▼ 2010/07/25(日) 南極の湖の物語 その26
「ラングホブデ北」
基地から南のルート、先週の休日に「難所」と思われたプレッシャーリッジまでを確認していたので、残すところ10km足らずで長頭山の麓に広がる陸地へ上陸することができる。この部分を週半ばの天候のよい時をねらって「ルート工作」を行った。天気予報では週末に大きなブリザードになるといういうから水曜日1日限定での実施だった。予報通り、次の日の未明から崩れだして金曜日は外出もできぬほどの荒れ模様となった。まだまだ明るい時間が少ない季節、出かけるタイミングを見つけ出して一気にできる部分を片付けてしまう作戦は、したがって的を得たものであったはず。ここまでのところ順調、かな?

太陽が顔を出して、いろんなものの影を地表に映し出すようになると、ちょっと面白い現象に気づくものだ。上の写真にあるように、雪面を踏み固めたせいなのであろう、風が周囲の雪を飛ばし去り、足跡が雪面から浮き上がるように残存している様子が影の輪郭を伴って強調されて見えたりする。南極の暴風はちょっとした地形の凹凸や降り積もった雪の強弱によって、いとも簡単に巨大な吹き溜まりやその逆に雪を削り取ったウインドスクープ、サスツルギを創り出すものだ。この足跡の彫刻は弱めの風が創り出した作品のひとつである。
太陽が昇り始めて一週間にもなると、太陽は地平から完全に姿を現し、それと同時に、それまで晴れていても朝焼け・夕焼けの茜色の空だったものが、徐々に澄み渡った青になり、そんな青空の時間帯も次第に長くなる。そんな青空の中に月が「青く」輝いて見えた。「月がとっても青いから♫」という歌があるように、月の光が青く見えることは日本でも経験できるのかもしれないけれど、それはもしかして月の「ウサギの餅つき」の姿に見える「海」と呼ばれるクレーターなどの事を指し、白く輝く部分のことではないのかもしれない。いや、白く輝く月も凛と澄んだ大気のもとでの輝きは日本でも青い色合いとして認識できるのかもしれないけれど、ここ南極の-30℃の晴れた青空のもとでの白昼の月は、確かに青い。

そんな青い月に見守られ、ルート工作チームは赤い山、ラングホブデという地名の由来、長頭山の麓を目指して南下を開始。地図からの見積もりだと、先日訪れたプレッシャーリッジからさらに約10kmほど南下を果たせば「北岬」を超えて、上陸ポイントのひとつ「水くぐり浦」へ到達できるはず。はたしてどんな氷の状態になっているのだろう。北岬から南側は、この前の夏には完全に海の氷が融けて消失し、この冬の寒さで新たに氷が張り始めた場所になっているはずなのだ。

休日に走った雪上車のトレースをたどること1時間余り。お世辞にも走りやすいとは言い難いデコボコの多いルートは、最初は雪と乱氷、そして次第に雪がほとんどなくなり、海氷が露出した「青氷」地帯となっている。そしてようやく前回の最終到達地点のリッジを超えたところに到着だ。ここからラングホブデの北岬の東沖を目指して南下ルートを延長していく。途中、砕氷船の割り進んだ航路を再び横断しなければならない個所にも遭遇。そうそう、夏に砕氷船「しらせ」はこの辺の海域の調査を最新鋭の機材を用いて調査、そのためかなり縦横に走り回っていたのだった、という認識を新たしたのだった。
長頭山という山体はかなり大きなものゆえ、およそ20km離れた昭和基地からもはっきりと見ることができる。真冬にもかかわらず、かなり急こう配のこの赤い岩肌の山には無風状態で雪でも降り積もらない限り、雪で覆われることがない。なにぶん大陸から吹き下ろす「カタバ風」が常時吹き下ろすせいなのであろう、雪が速やかに吹き飛ばされて岩肌にとどまらないようなのだ。山自体の高さは400mに満たない、それほど高くはないものだけれど、氷河や暴風雪で削られたその姿は、アルプスやヒマラヤの山の頂上のような雰囲気を持っているようにも思える。もっとも、そんなアルプス・ヒマラヤというところの山並みを写真でしか見たことのない著者の言うことだから、この辺は、両方を実際に見た人の意見をうかがって確かめるべきところとは思うのだけれど。

この山体はおよそ10万年前の最終氷期には完全に氷河で覆われていた、とされている。山の頂にも氷河が削った痕跡が残っているし、その山の形、クジラの背中のような丸みを帯びた形や、山の脇には大きな力で削り取られたU字谷の片側と思しき氷食、帽子のつばを跳ね上げたように、氷河が固い地層を削り残したような地形が刻み込まれているのだ。
ラングホブデ北から氷河が後退し、その後から現在に至るまで、この地域はおよそ4万年ほどは氷河でおおわれることはなかったと聞いたことがある。その間に、重くのしかかっていた氷の圧力から解放されたこのエリアの海岸部は隆起し、陸地が海を閉ざして作ったとされる「塩湖」がいくつか出来上がった。北岬の東側のほど近いところに「ざくろ池」、そして「小湊」という湾を挟んでさらに東側の現在のラングホブデ氷河近くには「いちじく池」という名前の湖がそれにあたる。以前「湖の起源」でも概略を紹介し、写真を挙げておいたのでご興味とあらばそちらを振り返って見ていただければ幸いだ。
ざくろ池は最大水深が5mあるかないか、いちじく池に至っては1m未満の浅い池である。周辺には塩分が結晶化した物が岩肌を白く染め上げてしまうほど、これら池の水の塩分はとてつもなく高く、ほとんど飽和状態といっていいぐらいとなっているのだ。海水が湖に閉じ込められている長い間に蒸発が進み、「煮詰まって」しまったといっていい「超塩湖(Hyper Saline lakes)」なのである。実に海水の6倍ほど濃い塩分(海水の塩分濃度を3.5%とすると20%を超えるぐらいの塩分なのだ!)を示す。このため、この湖はかなり凍りにくく、理屈の上では水温が-10℃以下になってはじめて凍ることになる(参考までに普通の淡水は0℃だし、海水ならおよそ-2℃で凍る)。ただし実際は夏の間に湖の表面に雪解け融け水(淡水)が流れ込んで、下の濃い塩分の水とあんまり混じらないように表面を覆う。そのため、この薄い塩分の表面が最初に凍り始めてくるから、もう少し高い温度で氷に覆われ始めるはずだ。残念なことにその凍り始めの実態は、ちょうど南極の冬の始まりで極夜期間の野外観測しにくい季節に当たるから、観測できてはいないのだけれど、頭の中で考えるにはそうなるはず。このぐらい濃い塩分濃度だからこそ、氷の下にある湖の冬の水温は極悪なほど低下するはずだ。普通に海や湖で観測に使う水温計の測定レンジは、まあ、低くても-10℃ぐらいのモノが流通しているのだけれど、こんな超しょっぱい湖の観測ではしばしば測定限界以下の温度を記録するだけで正確なところ、どこまで低いのか?わからずじまいとなることが多々あるのだ。
現在はこの湖には湖底を覆うように繁殖する藻やコケの群落はもとより、水の中で生活する植物プランクトンも、もちろん小さな動物たちも、目立ったものを見つけることができない。そこにはかつて海だったころ生活していた二枚貝の貝殻が、まるで貝塚かサンゴ礁の波打ち際のように、湖畔の浅瀬や砂浜にかなりの量で落っこちているのだ。確かに極低温で高塩分ならば「漬物化」されて「冷凍庫」保管されているようなものだから、普通の生き物にとっては生きづらいだろうな、と思える。
だが、夏にこの池に流入する雪解け水のわずかな水路には「緑藻」が繁殖していたりもするから、全くの無生物状態ではないはず。極低温で高塩分状態を好んで勢いよく大繁殖するような生き物が見つかったり、そいつがはびこったりした場合、漬物業界あるいは冷凍庫業界など食品関連保管産業にかなりの脅威となるはずで、この辺の新発見に関しては、あった場合にかなり慎重な対応が求められるはず、だな、きっと。いたとしてもかなり細々と、粛々と、かろうじてゆっくりと生きているように見えるような、死んではいないように見えるような、そんな生き物がいるかもしれないことは否定しない。だが、ごく普通にたくさん元気に生活していたら、いろんな意味で大発見ではあろうけれど、厄介なことになるかも知らん。

