自然科学者たちはその人の人格に応じた別のきちんとした考えを持っているものだろうけれど(もしかしてここら辺が私のいけないところなのかもしれない)、それは私には知る由もないし、関心事ではないのが本音。
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 52次隊を迎えるまでの時間が迫って、ことさら時間というモノに有限性や巻き戻しのできない不可逆性というような融通の利かなさを感じているこの頃なのだ。時間の流れの中にとどまったり、さかのぼったり、飛び越えたりするのは理論の世界でできたのかどうか、しっかりとは知らないのだけれど、理屈だけじゃなくて実体のあるものがそのような行為をSFの中の物語のように実現できるものなら、おそらくはそんな「時間の流れの澱み」の中に生活場所を見つけるような「生き物」がとっくに存在し活躍しているのかもしれない。でもそれはもはや生き物というのもというよりも何か超越したモノなのかも。
 それはともかく、現実世界では時は一方的に流れ過ぎ去ってゆき、その中で宇宙が生まれ、星が生まれ、我々の生活する地球もでき、地球の中に生命が誕生し、地球の環境とともに生命は進化して現在までに至っているのだろう。個々の生命は有限の寿命を持ち、地球や太陽を含めた星にも有限の寿命がある。おそらく宇宙にも寿命があるのかもしれない。そんな有限の時間を生き物はことさら小刻みに使うように多様化し生き続けているように思えてくる。もし、ひとつの星が誕生した時からその星が潰えてしまうまで、寿命という概念のないひとつの超生命体が終始独占して生き続ける、みたいなことは、この広い宇宙の中で果たしてあるのか?そんなことは成り立ち得ないのか?あるならば、それは生命体としての繁栄や絶滅の概念はない代わりに、星の環境変化一切にさらされても、過酷さも享楽さも感じる意味もなく、成すがまま為されるがままに物質とエネルギーを取り入れて代謝し永遠に存在するものなのだろう。なんか、そんなのは冥界、無限地獄の魑魅魍魎のようでもあり、有限の寿命に甘んじその中で面白さに興じている私なんかの想像と空想をはるかに超えるものなのだろうから、これはこれでおしまい。
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 さてさて、小宇宙にたとえられる湖もまた、生命を内包し育み、有限の寿命の中で存在しているものだ。湖の場合、それはせいぜい100年ほどしかない人類の寿命をもってしても十分認識可能なレベルの寿命の長さ、といえる。ひとりの人の人生の中で湖ができ、消失する場面を体感、そんな場面に直面するかもしれないのだから。たとえば、豪雨の後、河川が氾濫して三日月湖ができたり、落窪ができたり、あるいは人為的だが川をせき止めてダム湖を作ったり、堰きとめられていた湖が地震などで決壊し消失したりするからね。こんなせっかちな湖ばかりではないけれど、現在の人類ホモ・サピエンスが地球上に出現し現在の隆盛?までの歴史を100万年とすると、それよりも長い寿命を保っている湖は世界にもおそらく数えるぐらいしかない。日本の琵琶湖はおよそ500万年という世界の長寿湖ベスト・テンに入るぐらいの異例の長さの歴史がありそうだけれど、そのほかの多くの湖はもっとごくごく最近に生まれたものである。もちろん雨上がりにできる水たまり以上には湖というぐらいだから十分寿命が長いだろうと思うけれど、水たまりと湖の違いの境界は?と問われると、湖の中には「さまよえる湖」のような季節的に突如砂漠地帯に出現し、消失するようなものまであるから、実は答えに窮してしまうのだ。
 湖の水が水が失われると、それはかつての湖ではあれど、もはや現役の湖とは言えないものだろう。水を失ったら湖としての寿命は一旦終了としてみてもいいはずだ。上や下の写真にある凍結した湖沼群は、実は2mに満たない浅い湖盆なのだ。この程度の浅さだと、この場所の厳冬期(およそ5月から10月ごろまで)には湖底までしっかりと凍結するのだ。こんな湖は一見してとても奇麗に青い氷で覆われているから、深くて氷の下に液体のある湖(黒く吸い込まれそうな色合いの氷が発達する)とは容易に区別がつく。そんな浅い湖の場合、毎年のように液体の水は凍って失われるのだから、湖としての寿命は毎年終わってしまうと考えていいのだろうか?すっかり凍ってしまってた湖状のものというモノは、地面に氷が接しているようなものだから、よくよく考えていくと今度は南極大陸上にある氷河や氷床と区別するのが難しくもなってくるからなあ…。
 昭和近辺のこうした浅い湖盆の凍結した湖に冬に穴を開けてみると、湖底の堆積物までは凍結しきっていないようで湿っぽい堆積物が採集されるのだ。その意味ではかろうじて堆積物中に液体の水が確保され、調べてみるとフレーク状の藻類が生きていたりするから、「これは湖じゃなくて季節的に生じる水たまりのようなもんだね!」と言い切って湖の研究から除外、ないがしろにしたら申し訳なく思えてしまう事情もある。さあ、困った。生き物の中には繰り返し生じる「いい環境」がその場にあるのなら、そのほかの不適な時間を活動休止して生き続けるモノも、かなり存在するのだから。「さまよえる湖」が出現するようなところで、その出現を期待してじっと「休止」して待つことのできる能力で、生き続けている生き物も実在するし…。となると、湖の寿命よりも湖の中で育まれている生き物の方の寿命が長い場合もありうるということだ。ということは生命活動の場、小宇宙である湖よりも長生きするということになる。とすると相対的には「無限に近い寿命、あるいは寿命という概念が適用できないモノ」が存在することを肯定する例と考えてもいいということになるのか?地球の寿命よりも長い寿命の生き物のようなものが地球上にいても不思議ではない、という理屈になるのだろうか?地球のような「いい住み場所となる星の出現」を渡り歩いて生き続けているというような…超生命体の存在は不思議ではないということになるのか?
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 うーむ、極めて屁理屈っぽくなってしまって収拾がつかないや。どうしよう?次回は…

2010/11/28(日) 白瀬・開南丸南極探検100周年

2010/11/28 27:43 日記 工藤栄

「南極中継裏話?」

 ちょうど100年前の11月28日、南極点到達を目指した白瀬矗率いる南極探検隊を乗せた海南丸が東京芝浦の港を出港した。歴史の偶然なのか、ノルウエーのアムンゼン隊、英国のスコット隊もまた時を同じくして、人類にとって未知の大陸奥地、南極点を目指していたのであった。アムンゼン・スコットは国家を挙げての探検。そんな中で白瀬もまた大日本帝国の国威を背負って探検に挑もうと画策したのだが、予算獲得に失敗。当時の政府は「一応許可、だけど予算執行には至らない」という、この手の確実なる成功が確約されたものではない探検とか冒険には腰が引けた対応しかできないという悪しき伝統に?従った「総論OK、個人的にもOK。だけどこれがうまくいく保証がない限り、いったいだれが責任を取るのだ?」みたいなセイロン部分で、出してもいいところまで了承されたが実際には予算公布されぬままで、世界的にも人類初となりうる南極点探検が開始されたのであった。この辺、それなりの立場に身を置く人が実施者の情熱とその実現へ向けた努力に深く同調し感じ入ったことならば、その場で(その場でなくともいいのだけれど)すぱっと、
「俺が責任を取ってやる!だからやってみなはれ(西堀栄三郎第一次越冬隊長風)」
と言い切るぐらいカッコいい政治家・官僚がでてこないものだろうか?
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 そのチャレンジが「面白い」と思えるものであるのなら、私の責任でいいのならばいくらでも捧げてやるのだが(責任の「大安売り」「バーゲン」をやってもいい、私の責任でよければ、ね)、残念なことに私は政治家でも官僚でもない。人類に役に立つかどうかもわからぬ単なる自然科学者である。だから、よくあるような責任の取り方、辞職・更迭みたいな私の職業上の解雇などを代償に取ったとしても、何の責任をとったことになりはすまい。そんな私にでも今できることはひとつだけある。我が28名の越冬隊員のやんちゃさを、自分の責任において許容してあげることだ。それぐらいしかできないというのも事実。いくらでも責任を取ってやる覚悟はあるのに、残念だ。
 あ、ところで、越冬隊長としての責任とはどう取ればいいのか?本当の責任の取り方とは一体何なのか?そのへんのところが、いまいちよくわかってもいない私でもある。我が越冬隊の行動の責任を取るべく、別に私が現在の職場から解雇を申し渡されることになっても、それですむのならいくらでも解雇されてもいい(責任を取る回数に応じ解雇と雇用を繰り返さなければならないのがムズカシイところではある)。でも、それが「責任をとった」ことにはならないような気もするのだ。むしろ日本人の古式ゆかしく「水に流す」とか、南極らしく「氷雪に埋もれさせ」百万年先に霧散させた方が、なんとなく「責任を取れた」つもりになれそうな気もしてきた。
 51次越冬隊の諸君、気を付けたまえ!いくらでも責任をとる心構えはあるし、そうするつもりなのだが、その具体的とり方を全く理解していない隊長が
「俺が責任をとるから、やってみな!」
といった時には。ふふふふふ。