そんな塩湖への思いを抱きながら、新たに南へ10kmほどルートを延長し、今回の目標到達地点「水くぐり浦」へとたどり着いた。この周辺は先にも書いたが、この夏に完全に海の氷が融けていた場所なのである。このエリアの海氷がほぼ毎年消失する理由は、長頭山やその山麓から冬でも飛砂が多量に海の氷の上に舞い落ち、それが夏に一日中沈まない太陽からの光エネルギーを吸収しやすい「消雪・消氷剤」のように働くからなのだ。新たに出来上がった海の氷はとても静かに凍ってくれたのだろう、真っ平らに海を覆い、すでに1mをはるかに超えて厚くなっていた。その上には飛砂が茶色く降り積もっていたから、今度もまた、夏を迎える頃にはいち早く海の氷が融けだすだろうな、と思えた。

水くぐり浦はちょうど基地から500mおきに立ててきた旗の数で40本、つまり20km南下したところにある。この地名は日本の南極観測隊がこの地で初めて潜水観測を実施した場所にちなんで名付けられたものなのだ。今から40年以上も前の話である。当時は水の浸入しないドライスーツではなく、水が入り込んでしまうウエットスーツを2枚重ね着して、夏の南極の海へ潜ったらしい。おそらくその時の夏もこのエリアは氷が融けて海が顔をのぞかせていたのかもしれない。昭和基地の周辺で氷に穴を穿つことなく潜水観測ができた故、この地が最初の潜水観測の場所となったのではなかろうか?そんなふうに思えてくる。そして、南極の陸地の荒涼とした生き物の気配がとても少ない光景とは裏腹に、海の中にはたくさんの海洋生物の姿があることを目の当たりにし、ペンギンや渡り鳥たちが、そんな豊かな海洋生物を頼りに子育てに毎年この地へ通い続けている理由を実感したはずなのだ。
残念ながら、今回のルート工作ではここで日没を迎えてしまった故、上陸せずに大陸際を後にして基地へと戻ったのである。
▼ 2010/07/19(月) 南極の湖の物語 その25
「大陸めざして」
太陽が顔を出したとたん、いてもたってもいられなくなり、「次週への貯金」とばかり、休日の土日に大陸までの南北の海の上のルートの点検に連続して出かけてきた。昭和基地は東オングル島にあり、大陸との間にはオングル海峡というその幅およそ4kmの海がある。もちろん現在はすっかり凍っており、この上の安全に走行できそうな場所を確かめて「雪上車走行ルート」とし、南極大陸での調査旅行に利用しているのである。

北の大陸へ昇るルートは二か月前に重い雪上車でも走行できる安全を確認したもの。なのではあるが、この極夜の間未使用だった故、雪上車の踏み痕(トレース)が消えたり、およそ500mおきに立てた旗が千切れたりしたものを直したりしなければならないのだ。海峡を横断するようにあったクラック、大陸への登り口の状況に変化が如何ほどなのか、状況確認を事前にしておくのが、まあ、心構えというものだろう。こうしておくと、いざ、仕事にかかろうぜ!という時に速やかに、なおかつ安全に取り掛かれる。休日の午前11時のブランチを食べてから、明るい時間帯に海の氷の上の旗を探しながら雪上車を進め、要所で氷の厚さを確認し、大陸までの17kmほどを走破し二時間近くを要して上陸を果たすことができた。
2か月前に踏み固めたはずのトレースは、もはやほとんど残っておらず、明るくなったとはいえ夕暮れ時の明るさだから、時折、次の目標物の旗を探しあぐねたりで、少々手こずってしまった。雪が平らで走りやすかった記憶のある場所も残念ながら雪の吹き溜まりが妙な具合に生じてしまい、お世辞にも走りやすいとは言い難くなってしまったところもあった。
大陸の登り口には潮の満ち干のせいで海の氷が割れているクラックが必ず生じるもの、このブログでも何度か紹介したことのひとつ。このたびはそんな割れ目の存在を知らせるように、そこには大きなアザラシが2頭横たわり、我々の行動を不思議そうに眺めていた。そのうちの一頭はどうやらついさっき子供を出産したらしいのだが、これはこれまでの私のつたない経験と記憶からみて「時期尚早」すぎると思えた。普通ならこの昭和周辺のアザラシの出産シーズンは10月過ぎであったはず。太陽が昇ったとはいえ、これから最も寒い季節を迎えるのだ。いくらなんでもせっかち過ぎじゃないだろうか?。そばへ確認に行ってみた隊員の話では、どうやら「死産」だったらしく、生まれい出た子供はただ氷の上に横たわったモノになっていたと、撮影した写真を見せながら説明してくれたのだった。合掌。

大陸への登り口、「とっつき岬」には極夜のまえに標高600mの場所から整備のために降ろして駐車させておいた大型雪上車が横一列に大陸の氷の斜面を見据えるように整然と整列していた。今月の天候のいい時をねらって、これらの雪上車は基地へと運び込んで、この春の内陸旅行へ使用すべく整備を行う予定なのだ。大陸の登り口のモレーンの上のここは、大陸斜面を吹き下ろす冷たい風が始終あるのが定番なのだが、このたびは完璧に無風。こんな穏やかなとっつき岬の状況に遭遇したことは夏をのぞき一度もなかった。珍しい幸運に恵まれたと、ワタクシ同様に今回で越冬3度目となる隊員と語らったのだった。復路はもはや夕闇せまる時間帯になってしまったのだが、一度走った雪上車の踏み痕はヘッドライトに照らされることで、かえって日中よりも目立ち、雪面のデコボコさえも容易に察知しやすいものだ。白の雪原や氷原のなかに浮かぶ基地へと延びつながる道は、何ものにも代えがたい安心感を与えてくれる。

翌日は南へ向かうルートの調査へと出かけた。南側のルートはまだ大陸までは至っていない。その途中、ちょうど大陸と基地との間の中間部分に生じていた「プレッシャーリッジ」の手前まで作ったところで極夜となって中断していたのである。プレッシャーリッジとは海の氷が何ものかに押されてその圧力に耐えかねて屏風のように氷が盛り上がった場所のことである。探検記などが好きな人は「エンデュランス号」という船が海氷に閉じ込められて最後にはこの氷の圧力によって木端微塵、哀れ沈没してしまった南極探検初期に実際にあった物語でご存じかもしれない。氷が押しつけられ破断した場所ゆえ、海氷が構造的にもろくなっているはず。だから慎重にルートを設定しなければ安全な雪上車走行ができない。このルートの極夜前の調査には自分は参加できていなかったので、どの程度のリッジなのかは伝え聞いただけなのだ。話によると何でもいたるところ海峡を横断するように2mほどの盛り上がりになっているとのことだから用心してかからなければなるまい、と気合で臨んだ。
昨日とは真逆に、基地から大陸との海峡に出てから南へと進路をとった。途端に、おそらくは夏に「砕氷船しらせ」が砕き作った航跡が再度凍結した氷の乱れ(乱氷帯)とオングル島の影響でデコボコに吹きだまった雪の多い場所に出くわした。雪上車は時折そんな1mほどの段差を乗り越えて進まなければならない状況だ。走りにくいことこの上ないのだが、幸いにも本日は昨日以上に晴れ渡って風もない絶好の天気である。真南に位置する大陸の赤い岩肌の山、長頭山を目印に南下を開始した。進行方向右手には連なるオングル諸島の島々と氷山群がガイドしてくれるように並んでいる。日の光が創り出す、氷山のシルエット、青い影。

ただ白いはずの氷山は太陽の光でさまざまの色合いに染めあげられている。南の大陸にある小高い長頭山、その手前には海峡を横断して行く手をさえぎるように氷の屏風が聳え立っているように見える。
「10kmほど南に下ったところに存在していたというプレッシャーリッジが、もし、この見えたままだとすると、かなり手ごわいぞ」
ともかく、仲間とともにまずは一路南下して、極夜前に安全走行できたこのリッジまでたどり着こうと雪上車を走らせたのだが…目標に近づいているはずなのに、肝心の屏風のようなプレッシャーリッジが、なんだか遠くへ逃げてしまうように、南下しても、そして10km地点に到達しても、まったく近づいてきてくれないのである。
「ははーん、アイツのせいか」

我々がリッジと思って近づこうとしていた屏風のような氷の盛り上がりは実は蜃気楼のなせる技だったのだ。地図とコンパス、そしてGPSを駆使してプレッシャーリッジのあった場所を確かめて、そこまでたどり着いてみると、確かに氷が割れて盛り上がりを見せた場所が存在してはいた。だが、それはこれまでに通過した雪の吹き溜まりの段差とそれほど異ならないぐらいの規模のデコボコで、周辺もしっかりと凍結してくれていた。むろん雪上車も問題なく走行できたのである。これはこれで、この先の大陸上へアクセスするルートの設定にとっては好都合なのだ。極夜前の仲間の報告に脅されていた頭は、蜃気楼を実体と認識しちまったのだ。ちょっと苦笑い。

南の大陸まであと1日もあれば到達することができるであろう。そこには湖たちが湖面を凍らせてひっそりと我々の到着を待っているに違いない。さあ、もう少しで野外観測の始まり、かな?おそらく8月にもなると日中の行動時間が現在の倍ぐらいになるだろうから、その時の調査実現を目指し、まずは、もう一日のチャンスをつかんで、ルートを作っていかなければなるまい、今月の内に。
▼ 2010/07/17(土) 長い夜明け(南極の湖の物語 番外編)
とうとう太陽が戻ってきた。というか、ぐずぐず地平線間際で出ようか出まいか、迷いに迷った揚句、恥ずかしげに顔を出してくれたというべきなのだろう。まだ、全身をあらわにすることはなけれど、蜃気楼を伴って煌々と輝いて、久々にいろんなものの「影」を地表に映し出したのである。太陽は地平線沿いに「ズズズズズ」と横移動して30分ほどで沈んだのだけれど、太陽の光の力強さに感激のあまり、隣にいた最年少の隊員に
「影踏み、しようか?」
と誘ってみた。が、もちろん、
「隊長、なにいってんですか?」
とばかり、落ち着いておだやかに却下されてしまったのであった。ウムム、ハズちまったか、残念。