かなりわき道にそれてしまったきがする。白瀬・開南丸の話に戻そう。

 子供時代からの未知の極寒の地への探検の夢の実現。そして、年齢上もこの機を逃すと後は老いてなすすべもなく行き過ぎてしまう、みたいな決死の覚悟もあったんだと思う。幸い彼の探検の情熱は国民からの寄付を受け支援されることとなり、不足分は「まあ、あとはうまくいけば何とかなるさ!」みたいなところまでこぎつけた。実際には南極探検を終えてから莫大な借金を背負うこととなったのだが、何とか実現の目処がたったのであった。軍艦を傭船する計画が、予算が伴わないから借り上げが反故になり、何とか中古の船を買い上げてこれを改修して蒸気機関を取り付けた。そんな「海南丸」という200トンちょっとの機帆船で暴風圏を超えた南氷洋に挑んだのである。機関馬力わずか18馬力ちょっと…いまどきの小型オートバイ(125cc)未満の機関出力で、暴風圏を超え、氷海を越えて南極大陸に至ることができるのか?小舟には小船なりの氷海航行のテクニックがあることはあるのではあるが…。
 最初の挑戦は、到着した時すでに遅く、南極の早い冬の到来のために南極大陸を目前にして南氷洋からの撤退を余儀なくされた。一旦オーストラリア・シドニーまで引き返して態勢を立て直し(シドニーでキャンプ生活)、翌シーズン早々に再び南極へ。白瀬隊が南極大陸のとりつき口の湾に錨をおろしたのである。そのころ、実はアムンゼン隊は一足早く南極点にたどり着いて復路途中、そしてスコット隊は悪戦苦闘しながら南極点を目指していた頃に相当する。開南丸が投錨した湾にはアムンゼン隊のフラム号も停泊していたと聞く。アムンゼン隊もまた極点に向けた探検を同じ場所から行っていたのである。貧弱な装備にもかかわらず、南極の自然に果敢に挑んだ白瀬隊と開南丸だが…。夏が終わろうとしている南極の自然は、もちろん容赦なく探検者たちを翻弄した。冬の訪れの前に帰着したアムンゼン隊は極点初到達の栄誉を手にし、出遅れたスコット隊は極点に到達するも、復路で全員の遭難死。白瀬隊は中途での撤退を余儀なくされた。そんな南極での壮絶なドラマが100年前にあったのだ。
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 そんな記念日の今日、開南丸の出港の地である東京は芝浦と南極昭和基地をTV会議システムで結んでの生中継講演会が催されたのである。壮絶な南極の自然に挑んだ100年前の探検家たちを祝福してなのか、それとも現代の観測隊に当時の厳しさを偲ばせ、かつ、思い知らしめる、という神のご配慮なのか。もはや日が沈むことのない真夏を迎えた昭和基地であるにもかかわらず、視界が50mに満たないひどいブリザードになってしまっているのだ。白瀬の探検から100年、そして我々、日本の観測隊の活動が始まってから50年以上が経過し、いろんな南極の姿が人類の知識として得られてきた現在とはいえ、「南極の自然環境の厳しさ」自体は100年前も今も何一つ変わりはしないのだ。ただ、白瀬隊を始め、先人たちの努力のおかげで増えた知識は、新たな技術を発展させ、南極の自然へのより安全な対処を可能にしたのである。おかげで我々のような探検家ではない人でもこうやって南極で活動できるようになっているのだ。
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 技術の発達の一端で、現在では日本と南極とのテレビ中継がきわめて容易にできるようになっている。おかげで月平均4回は、今回のような南極からの中継イベント、あるいは日本の学校とを結んだ「南極授業」という行事を行っているのだ。日本へ向けたメッセージをリアルタイム・生中継で届けられるのは、きっとさすがにすごいことなのだろうけれど、一年間、毎週どこかしらと結んで中継を行うということは、その番組(シナリオ)作りやリハーサルなどで、かなりの隊員たちの時間を費やして運営しなければ成り立たないという側面を持っているだ。技術の進歩が創り出した「ゆとり」が生んだ観測隊の新たな「本業」のひとつ、国民への情報提供サービスなのだと思いこんで、ここまで何とかこなしてきたのだが…正直、かなり「本気に取り組まないと大変」な仕事となっているのだ。残すところ12月のひと月で、その大変な業務も完了となるわけだ。さあて、今回はどんな番組にしてやろうかな?
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 あ、もしかしてこのブログも秋田テレビが白瀬の南極探検100周年を記念して企画したものではなかったか?ならば、あまりお粗末なTV中継とならぬように準備しなきゃいけない。そう思って、数日前から100年前の白瀬中尉・アムンゼン・スコットをはじめとするその時代の極地探検のエキスパートの探検記や南極観測発足当時の著作物を、寝物語にめくって予習しておいたのだった。
 本日の芝浦の会場には、以前、私と越冬を共にした朝日新聞の中山記者を始め数名の第45次越冬隊の面々、そして今年の夏で活動を共にした51次夏隊員が集っていると聞く。彼ら彼女らがなにやら南極での活動の今と昔の様子を南極中継の前に面白おかしく紹介するパフォーマンスをやってくれるらしいぞ、という裏情報も南極に届いていたのだ。本番前に会場と試験接続をすると、懐かしい仲間の顔が飛び込んできた。本番を前にマスコミの人、中山由美ちゃんは別として、借り出された会場の仲間は緊張気味の表情を隠せないでいる。さて、果たして彼らは何をやるのだろう?
 南極と会場を繋いだ試験交信で、相互の通信に異常が無いことを確認していると、次々に会場にお客さんが入ってきた。こちらは若い子供たちがかなり来るのかな?と、いつもの小中学生対象の南極教室のような状況を想定していたのである。だが、思いのほか年齢層が高い。高いにもここまでなのかというほど、非常に高い。そればかりか次々と入場してくるご年配の方々には独特のひとくせもふたくせもありそうな面持ち…よく見るまでもなく、見知った顔がそこここに散見されるのである。なんとこの業界(南極観測)のOBたちではないか、それも観測隊黎明期の。そんな老獪な人々相手に、いまさらここで「南極探検とは」とか「南極観測とは」と語り始めるわけにはいかぬ…「こりゃちとまいったなあ…これはまずは前座の(失礼!)仲間のパフォーマンスの会場の反応を見て対処するしかあるまいて。頑張ってくれたまえ、諸君。」
と思いながら、南極とつないだままのカメラ越しに会場の様子を伺うことにしたのである。
 いざパフォーマンスが始まった。仲間の熱演とは裏腹に、
「いまさら、この若者たちは何を伝えようとしているのか?」
みたいな覚めた雰囲気がご老人達から発せられるのが、仲間のギャグの滑りの合間に見えてきたりもする。
「ああ、こりゃ、結構シビアなTV中継になりそうだねえ。子供相手の準備しかしていないし、どうしたもんだろうか?」
のような会話をしながらパフォーマンスの行方を見守る昭和基地の仲間。始まっちまえば小手先の対応で修正がきくようなものでもあるまい。ここは、現地中継担当の極悪の自然を前にした真に迫る心の叫びのようなモノを素直に押し出すしかないな!こちらの切り札は極悪のブリザード中継だ。