ともあれ、私は今回で三度目の「極夜明け」を体験したわけだ。極夜といえば、東北は日本海側の冬になろうという季節以上に陰鬱で、未曾有の天候の悪さを何とか基地にこもって太陽の季節を待つというのが南極越冬の通過儀礼のようなもの、ではある。だが、このたびの極夜期は心底明るい印象で終止してくれた気がするのだ。自分自身、それぞれの越冬で経験を重ね、極夜というモノについてある程度正確なイメージを持っていたから、冷静に周囲を見ながらやり過ごすことができたから、そう思えたのかもしれない。それ以上に今回、我が51次隊が直面した天候、あるいは51次隊メンバーが醸し出す物事に深刻になり過ぎない「能天気さ(いい意味で使用しています、誤解無いように!)」のおかげもかなりあるように思えもする。太陽が昇らない40日余りの期間、極夜期定番の猛烈なブリザードなどの悪天候にあまり見舞われなかったことはかなり大きい。周期的に来襲したブリザードはランクで言うともっとも小規模のC級(風の強さとその継続時間、視界の悪さでA、B、Cに分類しているのだ)、つまり「小ブリ」だけだった。そのほかは「晴れ」主体だったから(おかげでこの時期としては-30℃以下にしばしば見舞われるかなりの低温だった)、薄明時刻帯の地平線付近の明るさが雲にさえぎられることなく(地球外生命体の監視から免れ得なかったという被害・災難・デメリットを、私は受けた気もするのだが、まあ、それは仕方のない身から出た錆だ。しかし鯖が出てきたらヤヤコシイので注意が必要だ)、正午前後の3〜4時間は「懐中電灯やヘッドランプをつけるまでもない明るさ」で、屋外でも十分行動できたのだ。初めて越冬する若者たちも、
「極夜って、これでおしまいですか?大したことないですね!」
と、強気の発言がでるほど。それほど、この時期にしては「過ごしやすい天候に恵まれた」年であった、と強く主張してもいい。こう書いていたら、ヤオロズノ神やそのほか日本に残した家族・友人・知人・愛人貴人奇人変人・生あるものすべて・有象無象・有形無形・森羅万象・魑魅魍魎・地球外生命体・宇宙そのほかすべてのワタクシドモのつつが無い生活を実現してくれた「ナニモノカ」に感謝せずにはいられない気持ちになった。自分のここまでの南極人生を振り返ると、南極の自然が回を重ねるごとに『徐々に南極の自然が心を開いてくれた』とも思えてくる。素直に、ここまでの精進が報われたと(はたして、私、何か精進に類すること、何かやったのだろうか、かなり疑問ではあるのだが…)、誤解したい(間違いなく誤解だろう)気にもなってくる(これは勝手な自己判断)。もしかしてこれは「地球環境変化」の流行にうまく乗って南極の自然が徐々に温和になってきているせいなのか?しかし、聞くところ、想像するところ、あるいは観測事実からすると、わが越冬の始まる前年・その前の年は、たぐい稀な暴風積雪の猛威に襲われていたという昭和基地なのだから、これは、地球環境変化というような大げさなものではなく(もちろんその流れの一端が実際にあるのかもしれないけれども)、単にたまたま偶然そういう廻りあわせだったという『運』だろうと思うのだ。だから余計に、「ナニモノカ」に感謝。偶然に生じることは地道な努力で築き上げたモノを一瞬にして吹き飛ばすエネルギーをしばしば持っているものだから、ね。

下の写真は南極大陸上に何やら雲のようなもやもやしたものが立ち上っている光景。大陸上から吹き下ろす風が雪を巻き上げて海へと降りてくるときに海峡に居座っている重い空気にぶつかって上空に舞い上がったもの。ハイドロリック・ジャンプと呼ばれている。こうした現象は冷え込んだ晴天の日にしばしばおこることで、普通の天気予報では発生時刻や規模などを予測しにくいもののひとつなのだ。こんな現象が生じると、その後、無風状態だった海峡に、突如たたきつけるような暴風が来襲することも(しないことも)、ままあるから用心が必要なのだ。だから外で作業しているときはこうした変化を敏感に感じ取らなきゃいけません。こうしたことは南極で一年も過ごすうちに「自然と身に着くこと」ではあるのだけれど…。
自然の猛威と対峙するなんて大げさなことを考えてみると、最初の越冬で死にそうなつらい目にあったおいた方がいいのか、それとも、終始、「大したことないね!」と言い切れるぐらいで、過ぎ去ってしまい、何度越冬しても「伝説の過酷さに遭遇することなし」に、難なく南極越冬が過ぎ去ってくれたほうがよいのか、正直、自分にはわからないのだ。先にも書いたが、自然の猛威はいとも簡単に人間などの命を奪い去ってしまうものだ。そんな猛威来襲の気配を経験を通じて知ることの意味は大きいし、その次に猛威に直面するときの備えとしては以前の過酷な経験はかなり貴重なモノとなろう。だがしかし、生まれてから死ぬまでに一度もそんな猛威にさらされえることなく過ぎ去る人生もまた、数多く「ある」はずなのだ。もしかしてその方が平均的な人生かもしれない。だって、南極にスタンダードにあるような自然の猛威というものに遭遇するってことを例にとると、ここへ実際に来る機会や強制収容みたいなチャンスに出会わずに、大方の人は人生をおくっているのだろうからね。

私とかつて一緒に越冬した若者の中に、「運気の強さ」に支えられ人生をおくっていると、自らも豪語するほどの隊員がいた。実際に彼の南極で越冬している間の行動を振り返ると、普通ならば、何度か死んでもおかしくないような状況に自分の至らなさ加減で自分を陥れながらも、おそらくは本人はそんな、幾度も死と隣合わせだったことをほとんど意識もしないで(さすがに一回ぐらいは意識したかもしれないけど)、もちろん、死なないで南極で越冬観測を成就、帰国後、異様な速やかさ加減で、表向きしっかりした職に就き、ごく普通の苦難に満ち溢れた人生を歩み始めたが、本人はその苦難の本質に気づくことなく暮らしている、かつて青年だった、奴も事実、存在する(ものすごく句点を使っちまったが、そういう奴なんだ)。いまだ、幸運の女神に見放されていないみたいで、きわめて元気に生きている。ここまで来ると、彼はこのまま運気に乗って人生の終わりまで乗り切ってしまう気がする。そんなうらやましい強運の持ち主も地球上の70億人ぐらいいる人の中には、一人や二人、いるみたいなのだ。逆に「不幸の伝道師」という仲間もいたなあ…。運不運というモノは、本当に我がままで気まぐれというのが本質で、不公平にある特定個人にまとわりついてしまうモノでもあるのかもしらん。
確実に不運を避け、幸運や女神に恵まれる方法があるなら、その恩恵にあずかってみたい気もする。いや、控え目に「努力が報われる」確実な方法があるなら、それにのっかって、努力したことに応じてタダシク報われる人生を歩むのが、まっとうな計画的人生処世術なのかも、と、思ってみたり…。だが、運をつかむ確実な方法はもとより、努力が着実に報われるようなことというのですら、実存するのかなあ?はなはだ疑問。運をつかむ確実な方法というのはなんだかアヤシイ雑誌広告のコピーのようでもあるし、「運」と「確実」を結合すること自身に自己矛盾を含んでやしないか?確実ならばそれはもはや運ではないはず。後者のコトガラにしてみてもかなり疑念がある。確実に自分のためになって報われるはずの努力、たとえばダイエットや禁煙ということが、なぜうまくいかないのだろうか?現状より自分自身を確実に良い方向へ導き、それゆえの未来の報酬が約束されていることなのにも関わらず、挫折したり、なかなか成功しないばかりか、リバウンドで逆効果のかえって悪い方向にまでしばしば進んじまうのは、こういう考え方の根本に誤りがあることを物語っている気もするのだ。どんなもんでしょう?
なんだか「ヒトは確実にいいことが生じる方法があるとしても、必ずしもみな、そんな人生を選択して歩むものではない」という法則が見えてくる。着実で確実なことよりも、「ラッキー、ツイテルゥ!」と、どちらかというと地道な努力の成果より、ギャンブル・運・偶然の結果にアドレナリン噴出、ワクワクして強い喜びを感じる、そんな、確実な報酬よりも不確実なことから与えられる喜びをより尊重するような「本質」がどこかにあるのではないだろうか?とも思えてくるのだ。この意味で安住の地からあえて離脱してしまう南極の湖底のモノたちをはじめとした地球上の生き物に共通した「何か」が、きっとこの根底に潜んでいる気がするのだが?どんなもんだろうか?

私が追い求めているのは「人生の面白さ」だとすれば(注:面白いかどうかは、こりゃまた、まったくもって自身のモンダイであるなあ)、着実さと偶然の支配する境界を行ったり来たりしながら、時に努力が報われないことを恨み、また、人の幸運をねたみ、ごくたまに反省して努力の不足を悟り、運ではない未来をつかもうとしながら努力するが、うまくはいかず落ち込んで、それでも偶然の好機に出会うと、なんだか未来が見えた気になって調子づき、溌剌と何かしだす、と、こんなような「何か、そのたびごとにいろんなコトガラに翻弄されながら生きるのが、「自分らしい面白さを追求する生き方」のように思えるのですな。ま、おおかた単に「流れ」に翻弄されてしまうのだろうけど、「自分がどういう状況になっても『何とかなるさ』とおおらかにそしてわけもない自信持って」その時々をやり過ごしていく能力をヒソカに持ちたいな、と思うのですよ。
あ、上の写真は極夜明け記念に、この越冬期間で最後になる「生のキャベツ」を食卓に供すべくお手伝いしている麗しい隊員の姿なのでした。今年の越冬では生のキャベツが7月中旬まで、実に9カ月近くも食卓に登場してくれたのだ。生のキャベツはオーストラリアで仕入れて持ち込む観測隊なのだが、その年の品質によって、いくら丁寧に保管・手入れ(腐ってしまう葉を定期的に除去しながら保管し続けているのだ)しても、今回の半分ぐらいの期間しか使用できない(それでも収穫してから5カ月近くにもなるんだけど)ことも、ままある。私が子供時代には冬の間に雪の下に「活けて」キャベツなどを冷蔵保管して使っていた記憶があって、こうすることでおそらくは4、5カ月の間、普通なら野菜を育てることのできない雪国の冬の食卓に利用していた。一年に一度しか物流のない南極ではそれ以上に、現在の日本では考えも及ばないほど深刻に(今の日本なら深刻にならなくとも流通とハウス栽培などの技術で生野菜が普通に苦も無く入手できる、けど、こういうことってここ50年に満たないような最近実現できたばっかりのことなんだよね)、生モノ「超長期保存」に「運と努力」をミックスさせて取り組んでいるのだ。

日本では考え及びにくいコトガラ関連で、ふと思いついたことがある。日本で暮らしているだけだと南極で暮らしているときの「夜明け・(日没)・日暮れ」時間のスローな時間感覚をどの程度理解してもらえるだろうか?ということだ。おそらくは地球上の高緯度、日本ならば北海道はオホーツク沿岸で暮らす人、ことに漁師さんならば、夏になると午前三時前ぐらいから夜明けの雰囲気を味わいながら出漁し、午前5時ごろに日の出を迎える状況であろうから、
「いったいいつになったら日が登るんだぁ?ま、いいッショ、日の出までが勝負デショ!」
と、世の中がなんとはなしに明るい雰囲気に包まれる日の出前の時間を味わいながら生活しているのだから理解しやすいと思う(参考までに午前二時過ぎには漁師町のコンビニエンスストアーの弁当は売り切れてしまうので、オキャクサンは注意が必要である)。いわゆる「朝飯前」の時間はかなり十分にあるもので、そこで「ひと仕事」を十分にこなせるものナノダ、という認識は持てるはず。別にオホーツクまで話を持っていくまでもない気もする。秋田の農業に携わる人々も真夏の太陽がギラついて暑くなる日の出前の時間を使って朝飯前に仕事をしているではないか。秋田の実家の我が父親は「ニワトリ」と競争しているかのごとくの早起きで、夜の闇の暗さが少しでも白んだ時にはすでに起きだして勤勉に動き出すのであるから(夏ならば4時ごろには起きている気がする)、まあ、このたぐいの環境で育った人、少なくとも我が父親は夜明けの時間帯あるいは日没後の残光の明るさとその時間の長さを理解できることだろうと思う(もしかして父はあまり人の活動していない時に何事かワルさをしていた(る)のかもしれないノダガ…それは高卒で実家から上京した息子には知る由もない…)。ここ、南極は高緯度にある故、より太陽が地平線間際でジリジリ顔を出しそうで出さない、あるいは、出したら出したで、沈みそうで沈まずに、東から西へ「転がるように」移動するっていうのが「定番」なのだ。こんな薄明の時間帯がオホーツクや秋田以上に長いのだ。だから「朝飯前」「日暮れ後」の時間に、実は一日の仕事の全部片付けられるぐらいにもなる。
これが低緯度、沖縄や赤道付近になると、太陽は途端に「江戸っ子」化して、
「テヤンデイ!出るもんは、でる、引っ込むモンはさっさと消えやがれぃ、テナモンダ!」
と、あっという間に「残光」時間帯が過ぎ去ってしまうことになる。こうしたところに育った人々は、したがって「カラスの鳴いている間に速やかに家へ帰る」ように指導された人生を歩むから、おのずと高緯度育ち、低緯度育ちの人々の間で、文化的齟齬が生じる気もするのだ。
ま、こんなことを夜明けの与太話として記述して、番外編を閉じるのでした。
▼ 2010/07/11(日) 南極の湖の物語 その24
「神出鬼没!小さきモノたち」
7月11日現在、天気曇り、風やや強し、気温−20℃ほど、地吹雪で視界が時折悪化しながらも、ここ昭和基地では太陽が地平線から顔を出す日まで残すところあとわずか、秒読み態勢となった。皆様が住んでいる日本は、もうすぐ梅雨明けで夏本番を迎えるころなのだろうか?さて…