 昭和からの中継が始まった。ブリザードに翻弄されながらの状況の中継。会場の観客の様子から、南極を知り尽くしたOBも、そして初めて南極の自然の厳しさを目の当たりにする観客も、「固唾をのんで」昭和基地からの中継映像を見いっている姿が映し出されている。
「ああ、いいぞ!雰囲気を一気に持ってこれた!」
細かい演出よりも生の現実、
「百発の空砲は一発の実弾にシカズ」
かつて、白瀬隊を送りだした大隅伯爵の名言の再現でもある。ここまで会場の雰囲気を持ってこれたら、後は、こっちの主導権で終わりに向かえば、盛り上がりのうちにこの記念イベントを終わらせることができるぞ、と、この時、あらためて南極の神様に感謝したのであったのです。
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 とは言え、まあ、イベントはおそらくはうまくいったと自画自賛する範囲で終わってくれたけれど、ここのところいい天気を利用して除雪を始めた昭和基地周辺の事情に与える今回のブリザードの影響はいかがなものか?数日・数週間かけて除雪を終わらせたつもりになったエリアに再びどんな吹き溜まりをつくっちゃっているんだろう?そこんところが「新たな悩ましいこと」なんですなあ。
 まあ、いいか。ペンギンも卵を温めだしたし、アザラシも子育てをしているし。人間よりもはるかに自然と密着して昔からこの地で生活している彼らが、確実にそんな夏らしい活動を始めたのだから、焦ることはないさ。夏が来ているのだよ、ってね。だから、平均的には悪いことをさらに上回るいいことを期待してもいいはず、だよね?この先??