上記のような時候の挨拶的な言葉を何の考えもなしに流れるままキーボード入力しながら、ふと
「この文章、3つの文が組み合わさったものだなあ…。前半の天候概況と真ん中の極夜が明けて太陽が昇り始めること、っていうのは全く関係ないし(晴れていようが吹雪いていようが極夜はその時になったら終了するのだ)、さらに末尾に、それまでの時間が短いことを強調するためによく使う「秒読み」という言葉を登場させたのだが、秒読みしようと思えば、この先の白夜や来年の正月、はたまた地球や宇宙の終焉までだって、秒の単位で表すことが可能…。ちなみに極夜明けまでは3日、すなわち26万秒を切ったかな?というのが、本日の現地時間11時現在の状況なんだけど…いくら楽しみだからといって自分が声に出してカウントダウンするにはまだまだ数が大きすぎてシンドイから、やるはずがない。となれば「秒読み」というのは嘘。かもしれないけど、次の「態勢」という言葉がソフトに誤魔化している。こんな時候の挨拶は文章作法として、ハタシテ、タダシイのだろうか?」
そんな妙な疑問にとらわれてしまった。
とりとめもないこと、どうでもいいことのようにも思えるだろう。が、なんだか最近、学生や弟子たちとのやり取りで、「お前さんには論理っていうモノがかけらも無いのか!」と厳しく指導しなければいけない状況が頻発し、そうしてきた手前、モノスゴク気になってしまったのだ。自分の文章の中の非論理性は「言外の意」を補って論理的な解釈も可能となるのかもしれない。もちろん非論理性を強調して分析、批判することは至極容易だ。他者の言外の意は往々にして伝わりにくいモノ。だから、そこに誤解が生じる隙ができる。誤解を生じさせる隙を作らないように論理的に事実を積み重ね、それを伝えるのが科学。その伝える方法が「言葉による記述」や「実験による検証」なのだから、それらには正確で論理的な構造が要求されるのだ。とは言え、すべてにおいてそんなことばかりを追求したら、極めてカタブツで面白味にかけるモノになりがちだ。自分の人生ならば面白い方がいいと思う、となれば、状況に応じて論理性と非論理性を自在に使い分け、「論理的な非論理」・「非論理的な理論」を論じるとか「不合理な真理」を見つけ語ることができる能力を身につけるべきだろう。どうすりゃ、いいのだ?わからん…破綻しちまうのがオチだろう。

今回書きたいのは「時候のあいさつの論理的記述」あるいは「非論理的時候の挨拶法」とかでは一切ない、はずだった。サブタイトルを入力した段階までは『小さな生き物たちのしたたかさ』とか『無から突然発生するような神出鬼没ぶり』について紹介してみようと意識していたのであった。この辺で書きとめておかなければ、筆者がテーマを見失い、完璧に忘れ去る気配濃厚。これではいけません。
上の写真は昭和基地の野菜栽培室の様子。温度がおよそ30℃ぐらいに保たれた小部屋の明るい蛍光灯の元、目にまぶしい緑の葉物野菜たちが茂っているのがわかると思う。昭和基地での越冬生活で、これら新鮮な緑はとても貴重なのだ。なにせ、我々が来たときに持ち込んだ食材で1年間の食事のすべてをまかなうわけだから、どうしても冷凍や乾物が中心となってしまう。「生の野菜」で1年間使用できるものは、ジャガイモ・玉ねぎという強い味方もいるのだけれど、ほとんどの生の食材、殊に傷みやすい生の葉物・果物は、越冬半ばにして使えなくなってしまうのだ。したがって、写真のように「細々と」でも食卓の彩りを添える程度は自給しよう、ということで水耕栽培をしているのだ。その水耕栽培装置の培養液を循環させている下段の水槽の写真(下)に注目してほしい。水が緑の膜を張ったようになっているのがわかるだろう。この培養液の本来の色は無色透明で、植物の育成に必要な栄養(肥料)を溶かしただけのものなのだが。

日本の夏の田んぼの水、あるいは汚染の進んだ湖に発生してしまった「アオコ」のように、無色透明の培養液を色づかせ、あまつさえその表面に膜状のものが発生させているのだ。水耕栽培液だから、もちろん植物の育成に必要な栄養をバランスよく含んでいることはたしかなのだが、それにしてもこの南極でこれほどまでに緑に染めてしまうモノは、いったい何なのであろう?時は日も登らない極夜、当然のことながら、基地の周りの湖がこのように緑色を呈する現象は全くない。この培養に使っている水は、基地の周りの雪を溶かし、それを生成して不要な塩分やゴミをろ過し、殺菌したものだし、栄養素は粉末の無機の化合物を混ぜ合わせたものである。だから培養装置を動かす初めにおいて、およそ生き物らしいものは入っていなかったはずなのだ、播種した種以外は…。そんな「無菌無生物状態の水」にもかかわらず、生き物、とりわけ植物が必要とするような無機の栄養をバランスよく混ぜ合わせた水があるだけで、どこからともなく生き物がそこを見つけ、そこに育って、わが世の春を謳歌する、ってわけだ、今の地球上の南極ぐらいの環境であるならば。

この緑に色づいた水を一滴、顕微鏡で観察してみたのが上の写真。何やら丸っこいモノ、ラグビーボール状のモノ、糸状のモノ、そしてグネグネうごめく何ものかがひしめき合っているのである。丸っこいモノはクロレラのような単細胞の藻、ラグビーボール状のモノはやはり単細胞ではあるが泳ぎ動く鞭毛をもち、糸状のモノは仕切りのある細胞が連なった群体を作る藻で、いずれも緑藻の仲間。こいつらは自ら色のついたモノであるから、(私には)識別しやすいし、わかりやすい。水を緑に色づかせた主体はこれら緑の藻たちなのだ。これだけではない。このほかあんまり色ははっきりしないが、グネグネうごめくから目についてしまうモノもいる。ラグビーボール状の単細胞だが緑の色素をもっていないモノ、頭のように見える部分に水流を渦巻かせているちょっと大型の多細胞生物のワムシまで見つかるではないか。これらをさらに拡大してみたのが下の写真だ。

光合成をする藻類、多細胞の動物であるワムシのほか、この写真では半透明の小さな点や破線のように見える、球菌や桿菌などの細菌も当然のように見つかるのだ。生き物の中の「生産者」「消費者」「分解者」の役を果たす3つのグループ、馴染みの言葉で言うと、植物・動物・細菌(菌)の仲間が、初めは何もなかったはずの栄養を含んだ水の中に、いつの間にか大発生してしまっていたのである。もちろん、この野菜栽培室は、一切のばい菌やら生き物を遮断するような装置が施されているわけではなく、南極、昭和基地の空気が自由に入り込み、ヒトが直接触れて世話しているのだから、こんなところから生き物が浸入するチャンスはあるのだけれど。ということは、これらの生き物は南極の空気の中に潜んでいたのだろうか?あるいは、ヒトや野菜の種、装置など、南極の外から持ち込んだものにくっついて昭和基地までたどり着いてしまって、じっと「この世の春」を待ち続け潜んでいたものが大発生したのだろうか?パスツールの実験以来、「栄養たっぷりの煮汁、ブイヨンを放置すると生き物が自然発生的に生じる」ことは完全否定されたはず(地球上の生命の起源は?というと…これまたちょっとヤヤコシイ説明になるなあ)、どこかからこれら生き物が浸入して繁殖したと考えるのが科学的な結論だろう。とはいえ、我々人間が南極で長期にわたって生活していると、風邪もひけなくなるほど風邪のウイルスにとっても過酷で生き延びづらい環境であることは間違いない。そんな過酷さがあっても、ある種の生き物は「生き延びて、繁殖のチャンスをうかがって条件が整えば直ちに増える」ということは驚きだ。それも、キチンとした植物・動物・細菌(菌)のメンバーからなる「生き物社会」までをごく短期間で築き上げてしまうのだから。
これまで見てきた南極の湖の中にいろんな構造物を作り上げたモノたちもまた、今回紹介したような小さな生き物たちであった。タフで身軽なモノたちは、おそらく地球上のあらゆる場所で生活空間を探索し、そこで増えようと機会をうかがっているに違いない。
ほら、今、あなたの目の涙めがけて、一匹のワムシが頭部の繊毛を目まぐるしく動かせて…
▼ 2010/07/03(土) 南極の湖の物語 その23
「極夜のむこう」
うむむ、困ったことになった。このブログの反響は南極の湖の無音空間のごとし、と思ってノホホンとして暮らしていたら、我が内の隊員の中から
「隊長のブログ、あのままでいいんですか?隊長の人格、知っている人なら(あきらめるから)いいかもしれませんけど、誤解されたり困ったことになりませんか?少なくとも我々が」
というような指摘を、昭和基地のバーの営業日の開店前のすれ違いざまに、フテキな微笑みをたたえながら囁かれたのだった。
この状況を一般読者が理解するためには昭和基地のスタンダードな生活風景をちょっとだけ解説しなければなるまい。基地生活は「日本での生活習慣に近い日常をできる限り実現させ、極限隔離社会でのストレスを軽減させるような努力もしつつ、ただし24時間誰かしら勤務して基地観測も続けているのである(28人で生きていくすべてをまかなうんだから、普通の生活を支えるコト、それ自身、フツウの状況ではない気もするのだが…)。」したがって必要に応じて係・コミュニティーを創り出して「日常生活の楽しみまでを」自ら積極的に作り出しながら(ただしその経済効果や報酬は金銭的なものは一切なく、そこで生活している人の喜びだけという原始社会なのだ)暮らしているのだ。日本社会で平均的な大人の年齢である隊員たちにとって週3回、2時間だけ営業される「Bar(バー)」は(料金は請求されず、きわめて相互福祉的なホスト+αがいることもある)、憩いでありくつろぎの空間なのだ。そんな時として異次元空間にもなる時間帯に入ろうとした時のことの出来事。
「最近ちょっと、哲学的なことをムズカシク書きすぎて、読者を(いるのだろうか?)置き去りにしそうになっちまったかなあ…」
「そうじゃなくって(そんなことは一切書いていないでしょうに…まったく…)、もっとちゃんと隊長らしい、科学者らしいまともなことを書いてくれなきゃ、我々隊員が、底なし沼やETやら、ウシやタツジンやクモや埼京線の混雑に翻弄されちまっているタイチョウのもとで暮らしていることが家族に発覚すると…シクシク」
「えっ(絶句)!」
そうなのかもしれない。本人がいたってまじめに紳士的に南極の湖にかかわる「物語」を書き連ね、自らの心の赴くまま正直に、「自分の心の中に映し出されている世界」を紹介しようと思っている純真さから始めたブログの内容を、今、改めてみて読み返してみると、実に「変なヒト」が無知をさらけ出して偏屈に書き続けて来たのだという事実に気づいたのである。瞬時に深く反省してしまったのであった。隊員すべてとその支えてくれている家族に絶対的安心を与えてこそ、それが隊長の職務というモノではないか!それが私はできていたのかと…。
とは言え、この書き連ねた事柄のすべてからワタクシの人格を判断されて困る事態には、ここ南極にいる限り、なりようが無い(本人は)。むしろそう判断される人格の方が本人以上にシッカリした大人の完璧さを兼ね備えている気もする…。ううむ、どうしたらよいものか?「ご家族の皆さん、少なくとも隊長よりも隊員の諸子・諸兄・諸妹はしっかりした人格なので、わたくしがこうしたカタヨッタ南極の姿を、眼鏡越しに語ることが許されているわけでありまして…」弁解、弁解。

さて(話題転換の接続詞)、そうではあるのだが、あと10日足らずで太陽が戻ってきてくれるのだ。越冬隊のメンバーにとっては、ここまでが準備期間(身も心も資材も環境も)で、これからが「真の南極観測」に動き回ることができる季節の到来なのだ!ここまで、もちろん基地での連綿としたデータを欠かすことなく連日取得している隊員、機会あるごとに厳しい厳冬下で野外での活動を繰り返しもしてきた隊員なのだが、太陽の再来とともにやってくる「躍動の季節」はオリンピックやワールドカップなどのスポーツ競技会と日常のトレーニング・アスレチッククラブ活動・町内会の運動会・地区予選ぐらいの違いがあるのだ。そんな季節にぜひ訪れてみたいのが上の写真の場所。昭和基地から実移動距離で100kmまではないだろうけれど、雪上車で1日がかりで海の上を走りたどり着く露岩地帯のひとつ「スカーレン」と「スカルビックハルゼン」という名前の場所。ここにはもちろん、わが調査対象の綺麗な湖があるし、地磁気の観測や地学調査の機器が設置されてもいる場所の一つでもある。キャンプ地の眼前には南極大陸の氷河が山を乗り越えて海へと落ちる「氷瀑(ひょうばく、氷の滝)」もあり南極らしさ満点の場所でもある。ただしここまで雪上車キャラバンを率いてたどり着くには、おそらくは「芋虫・尺取虫」のごとく海の氷の上を安全な「ルート」を探りながら進まなければならないので、一気にその場を目指したとしても1週間ほどを要する作業が必要。その途中にも観測ポイントが点在し、要所要所にアクセスルートや補助ルートを作っていくので、ルートができてしまえば一日で到達できる距離とはいえ、なかなかたどりつけないというのが実情なのだ。こんな「単に目的地へたどり着く」という地道な作業でさえ、荘厳で雄大な南極の風景(天候が良ければ)、過酷で困難を極める難所(天候が崩れ始めてしまえば)を体感しながらという「オプショナル・ツアー」がもれなくついてくる。このへんの様子はこの先実際の活動が開始した折に、詳しく語っていこうと思う。

湖畔に立ち何やら腕組みをしながら足元の「ナニモノ」かについて考えている女性隊員。これは夏のスカーレンにある湖畔の風景なのだが、湖岸一帯に妙なものが大量に打ち上げられているのが見てわかるであろう。もう少し近づいてみたのが下の写真。茶色や緑の入り混じった丸みを帯びた浮遊物なのだ。色といい形といい「コロッケ」あるいはおでんの中の「さつま揚げ」や煮汁を吸いすぎた「はんぺん」、千切れて砕けたものは天麩羅鍋に残った「天かす」状のものといった様相のもの。南極の湖の女神たちが夏到来を祝して大宴会に興じたのか?

手に取りタッパウエアーの中に入れると食品らしさが余計に漂うのだけれど、これは、長いことこのブログで取り上げてきた「湖底を覆って繁殖している小さな藻の集合体」が、湖底から離脱し、湖面へ浮かんできたものなのである。こんな現象は、湖によって規模の違いはあるものの、かなり普通に見出せることである。このスカーレンにある湖では、そんな浮遊した藻の塊がかなり大量に見つかり、かつ、コロッケのように丸みを帯びて外側が「綺麗に茶褐色」を呈しているのである。ここの湖ではないけれど、湖底を覆ったカーペット状の藻が、寝相が悪くって乱れ起き上がってしまったシーツのようにはがれあがっている様子や、突起を伴った湖底の藻(通称フトマル君)が板状に半畳分ほどのサイズではがれて浮遊しているものを見かけたこともある。湖底を(集団)生活の場としているのなら、そこにとどまっていればいいように思えるのだが、込み合い混雑に嫌気がさして「緊急離脱(エマージェンシー・リフト・オフ)!」という合議が採択されたのだろうか?それとも湖底の「地上げ屋」が出現、恫喝されて泣く泣く住み慣れた安住の湖底を離れることになってしまっているのだろうか?

湖底から離れること→マイナスイメージのような書き方をしたのだが、こう書いたのは理由がある。湖面に浮いている塊の活動状況を、植物の光合成の大きさということで調べてみると、湖底にいる時よりもはるかに小さいのである。場合によっては「まったく光合成反応ナシ」ということもある。湖底よりも湖面の方が太陽の光をたくさん受け止められるからいっぱい光合成ができてもよさそうなのだが、そういうことが許されない状況のようなのだ。浮かび上がった塊が湖底にある時よりも茶色みを増しているところをみると、どうも湖面は光が強すぎると感じているようなのだ。隊員たちが夏の時期に光の防護を怠ったたら、かなり速やかに「日焼け・紫外線焼け」を経験し、真っ赤にはれあがった顔の「たこ焼き人間」→ボロボロ皮膚がズルズルむける「ジャガイモ人間」→愛らしい口元が極度に強調される「たらこクチビル人間」を経てやがて1週間後には「国籍不明の疑似黒人化」という進化を遂げることからも、湖面には確実に生き物には強すぎる紫外線が降り注いでいる事実と実態を推察できるのだ。そんな危険な場所に彼らは積極的に移っていくものだろうか?そんな疑念からのマイナスイメージなのである。

だがしかし、一方の湖底は大量の藻たちが表面を完璧に厚く覆いつくしてしまっているのだ。積み重なって下になってしまえば光の届かぬ世界ゆえ、藻たちは光合成をすることはできまい。湖底から立ち上がって3次元的に使えば生活空間が増えるのは理屈。こうして藻たちの集合構造物が機能しているのかもしれないのだが、それは偶然なのか必然なのかは不明。生活空間がいっぱいになってもなお増えようとする藻たちは立ち上がったついでに、なんかの拍子に?湖底から離脱してしまうこともあるのだろう。これには見方によれば「新陳代謝」のように湖底のお肌を若く健康に保つ効果が期待できる。そのままでは活動できない湖底の生活空間に隙間ができるからね。離脱し浮遊する藻の塊は瞬時に全滅するわけでもなかろうから、湖面に浮きあがったあと、「別のすみ場所」に沈み、あるいは流れ、あるいは飛んで逢着する可能性はゼロではなかろう。これは生き物が自らの生を保てる場所を、限りなくゼロに近い状況でもなお、探し求めながら生をつなぎ続けようとする本能のようなものかもしれない。また、湖という中の世界で作られた藻が湖岸に漂着した後に結局は生き物としての生は失われてしまうとしても、湖岸周辺やそれらが吹き飛ばされて移動した先へ物質を移動させる流通手段としての機能を果たすはずである。
生き物はおそらくただひたむきに生きているだけ。その姿や結果に調和や意味を感じ見つけるのは「人間臭い」所作、あるいは特権なのかも。
人間はいろいろ四苦八苦してほかの生き物とは一線を画したような活動を地球の上で繰り広げているような気になっているところもあるように思うけれど、宇宙の視点に立ってみると、やっぱり「生き物」としてのふるまいから外れたものにはなりえていないし、そうはできるものではないと思うのだが、いかがだろう?湖という「宇宙」が語りかけてくれる物語は、この先、まだまだ著者の視点や思いつき、性格性質人格人生の変化を伴って続けられてしまうのである。うふふふふ。
